2012年11月

質問タイムのお国柄

セミナーや講演会で、質問タイムってありますよね。

日本だと、

「質問をするからには、この場の全体が『たしかにその質問なら全員の時間を割いてでも今、質問してもらってよかったと思うし、講師が答える意義がある』と思えるものでなければいけない」

系の思い込み(というか教育による刷り込み)があるみたいです。

(ちなみに私、不思議とないんですよねそれ。そのために周囲の人から『テメエそういうことは休み時間に個人的に講師に聞きに行けよ。なにか質問ありますかってのはマナー的に言ってるだけで、そういうときにほんとに手を挙げるようなKYはお呼びじゃねえんだよ』という顰蹙をかったり、非難の目線を浴びたりすることも子供のころからありました。が、ぜんぜん気まずいと思ったことないし、そういう無言のプレッシャーかけてくる人に怖れをいだいたり悪びれたりしたことすら一度もないんだよなー。←そういうネガティブな感情を感じ取る受容体が閉じてるらしいw)

そのため、誰も質問タイムに手が挙らずシーンとして講師が「ないようなら、終わりにします」みたいなのが一般的だよね。

ほんとに質問が思いついてないとか、全体の場で質問するにはあまりに的確でないので自粛(あとで個人的に聞きに行こう)……という理由でしてないならいいけど、質問したい気満々なのに、気後れして手が挙げられないというのなら、さすがに残念な気が。

個人的には、日本だと質問するにしても

講師にすべき質問を、たまたま隣に座った人とか、一緒にセミナー・講演を受講した友達にしてしまう

人が多い気がする。

そのほうが気楽というのもあるのかもしんない。あとスピリチュアルなセミナーでは特によくあることだけど、

もし講師に質問してしまった場合、自分にとって不都合な答えが返ってきてしまうことが想定される

ので、それが厭だからわざと、イエスマン的に自分の質問に「うーん、たぶん、、、そうなんじゃない?」と相槌を打ってくれる友達に質問(のフリした、自己主張)するケースが目立つんだよなァ(しかも女性に多い)。

これはとても残念です。

友達への質問ならいつでもいくらでもできるでしょ。
それに、もしその友達が、自分と同様にその分野に詳しくなくて初心者として参加してるなら、初心者に質問したところで、得られる答えが的確である可能性ってどんだけよ、、、ってことですわ。

逆に欧米(っつっても国や地域、個々人の性格ごとに若干の違いはあるんだろうが)では、子供の頃から

「あなたは世界にたった1人しかいない、かけがえのない存在。だから、あなたが思い浮かべたことはこの世に1つしかない素敵な宝物。それは是非、他人にシェアする価値がある」

系の教育をされるケースが多いようで。

で、講師が何か質問は?と言うや否や、クラスにいるほぼ全員の手が一斉に上がる、と。

(でもこれは必ずしも講義にとってプラスという意味にはなりえないらしく、世にもくだらない一個人の感想を延々と述べるだけの人もいたりするらしい←欧米に留学した人たちの談なので俺はよくわからない)
※ちなみに私はアメリカのTHiNKに短期留学らしきことをしたことがありますが、世界各国からいろんな人が集ってはいたけど、そんなに質問タイムのときに手が挙がらなかったんですよね。だから欧米人なら絶対質問しまくり、と決めつけるのも違うようです

こういう違いって面白いね。
異文化交流の良い点としては、互いのこういう文化の良い所を取り入れることができる(かもしれない)ってことだったりもすんのかしら。

ちなみに自分は霊視能力を活かして、その場の集合意識を読み取り、

「わりとこの場の大多数が知りたくて質問したいと思っている……が勇気がなくて手を挙げられずにいる」

質問内容を、代表といわんばかりに手を挙げてすることが多いです。
(そうすると、『ハァ?てめえ何わけのわかんない質問してんだよ馬鹿じゃねーの?』という顰蹙も買うことなく、むしろ『よくぞその質問をしてくれた!』という無言の称賛を感じ取ることができて素敵です←ちゃっかり、ポジティブに自分が褒められる想念への受容体はビンビンという都合の良さ←悪いと思ってません、誇らしいです俺)
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