2010年02月

自分の可能性の確信のための試行錯誤から卒業する

唐突ですが、私は子供のころ、何か一芸を究める人間になりたいと思っていました。

偉くなってデカい態度をとりたいとか、のしあがって他人を見下したいというのはなくて、
「なんとなくそれができるような気がするから。それがただの気のせいなのか、本当なのかを確かめたいから」
というのが唯一の動機でした。

だから幼少の頃から、自分がなんとなく頂点に立てそうな気がしている芸事について、実際に習うことを夢見ていました。
具体的には、楽器の演奏や踊り、茶道といった文化芸能系がピンときていました。
中国雑技団とか少林寺拳法みたいな、高度な運動神経を要する武芸・曲芸の類もできそう、と思っていました。
(注:いま思うとこれらはすべて、自分が過去生で一度は究めたことのある分野なんですよねw 過去生回帰もいいとこでしたw)

でもフタをあけてみれば自分は田舎の貧乏人の子供で、習い事なんて夢のまた夢でした。
というか、田舎すぎて、文化芸能についての習い事の本格的な教室もたぶんあんまりなかったような(少なくとも自分の耳には入ってこなかった。ネットもまだなかったし)。

都会(宇都宮市)に住む従姉妹が習い事漬けの生活をしていることがたまらなく羨ましく思えたり(←従姉妹自身はうんざりしていたそうですがw)、音大を目指して毎週、東京の高名な先生の元へレッスンに通う金持ちの同級生との境遇の差を感じてがっかりしてばかりでした。
折にふれて自分が真剣に芸事を極めていきたい、何か習い事をしたいと親に相談したのですが、親としても先立つものがおそらくないなかで、どうすることもできないという感じでした。
結局、私は習い事らしい習い事を何一つすることができずに大人になってしまいました。

そして気がつけばただの大卒の会社員、というありふれた境遇&ステータスに終わってしまったことに気づいた20代前半、私は失敗に終わった自分の進路の成れの果てをあまりに受け入れ難く、
「こんなはずじゃなかった」
という思いに苛まれるあまり、
「いまからでも遅くないから、本当に自分がいろんな習い事をしてみて、モノになりそうな素質を自分が持っているのかどうかを確かめてみよう!」
と思い立ちました(←かなり痛々しいですが、当事者としては切実でした、哀しいことに)。

それからフルートやチェロ、ドラムといった楽器、それにタンゴやモダンバレエといった踊りの教室に片っ端から通い始めました。
安月給だったし、何か1つを専門に究めるというよりはまずやってみて自分の素養を見るのが目的だったので、なるべく月謝が安くて先生が親切なところを選びました。
とはいえこういう習い事の月謝というのは、最低におさえても月1万円が相場で、いくつもの習い事を掛け持ちしていた私は毎月、10万円近いお金をそうした習い事の月謝に充てていました。

結論としては、弦楽器を除いて(←なぜか、からっきしできないのです。なぜだろう?)どの楽器にせよ踊りにせよ、自分が思っていた以上に上達が早くて先生や一緒に習っていた人たちから驚かれ、
「ああ、自分に素質がありそうだと根拠もなく子供のころから思っていたけど、それはあながち錯覚じゃなかったんだ」
という手応えを得ることができました。

が。

自分の素質を確かめるために音楽を奏でたり、踊ったりする人間の表現というのは、「邪道」だと感じました。
仮に上手に演奏できているにせよ踊れているにせよ、
「ねえ、自分、才能あるでしょう?なかなかのモンだよね?もし子供のころからやってたら、プロになれたと思わない?」
というオーラがむんむんに出ていては興ざめだと思ったのです。鬱陶しい自己顕示欲丸出しというか、ナルシスティックというか。
芸事としていちばんみっともない路線に自分の表現が入り込んできちゃってるな、と感じました。
そして、私はそういう演奏&表現しかできない自分が今度は恥ずかしくなりました。
さらに、自分の素養を確かめること以外には、もはや芸事に興味を持っていない自分にも気づきました。ようするに、私は「自分に何かができるかどうか」だけに関心を持っており、音楽そのものが好きとか、踊りそのものを愛おしむという気持ちがないのです。

なにより、いまさら多少の素養を見出したところで、じゃあいまから精出して頑張ってプロ目指して音大なり入ってコンクールで優勝して……という進路を辿るか、といったら、そうじゃないんですよね。
無様なまでに年齢から何から、これから何かの芸事をプロになるために目指すという状態からはかけ離れている現実と向き合わざるを得ませんでした。
若干の素養があったと感じられた分、それを活かせなかった&伸ばして開花させられなかったことが苦しくて、ただただ悔やまれるばかりでした。
(例外として、大人になってからちゃんとプロになろうと目指してなれた芸事というのがナレーション・声優の仕事だったわけですが、特に音楽の分野でプロになれないことは、かなり長いこと苦しい経験として残りました←これも後に、雅楽の世界でプロとして30歳を超えてデビューすることで解消するのですが)

……前置きが(非常に)長くなりましたが。

ようするに、
「人間には先天的に与えられた、努力では埋めることのできない能力の差がある。才能という概念は真実として存在し、それがある人間とそうでない人間がいる」
という信念で世界を捉えていると、こういう不毛なドラマを繰り返すハメになってしまうわけです(←ねえ、それが言いたいためにこんだけ長い前置きしたわけ?)。

実際は、そうじゃないですよね。人間は全員すべて、パソコンでいえば「同じ機種&スペック」なわけです。
そのパソコンをどうカスタマイズするか、どうチューニングするか、どんなソフトをネット(←いわゆる『高次元世界』の比喩です)からダウンロードするかによって、差があるように見えるだけなんです。こちらが真実です。

この真実に気づいたとき、私はすべての習い事を辞めました。
自分になにかが“できないのではないか”という不安を動機に何かアクションを起こすということも、一切しなくなりました。

で、タイトルに書いた通りの結論に至るわけです。
試行錯誤をするなら、それが自分にできるかどうかじゃなくて、
「その試行錯誤という体験そのものを楽しむ、味わう」
ためにしよう、と決めました。

その心境に至った今、本当にやりたい芸事はなんだろう?と自分の心の中をのぞいてみて、一番惹かれるものを(おそらく楽器のどれか)、生涯の趣味としてきちんと習いなおそうかなと思案中です。
自分の才能を確かめるために、ではなくて、純粋にその音楽を味わい、楽器を奏でる喜びを感じるために。
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