スピリチュアル

人を呪っても穴ひとつ(←もちろん、相手の分)

万有引力の法則は、永遠に不変のようでいて実は違う、みたいに。

この世のいろんな物理法則は、実は永久不変のものではなかったりします(よね?)。

で、物理法則というものも、霊的摂理の現れ方のひとつの形態にすぎません(よね?)。

そして霊的摂理というものも、永久不変の基本原理のような部分と、その都度で変わるものもあります。

あと、「どの範囲に影響が及ぶ」霊的摂理か、にもよります。
たとえば条例というのは国全体に効果が及ぶものではなくてその地方自治体で有効である、みたいな。

そして。

霊的摂理がいま、めまぐるしく変わっています。

どちらかというと、「これまでは規制」的に禁止や抑止されていたことが、解禁される方向性で。

例えばマルチバース。

「一時期の、SF的なネタとしての流行りじゃないのォ〜?」

と言われつつも、いま映画のネタとしてマルチバースは大人気。

もちろん映画は創作の世界なので現実ではないわけですが、それにしても、まったく理解も共感も興味もされない題材だったら、映画の中で採用してもコケますよね?

だいたい、宇宙はいくつもあるなんて奇想天外な発想。
これまでみんながあらかじめ(創作上のネタとしてであっても)知っていて人気だったわけでもなく、人によってはまだ知らない概念ですらあるのに。
どうしてこの時期に立て続けに複数の映画作品でこぞってマルチバースのことが取り沙汰され、しかも興行的にヒットしているんでしょうか?
(べつに映画の観客みんながみんな、学術的にマルチバースについて興味をもって研究している学者ではないはずなのに)

それは本当にマルチバースにまつわる、これまでされていた規制のいくつかが霊的摂理として解禁されたから、が発端だとは考えませんか?
(それを大資本家は宇宙人など霊的摂理とされる、ようするに『すごく発展した物理学などの科学』についても知っている支配者・管理者とつながっているから、指令どおりプロパガンダとしてそういう発想を庶民にも映画という創作作品を通して知らしめているのだ、、、みたいな陰謀論も語れますよね。それが本当かどうかは別として)

で。

マルチバースだけでなく、他にも実はいろいろ、知名度としてはマイナーだけど実はされている霊的摂理上の制限の解禁、みたいなものが続々と起きてきてると言われたらどう感じますか。

それこそ、この記事のタイトルにあるように。

それまでは「人を呪わば穴二つ」だったのが、解禁された霊的摂理を上手に利用すると、そうはならない……。
都合のいい絵空事に聞こえますか?

うまくやると、できちゃうんです。
(やりたいかどうか、やるかどうかはまた別の話として)

こういう最新情報は、出版されている本や、大々的に広まっているヒーリング技法などでも即座にはキャッチアップしきれないもの。

まぁ、そこまで最先端の霊的摂理情報に耳ダンボ的に興味津々で「知ってるだけ」なら、ほぼ何の意味もないとは思いますけれど。

情報をどのルートから得るか。
そもそも情報の得方(えかた)として、文字や話し言葉など、どこぞの信頼ある権威的存在だか個人的に推しだかの人、崇高な霊だかとチャネリングしたという人の預言を鵜呑みにする方法でいいのか。

と、タイトル記事の内容(やり方)については言及せずにこの記事は終わるのです。

人を呪うなんて、やめときなよ(めちゃくちゃ社交辞令の営業スマイル、建前100%)。

ほら、体裁って大事でしょ?(狡猾笑み)
スポンサーサイト



「困ったちゃんとして振る舞う」、「周囲に迷惑をかける」という形で神聖な奉仕をする人たちがいる

わざわざ人をつかまえて

「ねぇ、私いまこんなにつらいの」

と愚痴をこぼす人いますよね。

他にも似たようなパターンで、

・みんながうまくいって楽しく過ごしている場に現れて「世の中にはうまくいってない人もいるんだよ?」と言う
 (あるいは、そうした態度を示す。盛り上がっているパーティの場に現れて陰鬱な暗い様子全開でいるなど)

