2013年06月

向上心と心配依存症の境い目

前向きに何かを目標にして、現時点ではできない何か、手に入れてない何かを獲得するために努力する……。

尊い姿勢だと思います。

ただ、それがいつのまにか

「不足感を自分で呼び起こし、焦り、不安になり、その不安や焦りを原動力にして頑張る」

クセをつけてしまう人がいます。

そしてその「臨戦状態」とでも呼ぶべき「非常事態」が、その人の「普段の状態」になっていってしまうと大変。

リラックスできないし、過度の緊張や焦りがあるとかえって実力を発揮できない。勉強にせよ運動にせよ、集中して最高のパフォーマンスを出すことができなくなってしまうんです。

また同時に、何かに満足してリラックスした状態を「怠けている、堕落している、よくない状態」と認識しやすくなります。

それで、いつもギラギラカリカリして、それでいて苦労のわりに成果が上がらず、ただならぬ気配に周囲も近寄り難くて孤立……みたいな。

これじゃあ本末転倒ですよね。

さらに厄介なのは、そうした「異常な状態」でいる自分を正当化し、「みんなそうなるべき」と考え、ゆったり生きている人やリラックスした状態でもちゃんとパフォーマンスを上げてられている人に向かって、

「何をそんなにダラダラしてるんだ!もっと頑張れ!気合いを入れろ!」

などと、ハッパをかけてしまうんですね。

(これ、スピリチュアルな分野でも、お説教系のヒーラーさんや修行系の人に顕著)

もちろんそうするのも自由っちゃ自由ですけど、ほんとにそれでいいの?と見直してみてもいいのでは。

心配事がないといてもたってもいられない、満足することなくなんとしてでも現状に不足・不満を見出さずにはいられない、なんて在り方が、ほんとに人間にとって素敵だと思えるかどうかってトコでしょうね。

戯れ言までに。
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