ヒーリング全般

自分の考えや価値観としてセラピストを仕事としてやっていこうと思っています

シータヒーリングの初回お試しレッスンを受けてくださった方からの感想いただきました。

先日スキルアップレッスンを受講した者です。
その節はありがとうございました。

あの日は刺激が大きくて、考えると位より不思議な感覚でふわふわとした感じがしながらも、ずーんとくるような不思議な感覚でした。非常に眠たくてなんとか自宅に戻りました。
いままで周囲の価値観に流されていた、というよりも恥ずかしながら自分で考えたりするのが面倒なので誰かにのっかかってようなんて思っていたところがありましたが、すっぱりと辞めて自分の考えや価値観としてセラピストを仕事としてやっていこうと思っています。

前置きが長くなりましたが、スキルアップレッスン60分を月に2回、3ヶ月継続して受講を希望したいと思っています。
どうぞよろしくお願いいたします。

あざす。

実はこの方のレッスンを担当する前まで、何人もの方のレッスンで「こんなんでいいのかな」と思っていたりしたのですが、我ながらすごいレッスンができて自信回復させてもらう形になっちゃいました。その意味でも、あざす!

というのも、それぞれレッスン生さんは真剣だし本気なのだろうけれども、ブロックがあったり気分の上下も、忙しさの変動もある大人だから仕方ないのかもしれないけど、出した課題を全然やってなかったり、レッスンなのに技法の習熟と関係ない悩みの相談をされて「それってセッションじゃね?」感が出たり。

ブロックあって仕方ない、というのもわかるし、ある意味ではこちらはお金を出してもらっている側なので、レッスン生さんは生徒でもありつつパトロン的要素もあり。

べつに義務教育の学校の先生でもないし、そこまでレッスン生さんにこちらが強制力や支配力を発揮するのも妥当でない感じなわけです。

で、甘い顔というとなんだけど、優しくレッスン生さんのペースに合わせると、まるでこちらの忍耐力の限界を試すかのように、次から次へと、ちょっと信じられないような無気力だったり不真面目に思える反応が返ってきたりで、正直、困惑しました。

で。

この感想をくれた方は、久しぶりに正統なレッスンだなぁと思わされる感じで。
習ってみたけどわからない疑問点をあらかじめ精査してきてくださり、ここがわからないんですがと言ってくださり、そこに対してアドバイスをしたところ、レッスン生さんが膝ポンポン連打、みたいな流れ。

そう、これなんですよ、私が理想とするレッスンは。
(私側の理想でしかないので押し付けたりしないけど、自然発生的に、レッスン生さんのほうでも私の理想と同じものを望んでいて、まさに共同創造という形で素晴らしい学びの場・時間が成立するって素敵だなぁと胸のすく思いでした)

どうやらこれから、そこまで以前ほどヒーリングのために時間や労力を割けないスケジュールで動いていくことになっていくような気がしているのですが、なのでというかだからこそというか、ほんとにお互いのためになると感じる方には、なんとしてでもレッスンお応えしていこうと思う所存です(それ以外は……)。

なあんてね♪
みなさんあってのものだねですから。
これからも、ヨロシクオネガイシマース♡
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傍目にはなにもしていないように見えても、 私がここ数年学んできたことやあれこれ考えてきたことはエネルギー的には大きな動きとなって表れている

(私ではなく)認定ファシリテーターさんが開催するセミナーでマルチプルアバンダンス中級を受けられた方からの感想いただきました。

「エーテル体を観る」の実習のとき、ファシリテーターさんから
「今いろんなことを学んでらっしゃるからアストラル体の表象の動きが激しくて、どんどん消化吸収してエーテル体に移行していってる最中、って感じですね」
と仰って頂いて、自分でもなんとなくそれが感じられました。

ここ数年引きこもりに近い生活をしていて、
家族や友人から散々
「もっと外に出たほうがいい」とか「働け」と言われてきたので、
自分でも「もっと精力的に動いたほうがいいのかなぁ」という焦りとそれができないジレンマがありました。

この実習を通じて、傍目にはなにもしていないように見えても、
私がここ数年学んできたことやあれこれ考えてきたことはエネルギー的には大きな動きとなって表れているということ、
今はわかりやすく目に見えて大きな行動をしてはいないけれど、
今、内的に消化吸収していることが、ちゃんと自分の本当にやりたいことや、多くの人の内在的需要を満たすための行動に繋がっていること…などが感じられて、安堵感を覚えました。

・豊かさ波動チューナーの完璧化
・豊かさ創造の見届け力UP
の実習を通じて、
「今現在の内的なエネルギーの流れが現実に結実するのを、焦らずのんびりと楽しんで待つ」
という感覚もじわじわ~っとわかるようになってきた感じがします。

今回マルチプルアバンダンス中級で提供して頂いたエネルギープログラム群、
いろんな生き辛さを抱える人や、
「やりたいことはあるのに行動に移せない」
「やりたいことが特にない・わからない」
という人たちのサポートにもとても役立てられそうだと感じています。