・「こうすればうまくいくよ」という誰かの発言に「あなたの言うとおりにやってみたけどうまくいかなかったよ」とわざわざ告げにくる(その人のアドバイスが万能の完璧でない証拠を示す)

など、その場に水をさす、ブレーキを踏む有様をわざわざ示す人たち。


そうした人がなぜそうなのかは、細かくいえば個々人ごとに違います。

が、1つの傾向としてあるのがタイトルに書いたこと。

自分がうまくいかない、負の有様を示すことで、世の中のみんな(少なくとも周囲の人々)が、ある方向に迷いなく全力で進んでいってしまうというリスクを軽減しようとする

うまくいってしまうことで「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」と悪気なく言ってしまうような人間性の偏りがその人の中に生まれることを阻止し、その人が見えていない物事の側面として、自分が「うまくいっていない例」として現れ、うまくいかないこと・場合・人もあるのだと(良かれと思って)釘を刺す


のです。

もちろん?、困ったちゃん的に振る舞っている人の顕在意識としては自覚がありません。
(ただ、こういう記事を読んだり、口頭で伝えたりすると、人によっては深いところでドキッとしたり妙に納得したりするようです、ドンピシャだと)

「なるほど、困ったちゃんがずっと困ったちゃんでいつづけるのにも理由があるということか」

という大人としての納得?はできるものの、それでも釈然とはしないですよね。

現に、そういう困ったちゃんの、わかりづらい伝え方は伝わらないことがほぼ100%ですし、仮に伝えたいことを汲み取れたとしても「余計なお世話だよ」が関の山。

やはり問題は、そういう困ったちゃんとしての動きをなぜかしてしまう本人にあります。

そういう人は、言葉で「もっと伝え方を工夫して」とか「あなたが伝えたいことを聞きたい人、必要としている人たちばかりではないんだよ」と言っても、曖昧な返事をしたりうつむいてやりすごしたりして変わらない。
明確に「私、そんなつもりでこういうことをしてしまうんじゃありません!勝手に決めつけないで!ほんとにできなくて困ってるんだから!!」と否定してくる場合も往々にしてあります。

対処法として、「困ったちゃん本人側」と、「困ったちゃんに困ったことをされがちな人側」に分けてみましょう。

[困ったちゃん本人側]
まず、自分がなぜ、困ったちゃんと認識されるような、他人からすると迷惑な行動をとってしまうのかを見つめて、あわよくばその思考の土台を見つけます。

その土台は、ここに挙げたような、隠れた啓蒙啓発の意図があることのほか、単純に社会性のなさ、自分本位な幼稚性を払拭できていないなどスピリチュアルな深みとは関係ない至らなさにあることもあります。
(スピリチュアル大好きな人ほど、妄想的に霊的な方へ想像を広げてしまい、『これが私の天からの使命』など、本当でない空想としてのお話をでっち上げていきがちでもあるので要注意)

そして土台の解消。一般的かつ王道っちゃ王道ですね。

ここに挙げたような、実はスピリチュアルな神聖な奉仕として、良かれとおもって人類を導こうとして自分が困ったちゃんを演じている場合、なぜ自分はそういう使命感のようなメッセージ発信をそんなに強く抱いているのかということを明らかにするのが望ましいです。

その上で、今の伝え方だとまずもって伝わらないことを認め、要するに何が言いたいのかを自分側でシンプルにしていきます。

そして、できれば他人から迷惑と思われないような形で自分の本当に言いたいこと・伝えたいことが相手に伝わるように行動を修正していけるといいですね。

単純に仕事ができなくて周囲に迷惑をかけてしまうといった能力が劣ることで困ったちゃん扱いされている場合は、能力の研鑽で実際に向上させるのも欠かせないでしょう。
(『それができないから困ってるのよぉ〜。私だって周囲に迷惑をかけたいわけじゃないんだからぁ〜』という反論があるとは思いますが、そこをどうにかするのが脱・困ったちゃんの鍵。できなきゃ一生そのままです。えぇ、あなたの言い分は正しいですねさようなら、で終わりですよ他人からすれば)

