2011年08月

批判的でないのも、どうよ。

スピリチュアルな文献なり教えなりを紐解くと、とかく
「(過度に)批判的になってはいけない」
ということが書いてありますよね。

まあ、そうなんですけど、

「絶対に、批判というものをしてはいけない」
「批判をするのは、スピリチュアル的にみてよくないことだ」

という捉え方になっている人が少なくないような気がしています。

(捉え方としてはそうなのに、他の人をあれこれ批判、、、をはるかに通り越して、無責任な誹謗中傷の嵐を平気でしまくって、しかも無自覚な人もいるみたいですけど???)

で、最高の真実としては批判をしないのがよいけれど、現世的に見て立場上、批判を、少なくとも批判的な姿勢をとることが望ましい場合は、わりとあります。

たとえば、特定のモダリティの認定インストラクターだとしましょう。

そして、モダリティにガイドラインが存在し、著しくそれを逸脱した人がいた場合。

それこそ、最高の真実に照らしていえば

「そうしたい人がいるならすればよい。その人の行いに対して、傍からなにも自分が茶々を入れるかのように批判する必要も義務も責任もない」

というふうになると思います。

が、認定インストラクターとして、そういう人がいたらどう思いますかと聞かれて、上に述べたような綺麗事を並べてお茶を濁す人は、正直言って私からすれば尊敬できません。
もしお茶を濁す意図もなく、純粋にそう言ってるとしたら、スピリチュアルな観点からすればよくできた、おめでたい人だと思いますが、認定インストラクターとしては、無責任で頼りがいのない人だと感じます。

なにも、本当にその人を糾弾しまくって追いつめて叩きのめす必要はないでしょう。
(それをしたら、やりすぎです←わりとやってる人もいるみたいですが???)

が、批判的な姿勢を便宜上でも立場上でも持っているというのは、存外に大事なことではないでしょうか。

「ガイドラインからすると、その人のとっている行動は違反であり、褒められたものではない。改める余地があると思う」

と批判的な立場を表明したうえで、ガイドライン違反の該当者については憎まずに冷静に、無条件の愛をもって見守る(場合によっては接する)というのが、個人的にはベストだと感じます。

なんでこんなことを書いたかというと、私自身、スピリチュアルな学びのなかで沸いてくる疑問や、「はぁ?」と思うような言動・行動をとっている人を見たときに、(自分の偏った観点で真実から逸れた認識をしたくないので)自分自身が生徒として参加したセミナーのインストラクターや、ある程度以上信頼できる知り合いに確認して意見を求めることがたびたびあるからです。

そしてそういうとき、自分の偏見や先入観、誤った知識に気づかせてくれるような素晴らしいアドバイスをくれる人もいるけれど、上にあげたような

「その人は今は、そういうことをするのが望ましい状態にいるのよ。学びの途中なの。受け入れて愛してあげなきゃ」

といった回答をする人もわりといるからなんですね。

べつにこっちは、アレッと思う相手を憎んだり恨んだり傷つけようとしたり迫害しようとしたりしているわけではないんです。

誰にだって間違いはあるし、どんな行いだって、その人が責任をとってやるならアリだということは、わかっているんです。

どんなに意見が異なろうと、私からみて暴走・迷走しているように見えようと、嫌いだと感じる要素が強かろうと、人間であるというだけで大いなる源の一部として自分とつながっている、、、というスピリチュアルな真実は、踏まえているつもりです。

そのうえで、現実的なガイドラインやルールを遵守したり、世間一般の常識に照らして一社会人として生きると考えた場合に、これはどうなんだろうという疑問を投げかけているわけです。

そこに、現実的なアドバイスの有効性としてはぶっちゃけ、あってないようなスピリチュアルなコメントもらったって、なんの参考にもならないんです。

同時に、これは私個人の価値観からみての感想ですが、ガイドラインを遵守する立場にある認定インストラクターが、ガイドライン違反者を見てもなんとも思わない、批判しないというのは、インストラクターとしての在り方を疑います。

これまた私の思考ではこう感じるということにすぎないかもしれませんが、ガイドラインを違反している人になにもしない、なんとも思わないというのは、かえって薄情だとも感じます。
もしかしたら違反者のほうも、ものすごい悪意があるというよりは、理解が歪んでいて、よかれと思ってやっていることがたまたまガイドライン違反で、しかも本人もそれに気づかずどこかで「おかしいなぁ、うまくいかないのはなぜだろう」と思っているという可能性だってあるわけです。

「ちょっと、これ、違うよ。ほんとはこうだよ」

と指摘してあげることで、

「あ、そうか!間違ってた。ありがとう」

となることだって、あるわけですよね?

自分の価値観から見て都合の悪いことを意識の枠外に追いやって

「愛と光~♪」

と聞こえのいいことだけ言って、その実は独りよがりの都合のいい幻想に浸ってる薄情者になっている。

可能性としては、そんなこともあるのかな~?なんて思ったままを綴ってみた次第。

これ、なにもヒーリングモダリティだけの話じゃないですよ。
それこそ、電車のなかでイヤホンから音だだ漏れで爆音放ってる人を見て見ぬふりするか、というような小さなどんな例にもあてはまります。

これは自分が他人に言ってるというより、自戒の意味のほうが強いですけどね。
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