本当に素敵なエネルギープログラムをどうもありがとうございました。

ちゃんと働く、ってとても大事とか、あるいは社会人なら当然、といわれやすいですが。

ただ単に、その仕事が他の人にとってどう意義深いものなのかそうでないのか、自分の望む人生の実現にどう寄与するのかそうでないのかを考える視点は、これからの時代は特に個々人が考えなければいけないことだと思っています。

ただでさえ、ブラック企業と呼ばれるような待遇の悪い会社が多くなってきていたり、従業員を物みたいに使い捨てる気満々の、目先の金しか見えてない経営者(と呼べるほどちゃんとしてないと思いますが)が増えたりしています。

それに加えて年金制度が将来どうなるのとか、物価が上がると貯金しても相対的にその金額が持つ価値は下がるよねとか、資産形成という点でいえば不利となる要因のほうが多い時代ともいえます。

そういう世相で、とにかくどこでもいいから会社か何かに所属して、あるいはバイトでもいいから働きに出て、どんな薄給でもいいから文句を言わずに働いていさえすればそれはとても立派なこと……というのは、一見とても立派なようですが、実は細かく現実的に物事を考えていない雑な乱暴さゆえの怠惰です。

これはべつに、甘えとしていつまでも親などに依存していていいとか、不当とされる条件で生活保護をうけてだらだらすることを肯定するという意味ではありません。

ただ、働くは働くでも、せっかくなら、自分にとっても他人にとっても、ひいては社会にとっても意義のある仕事をしたほうがいいし、利益は(その利益を感謝して払ってもらえるなら)最大化するにこしたことはないと思っています。

その、自分という材料を、資源の価値や労働対価、なんなら働いてる時間の幸福度など精神的な充足面各種を最大化するという意味でも、ただとにかくなんでもいいから嫌でもどこかに今すぐ就職してがむしゃらに働け、というのは望ましくない可能性が高いという意味です。
(まあでも若くてほんとに甘っちょろいだけの、20歳だかを超えただけのガキなら、どんな非生産的でもやりたいことじゃなくてもいいから仕事して、大人が捉える『働くとはどういうことか』くらいちゃんと覚えて、理不尽でもなんでも耐えらえるようにしとけばいいんじゃないのと個人的には漠然と思う程度にはオジサンですが)

たとえば私の場合、ある仕事を視野に入れて最近、本格的に動き始めたのですが、その仕事を斡旋してくれる立場の人から
「どうしてあと10年早く来なかったの?その頃に来てくれたら、いくらでも案件があったのに」
と残念がられたことがありました。
確かに、もう10年早く、嫌々ながらも「それはきっと良いことらしいから」と会社勤めなんかしてないで、思い切って辞めてすぐこういうところに来れば別の展開もあったのかなと思います。
(まあでも年齢的には若くても、その年齢だったときの自分の未熟さやエネルギー波動の低さ、抱えていたブロック、世渡りするうえでのおぼつかないスキルetcを考えると、ほんとに10年前に来たところでたいしたことはできなかったとも自己分析しています。若いとされる20代の頃、世間的にも今ほど若さ至上主義ではなくてむしろぺーぺーは早くベテランになれ的な雰囲気でしたし、10~20代の頃からどういうわけか頭角を現すタイプの即戦力的な才能というかセンス、実力といったものを自分が持っていないのも自覚していました。それを会社勤めなどで時間を奪われることなく補うため、たっぷり自分のやりたいことのために時間を使えるようにと、ヒーラーとして独立し、少ない労働時間で稼ぎ、確保した時間で芸事など諸々を磨くことに充てるということを10年近くしてきて身についたことがあるからこそ、今、目をかけてもらえているのだろうなと思っています)

ここらへん、難しいんですよね。
どっちが正解だったか得だったかというのは、どちらかしか選べない以上、「もしそうでなかったら今ごろどんなだったか」は想像するしかなくて、正確な比較はできないからです。

でも、というかだからこそ、「とにかく社会人になったら働くのが偉くて立派というか普通(そうでないならクズ)」という安直なキャリア理論(ってほどでもない雑な考えだけど)を鵜呑みにして、どんなにつらくても先が見えなくても給料が安くてもとにかくお世話になったところで頑張れ、というのは、(古来からの日本人的美徳観念・道徳観念からすると大変立派に見えますが)あぶなっかしいなぁと思っています。

何かに挑戦するということ自体、失敗してもともとではありますし、ずさんに向こう見ずにポーンと清水の舞台から飛び降りてほんとに取り返しがつかない大失敗をやらかすというのはかんがえもの。
でもだからといって
「ちゃんと会社で働いてる自分は立派」
ということにして思考停止してそれを正当化し、ただつらさに耐えて「ほら、ちゃんとつらいことに耐えてるから自分は立派」ということにして時間を過ごしてしまう……というのは、一般的に成功できてる人たちの観点からするとまさに「最低最悪の選択」ということになりそう。