[困ったちゃんに困ったことをされがちな人側]
実は、困ったちゃんから困ったことをされる現実が起こるということは、そういう現実を迎え入れることを第一希望で望んでいます。
もう少し妥当な言い方をすると「許容している」のです。

ある人から依存され迷惑な思いをした、誰かの仕事のミスを尻拭いする羽目になったなど、個別具体的ないちいちを第一希望で願っているわけではないのです。
「そんなようなことがあれば、まぁ、しゃあないっすわ」
程度のユルさで、だいたいそんな感じの事象、と認識する在り方に該当すると発生してしまうのです。

まず、そのことを認めること。
(『いいや!私はそんなことを望んでなんかいない!何が第一希望だ、そんなことを願う人間がどこにいる!』と勇ましく否定しても何も変わりません)

そして次に、なぜ自分はそういうアプローチを受け入れているのか、そこから何を得たいという「メリット享受志願」があるのかを見つめます。
このメリットは人それぞれバリエーションがありますが、たとえば
・できない人の尻ぬぐいをすることで、自分ができる人間だと自覚する&周囲からプラス評価される(されたい)
・できない人が起こす困った事象を逐一、対処して面倒を見て問題解決するのが自分の天からの使命だ
など、ようするに「自分が得する、良い思いをする」内容が必ず含まれているものなんです。
これも、見つけたところで「いいやまさか自分がそんなはずはない」とプライドやら見栄やらが邪魔するのでうまく乗り越えて。

仕上げに、「困ったちゃんから困ったことをされなくても、他にこれこれこういうことをすればメリットは得られるのでそうする」とか、そもそも困ったちゃんから何かちょっかいを出されることで満たされる自分の思考そのものを手放すなどなど、カウンセリングやヒーリングあるあるのチェックメイト的な局面をしっかりワーク。

ワークが効いていれば、自然と、嘘のように、困ったちゃんに困ったことをされなくなります。

(困ったちゃん側が『さぁ、いつものようにアプローチを仕掛けるぞ!』と近寄ってきたとき、まるで虫除け成分が充満した部屋に入らず引き返す蚊のようにピューと引き返すのを察するかもしれません。『あ、とりつく島がない』的な、がっかりしたような、ぽかんとしたような、興醒めしたような呆けた表情をするのを見るかもしれません。そして他のカモを物色して、隙がありそうな人に困ったちゃんがターゲットを変えたら、しめたもの)

--

ブログの文章なのでどうしても総論的で、ざっくりしたことしか書けませんので、個別具体的な問題をどうするかについてはヒーラーに依頼するのがよいでしょう。
(ご依頼、お待ちしております♪)

ただ、今これからの時代って、誰が悪いわけでもないけど
「このくらい、できて当たり前」
という基準が上がっていくと思うんですよ。

たとえば国民的アニメとされるサザエさんだって、初期の頃はこんなシーンが普通に放送されていました。



こまかい解説は野暮かもしれませんが、これ、今の世の中だと(厳密には個々の家庭では、シレッと起きてるっちゃ起きてるんでしょうが)一般的には、表向きはNGですよね。。。
(どこがNGなんだ、何がおかしい、普通じゃないかと感じる方はここではお話の対象外とさせていただきます)

このたった数十年で、いろんな価値観がアップデートされています。

スマートフォンにしたって、あまりにもモタモタと
「使い方がわからないの」
と他人に聞いたところで、よほど聞かれた側に余裕があったり、有料だからサービスとしてやる気を出すなり、聞く側がよほど愛されているなどしない限り、「知るかよ」で相手してらんないわけです。
スマートフォンが出たての頃は老若男女「これ、どうやるの?」と四苦八苦したのがほんの10年前なのに。

悪気はないけど誰もが無限に余裕あるわけじゃないんです。
自分のことで基本、精一杯。
お金も払わず、相手との信頼関係の構築に時間と労力を費やしてきたわけでもないのに、なんとなくの知り合いという赤の他人におんぶにだっこ、はこれまで以上に通用しない世の中になっていくでしょう。

