2011年12月

「その職業の集合意識」由来の“やる気”への感染に注意

こんなこと書くと、「不純」とか思われるんだろうかw

えーと、同じ職業とか、ある1つの会社とかに所属すると、本人が良いと思うかどうかは別として、その集団の集合意識の影響を受けはじめますよね?
それはよほどしっかり、バリアなりガードなりしてないと、水が染み込むみたいに自分のエネルギーや想念をジャックしはじめます。

それでいいと思うならべつにいいんですよ。
それこそ、その会社なり職業なりで骨を埋めて、全身全霊をそこに注いでかまわない、というなら別に。

ただ、

・将来は独立を考えていてその機会を伺いつつ、今の生活を守るためにこの会社でこの仕事をしている

とか、

・一生懸命、仕事に打ち込みたいことは確かだけど、この集団の「自分をボロボロにしてでも尽くす」みたいなニュアンスのヤル気に自分が染まって行くのは良しとしない

などの場合は、注意が必要ですな。

自分の周囲だとけっこう、「フリーランスで何かで独立宣言をしたものの当面の生活費を全額あてがえるほどの収入がまだないからバイトしてる」系の人が多いんですよ。
(自分がナレーターのはしくれとして業界の末端にぶら下がってるから、そういう『食えてないけど食いたいナレーター/声優・俳優(志願者)』が多く目に入るって図式もあると思います)

で、特に小さい劇団なんかに所属して、とてもお金がプラスになるわけでもないというような(自称)役者なんかだと、飲食業とかガテン系のバイトに精を出すわけです。

でね、気がつくと馬車馬のように働いてるわけ。

「ねえ、アンタは役者で食って行けるようになるのが夢なわけでしょ?いくらすぐに役者業で稼げないからって、そこまでバイトに打ち込んじゃうと、本末転倒じゃない?」

と声をかけると、あーとかうーとか言いながら、

「でも、頑張らないと」

系の、なんかよくわかんない、ちょっとアブない熱意みたいな返答で会話断絶、みたいなケースが多いんです。

明らかに、

バイト先の集合意識に由来する熱意にとり憑かれている

んですね。

一方、「働くならその職業をずっとやっていくこと自体には納得している、、、が、いまの勤務先の『過労して当然!』的なノリはどうにかしたい」という悲鳴を上げている人もいます。

看護士や医師のような専門職だったり、あるいはマスコミ勤務など「職種自体には満足していて、その職種を辞めたくはない。が、往々にして業界のノリが多忙」なんていうケースだと顕著ですね。

(この場合、「周囲から『サボっている』と見られ評価を落とさずに済む程度に、忙しい様子や真面目に頑張っている様子を演出して同僚や上司、後輩からのイメージを保ち&上げつつも、心底はべつにテンパっておらず適度に上手に手をぬいて、でも結果はきっちり出す」という、ある意味では高等なテクニックが要求されるわけですが)

それでいて、集合意識由来のわけのわからない熱意に自分が浮かされているのをなまじ自覚してしまうと、その状態自体にストレスを抱えて

「もうこんな仕事、嫌!」

と、

本来は「職場(のノリ、制度etc)」に不満を抱えているのに、
「職種自体」に不満を感じていると自分で勘違いする


危険があります。

冷静に自分が何に対して不満を抱いているのか、見極められるかどうかが重要になってきます。



たしかに、真面目に働くのは尊いことと看做されやすいですが、その人が最高最善最大に「働くことによって他人や世の中に貢献できる」仕事は、ほかならぬ

本人が神聖な計画に書いてきた仕事に従事している場合

です。

そうではない仕事に、なんらかの事情があろうとなんだろうと従事しているうちは、まだ最大の貢献はできてないことになるんです。

なまじ真面目に働いていると、

「今は自分がこの職場から抜けるわけにはいかない」

と思い込みがちですが、実際はたとえ国の総理大臣だろうとなんだろうと、抜けたら抜けたでどうにかなるものです。世界は、あなたが今の職場から抜けたくらいで崩壊したりしません。

これはべつに、仕事をサボれとか、なんでもいいからつらいなら仕事を辞めろと促しているわけではありません。

ただ、今の仕事に心底、納得していないのならば、

・その職場なり職業の集合意識由来の、影響を受けることを望まない想念をシャットアウトして自分の自由意思を動機にして働くこと

を実現したほうが、少なくとも変に集合意識に染まってしまうよりいいんじゃないでしょうかというご提案。

そしてちゃんと、神聖な計画で書いてきた働き方が実現できるように、動いていけるといいよね?という励まし(のつもり)。
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