伝わりにくいメッセージを、嫌われ者を買って出てまで生き様を通して、害悪を振りまく形であくまでも伝えようとし続ける姿勢(というか思考)でいつまでもいるのが賢明なことかどうか。
賢明でないと判断したら、じゃあどう変わるか、変われるか。
賢明でなかろうと知ったことか、これが私の生き様だと言い張って今のザマを貫き通すか。
こういったことは、その人がスピリチュアルに興味があるかないか問わず世間全般でみんなが考えていかざるを得ない課題となっていきそうですね。

「霊的成長なんてしたくない!永遠にこのままダラダラしていたいw」人のユートピアが建設中

この春分の日あたりを境に、世界線が変わる的なことを言うYouTuber多かったけど、なんか分かる気が。

それまでは、会社に例えると窓際のダメ社員がスター社員たちの稼ぎから給料を貰って居座るくせに稼ぎ頭たちのことを陰で悪く言う……みたいな悩ましい寄生虫維持システムだった。

その糸が切れた?

これまで以上に、ずるいゴマカシがきかなくなっていきそう。

他人におんぶに抱っこなくせに不平不満を言って、なんなら上から目線で命令するみたいな、スジの通らない理不尽をゴリ押ししようとしても、いよいよ難しくなる感じ。

波動帯域ごとの棲み分けが明確になる感じで、寄生フックがかからない。

これっていわば、シータヒーリングにいう層の概念で言えば

三層が五層化しつつある

のかな。

波動帯域ごとに階級が成立し、他の階級へは介入ができないのが五層の特徴だけど、三層もそうなりつつあるみたいな感じ。

デキる人がアレな人から足を引っ張られる、悪気なく依存される図式が消滅する?

デキる人におんぶに抱っこでさぁ引っ張っていって、で足を引っ張る形になってるのに
「私はこうすることしかできないから。デキる人を頼りにしてる♪」
と健気ぶる人や、

わぁわぁ喚いて要するに他人に依存して宿主のエネルギーを吸うことでしか生きられない寄生虫気質の人たち、

今後どうするの?

なーんて、大丈夫!

そんな人たちのための「ユートピア」を目下、鋭意建設中です!

そこでは霊的成長のための苦労なんて無縁で、

「私には、できないよぉ」

を100%肯定してもらえる。

永遠に、めんどくさい「成長のための変化」や「悟りに向けての気づき」なんか不要で、たーだ楽しくいられます。

まさに霊的システムのWin-Winでしょ?

人類の霊的進化のためにもはやどうしたって寄与してくれない
「ダメだこりゃ」
人材を永久に封印しておける、一度はいったら二度と出られない高級タワマンリゾート🏝としての亜空間。

アレな魂はそこに行けば安泰だし、進化する魂たちは邪魔されることもない。

その高級タワマンリゾートの名前は何かって?

さぁ……。

今のところ仮称だけど、

地球期の悪魔たちの住処(すみか)

みたいな呼び方をしてるかな。

え?地球期の悪魔がいるのかって?

これからなるのよ。

霊的成長と進化を完全にあきらめた、望みのない堕落した魂と化した人間たちがね。

え、人間が悪魔になるだなんて信じられない?

まぁ、悪魔というのも「ようするにアレな存在」という意味合いでユルく使われてるからね。

種類や経緯、エネルギー的な在り方はいろいろ違う悪魔たちがいるものよ。
「雑草」みたいな、大雑把に括る呼称でしかないの。悪魔という言葉は。

え、今度は

「私は悪魔になんかなりたくない」?

あらー、言ってることとやってることが、ちぐはぐね?

普段の行いと言動、言葉にこそ出さなかったけど抱いてる思考を省(かえり)みたらいかが?

人類を霊的にも肉体的・精神的にも進化させ、社会を発展させることに寄与してる自負がおありなの?

そうでもないのに、ただ悪魔というレッテルを貼られるのが嫌だから言ってるの?

永久に閉じ込められて成長の可能性が一切、絶たれるのが嫌なの?

でもいつも「ラクになりたい」といって、成長を促す刺激&教材としての、現実に起こる問題から目を逸らして妄想の中で言い訳して何もしないでしょ?

そんな人たちには、うってつけの場所のはずよ?

前例もあるわけだし。

月期の悪魔

って聞いたことない?

……あまりに突拍子もない話かしら。

じゃあ現実に戻すわ。

精子レースで

「1着なんて無理だよぉ」

といって泳ぎをやめたり、僅差で1位を獲れず2位以下になった精子は、その後どうなる?

無理、できない、ラクになりたい。

そう言い続けて何回、輪廻転生を経てもまったく成長する可能性が見られない魂に、相変わらず永遠に転生させて
「いつか気づけるまで、霊的成長のためのイニシエーションに合格するまで頑張れ」
を、これ以上続けるなんて酷だと思わない?

安住の地、欲しいでしょ?

だから創ることに決まったというわけ。

霊的なシステムも、まだまだバージョンアップしていってるのよ?

何回も生まれ変わっては酷い目に遭い続けてつらい経験をして、恨みつらみばかりが積み重なっていく(ような生き方、考え方、経験の受け止め方しかできない)魂をいわば「救済」するのよ。

以上、ユウナレスカ気取りで解説してみました。

何も考えず、ユウナレスカ様の言う通りにしていさえすれば、スピラは永遠に不滅!安泰なのです!

地球期の悪魔を住まわせる、100%悪魔的な幻惑エネルギーで構成された高級タワマンリゾートこそ、堕落した人間たちの希望の光!!

毎日ダラダラしてて🆗

【無能でも大丈夫!】ダニング=クルーガー効果を霊的な面から考察してみる

未経験〜初心者など能力や経験が低い人ほど、自分の能力を過大評価しがちだとするダニング=クルーガー効果。

まったくやってない、超初歩しかやってない人ほど、些細なことで

「私ってすごい!向いてる!できてる!天才!」

とお気楽に思い込めて有頂天でドヤ顔できるというアレです。

そのあとで中級の壁とでもいうべきものにぶち当たり、今度は多少できても

「自分なんか全然ダメだ」

と過小評価して凹む。

それでもやめずに精進して上達して経験も豊富になると、冷静に客観的に自分の能力を見極めることができて、妥当な評価を下せるようになるという現象ですね。

コンピュータOSのLinux開発者、リーナス・トーバルズ(Linus Torvalds)氏がイベントで着ていたTシャツに

ワタシハリナックスチョットデキル

と書いてあり話題になったのをご存知の方も多いかと。


基本的には俗世では、何事をやるにもこの効果というか現象は起きるので、

・初心者のうちは浮かれないこと(自分で思うほど有能ではないので)
・中級者になったら凹みすぎないこと(自分で思うほど無能ではないので)
・上級者ってスゲーよな

という教訓で捉えることが多いようです。そして妥当だとは思います。

が。

ここではあえて、思考が現実を創るという霊的な観点での意外な効用について触れてみたいと思います。

あなたの周囲にいる、まさにダニング=クルーガー効果でいう初心者状態にあてはまる人を思い浮かべてみてください。
たいして(あるいは全然)できもしないのに、なぜか本人はできるつもりで自信満々な人。
自分自身がまさにそうかも、と思う謙虚なメタ認知をする人もいるかもしれませんね。

で。

その人の現実って、わかりやすく中級者や上級者より破綻したショボいものになっていますか?

そりゃ、ちゃんと大成功した超一流の人たちとは明らかな差が現実面(職場やそこでの待遇(職位や給料など))で現れてるのはどの分野でも同じかもしれませんが、どんぐりの背比べ的な段階でいえば

そこそこ以上にデキる人と同等の豊かさや権利、幸せを謳歌している

とは思いませんか?

能力の差と同じだけ、現実面での恵まれ度合いや、ブイブイ言わせ放題度合いに差がつくわけではない。

これって、どうしてだと思いますか。

そりゃ、現実はいろんな側面があるので、因果関係を正確に示すのは難しいんですけど。。。

霊的な面から(乱暴に)言えば

ダニング=クルーガー効果のおかげで、出来の悪い人は思考では「私はでき(て)る!」という想念を能力以上に強く持てるので現実創造につながるポジティブな想念にパワーがあり、結果として中上級者と遜色ない恵まれた現実を創造できてしまう

ということが言えるのです。

俗にいう「プア充」はその典型例ともいえて、学力も学歴もその他いろんな知識や技能がないないづくしにも関わらず、仲間とつるんでいつでもハッピー!でこれといって貧しい不幸な想いや境遇に苛まれることもなく、つつがなく結婚してバンバン子どもを産み、みんな元気で健常で健康で……というあの(郊外のAEONなど大型スーパーやショッピングモールの安いフードコートの一角を一家で占領してガツガツ食ってる)よく見る光景を実現できるわけです。

自分に能力がないことでクヨクヨしていない想念が、意図が、思考が、頭の中どおりの浮かれた陽気な現実を創造できてしまうのです。

なまじっか勉強を頑張って進学校〜難関大学を経てそれなりの会社に就職できてるはずの人たちの方がなぜかパッとしない現実に留まっているのも同じ仕組み。
ダニング=クルーガー効果でいえば中級者の、実力があるのに過小評価して「自分なんかダメだ」と思うフェーズにいる人が、その思考によってショボい現実を作ってしまうのです。
そして、それよりもハイグレードな現実を謳歌するには、もっともっとすごい実力をつけないとダメだと思い込んで決めつける。
(実際そうでもないと周囲の様子を見て気づいても、自分の思考の枠組みを頑固に固辞してしまうため受け入れないのもあるある)

これってよくできた仕組みだと思いませんか。

初心者のうちはダニング=クルーガー効果のおかげで創れる現実が実力以上の下駄を履かせてもらえる。中上級者はその逆というかで、

ようするに実力がどんな状態・段階の人であっても(よほど別にブーストする要因でもなければ)創造する現実が同じようなところに落ち着く

んですよ。

これを恩恵と思うか、皮肉と思うかは個々人の判断といえるでしょう。

--
せっかくなので対処法についてもヒントを。

無能〜初心者は恵まれているのでよかったですね、で終わりにして。

できてるわりにショボい目に遭う中上級者については

・この記事に書いてあるような要因で自分が実力よりもショボい現実を創ってしまっていると感じたら、その思い込みを解放する
 (ある分野の能力値がすなわち周囲の現実のありようを全て決めてしまうわけではない)

・勉強を頑張っていい会社に入って……という、上を目指すコースで生きるならば、中上級者が陥りがちな過度な否定に自分が陥らないように留意すると共に、全然できない人たちがおめでたい勘違いゆえに良い現実を創れてしまう仕組みが霊的摂理にはあることも知って「なんであいつは自分より出来が悪いのに良い思いをしやがって」的な嫉妬、理不尽感を抱かない
 (勉強や仕事を頑張るのは、すなわち現世利益でいうバブリーに得するのとは別の動機・目標で取り組む)

らへんが肝要かと。

「えー、そうなんだ。でもこの記事を読んだだけじゃ、ちょっとまだわからないなぁ。自分の場合はどう捉えればいいんだろう?」

と迷ったら……。

ご依頼、お待ちしてマース!!(←正しい宣伝ブログの〆め方!)

ホワイト社会にホワイトな人が活躍することへの警鐘をあえて鳴らしてみる

ひと昔?ふた昔?前に

「ワルがかっこいい」

といって不良などようするに悪が強い&正義とされたかのような時代がありました。

が、今は一転!? 過剰なまでにホワイトな価値観が台頭してきています。

このホワイトについても、ある意味では漂白剤で強制的にいろんな色合いを消してしまうような暴力性があると感じており、なんなら小学生の

「いーけないんだ、いけないんだ、先生に言ってやろ」

と同じ攻撃的でサディスティックで意地悪な要素が内在してること(人)もあって現状はなかなかですねぃ。

実際、アースエンジェルと呼ばれるような、天使の魂(のかけら)を宿した魂を持つ人間は、これまでの時代は世間の「ほぼブラックなグレーゾーン」に馴染めず、愚直に白い部分を出しては笑われ卑下され否定されベタベタに汚されて泣きをみていました。
そこで
「ブラックに汚れたほうがいいのか」
と思い込んであえて泥の中にダイブしてそれはそれで周囲から笑われたり変人扱いされたりと、いろいろ塩梅が不器用な様で冷や飯を食わされてきた、上手に立ち回れなかった人が多かったように思います。

それが急速に進む社会のホワイト化の中で、ようやく水を得た魚のように活き活きと立ち回ることができるようになってきた。

本人の努力ともまた別というか「リンク」して、アースエンジェルやアセンデッドマスターのパーティクル持ちの人たちが、その魔法のようなスピリチュアルパワーで、普通なら考えられないくらいの躍進を遂げます。

ファッションじゃないけど、流行は巡る……んでしょうかねぇ。
(逆にいうと、流行り廃りの巡りの中に並列で位置付けられるようなものなんでしょうかね、ホワイトもブラックも)

で。

私が警鐘を鳴らしたいのは、

ホワイト至上主義という、まるでとある政党が与党になって独裁的な政治を行うみたいな考え方に陥ると違うよ

ということです。

白も黒も、絵の具のパレット、光のスペクトラムのように、全ての色(色≒光がないという意味での真性の闇、つまり黒も)が一式、どれも欠けずに揃ってはじめてこの宇宙は成立しています。
そのうち、どの色が「好きか嫌いか」程度なら個々人の自由な価値観でいいと思いますが、何かの色を

「存在するべきではない、存在するべきではなかった、もし今後また存在が認められたらすみやかに抹消すべき」

とまで捉えてしまうと、結局は宇宙の本来のあり方を(部分的にせよ)否定することになります。
それって真理をくまなく見渡せてるとはいえないですよね?
(その上で『知るかボケ!私は白が好きなんだ!純白最高!』といって白いペンキで世界中を塗りたくってうっとりする方に行きたいですか?)

もちろん

「ブラックも大事だ!オラァ!!!」

といって、黒いペンキを塗りたくるのもお門違い。
違う、そうじゃない。

白はすべての光の周波数の集大成である

という基本に立ち返りましょう。

そのホワイトは、他の色を否定する白ではなく、すべての色を統合した結果であるべきです。

ちょっと抽象的ですかね。

でも、ここ。これ。

ここを踏まえるのです。

それは漆黒の闇をも包括します。

白と黒は、ぶつかりあう対立の関係性ではない。

スピリチュアルは、とかく頭の中で好き勝手に空想できて理論と称する勝手な言い分をでっちあげやすいですが、

物理的に観察しうる自然法則のなかに見られる仕組みをもとに、そこから逸脱していないかという視点を持つ

のは大事なのではないかな、と。

だってこの世はホログラフィック。

いろんなものがあるように見えますが、あるひとつの原型、原形といったものが万華鏡を介すと複雑な模様に見えるように乱反射して成立しているのです。

だから、どんな小さいもののなかにも、大きなもののなかにも、とある共通の真理としての原則が見出せます。

それは光彩についての物理的な仕組みだろうとスピリチュアルな摂理だろうと同じこと。

何かはこうだけれど、別の何かは違う仕組みで成り立っている……ということは、ありません。
(そういえばいましたね、『私は他とは違う光をもとにしてできている!』と豪語する香ばしい(役を買って出てくれた)方が)

そこをふまえての、ホワイト社会。

それは単純に、光源が強くなったから結果的に白く見える部位が増えたという意味でのホワイトであって、他のさまざまな色を白のペンキで塗りつぶすものではないのです。

ただ、「光源が強くなった」というのはようするに、波動といってもなんでもいいですが、以前よりもバージョンアップ、パワーアップした時代になっていってるということ。

それについていけるタフで強靭な諸々一式を備えた人でないと、ね。

そしてその強さは、ついていけない人や何かを攻撃して淘汰して自らがホワイトキングとして「勝つ」ために使うものだと思いますか?
(そこでいう『勝ち負け』って、なんでしょうね?)

なぁんてね。

小難しいこと考えないで気楽に生きたほうが幸せ、という考え方もありますよ?

一人一人がそれぞれ選んだ考え方や生き方で、いい感じにこの人生を楽しめるといいですね〜♪