先日、某外資系保険会社が「前職までの経験を問わない管理職募集」をかけたことがありました。想定年齢は30~40代で、普通なら同じ業界での経験や管理職経験がなければ中途で管理職募集などしないものですが、例外的にやってみたわけですね。
そしたら。
せいぜい全国で20名、採るか採らないかの枠に、

1万人以上の応募があった

んです(直接、その会社の人事担当者から聞きました)。

その求人告知自体、そこまで大々的に広告宣伝したわけではなくて、普通に働いていたら「え、そんな会社がそんな募集をかけたたの?」と気づかないもの。

でも、いわゆる転職サイトには求人を載せたわけで、それを逃さずチェックして、応募した人が日本だけで全国に、しかも新卒でもなんでもない、30~40代で毎日会社などで働いてる人たちが応募したという事実。

ニヤリ、とほくそ笑んでしまいました。嬉しくて。

「やりたいことはあるんですけどぉ~、どうしてもできなくてぇ~。腰が重いっていうかぁ~。今はそういう時期じゃないのかなぁと思いもするんですけどぉ~」

とスピっ子ちゃんたちがそれぞれの段階でいつまでも何段階にでも詳細に精緻にご丁寧に躓き続けてる一方、ちゃっかりしっかり、会社で明るく同僚に挨拶して、いかにも会社のために頑張るぞ的に働いて成果を出したりしつつも、自分の人生はそれはそれで会社に尽くすこととは別に考えている。有利?に思える、チャンスのように感じる求人案件を探して、見つけたら応募してるわけですよ。それが全国に1万人いる。
落ちたり、内定しても条件に納得できなかったり気が変わったら蹴ればいいんですからね。応募する前にためらう理由は、何もないわけで。

かつてはそうして、忠誠を誓う会社に正社員だかとして勤めておいて、ましてや管理職にまでなっておいて、転職活動をこっそりするなんてこと自体が罪と捉えられる風潮もありました(今も一部にはありますよね)。

でもさ。それは厳密にいえば犯罪でもなんでもないし、会社に尽くすだけ尽くしたところで報われるとは限らないとか、いざというときはそれまでどれだけ長く忠実に勤めたところでクビを切られるのは一瞬なんだなとか、リストラの横行や大企業の急激な経営悪化、倒産事例などでみんなわかってるでしょ?(それでも認めたくない、あくまでちゃんと勤め続ける自分は立派で偉いという妄想に浸ってたい弱いズルい人はいるでしょうけど)

自分のキャリアは、自分でどうにかするしかないんですよ。

で。

長くなりましたが、マルチプルアバンダンスは、特に中級は、自分が持つ豊かさ創造能力各種をチューンナップすると共に、自分に適した生き方や生活サイクルを拡充しつつ知る内容が含まれています。

いま理想の仕事に就いている人はさらなる飛躍のために、目指す仕事のため自分を磨いている人はその磨く道具の一環として、嫌で報われない薄給の仕事に耐えていたり、仕事をしようと思ってもできない状態で悶々と、あるいはぐうたらのんびりしている人。どの人にも、役立つようにデザインされています。

使いたければ使うといいかもですよね。

あと、働かなくても生きていけるなら働かなくてもべつに犯罪にはならないし、そこまでいわゆる労働生活が尊いとも個人的には思いません。

でも働くにせよなんにせよ、トシのわりに経験が少なくて世の中のことや人の、特に働くでもなんでもいいから一筋縄ではいかない世間というものとしっかり向き合って取っ組み合ってしっちゃかめっちゃかどうにかできてる人のことやそうしたからこそ身についていくものを知らない人は、年齢が上がれば上がるほど、非常識というか、言ってることがズレてるように思えて魅力的に思えず尊敬もできない、できれば付き合いたくない、付き合っても面白くない人だと思われる可能性はどんどん高くなるでしょうね。

それでもいいよ、というならべつにそれでもいいと思うんですが。

でもだとしたら本格的に、なんで生きてんのって話になるんですかね。

大金持ちで親が面倒みてくれるとか、その親がいつか死んでも遺産がっぽりとか、とにかく生きるのに困らないならまぁ、なんでも甘々でのほほんといつまでもしてればいいと思いますが。

どんだけそれまで無職でもトシいってても、俗世間で通用するスキルや感覚、知識も何も持ってないとしても、たとえば培うべきものを培っていて小説か何かで評価されるなどの道もあるので、そういう可能性や指向性での活躍も含めたら、もう何が正解かは本格的にわからなくなっていきますけどね。

ちなみに、私自身、まだ40歳にもなってなくてこう言うと恐縮ですが、年齢が上がれば上がるほど、働くにせよ遊ぶにせよ、何をするにしても、ハードルというか、基準というか、「これが普通」というのが上がっていく印象はあります。

いつまでも、「やろうとは思ってはいたんですが、でもぉ」のままで、働いた経験もなければ、かといってそのへんの勤め人にはできないような豪遊経験や、話題になるような破天荒なライフスタイルの構築と実践、そういったものの何もなく年齢だけが上がっていくと……。

それはそれで、それだからこそ見えてくる展開があるのかも!?

ということで、そういう人生の過ごし方をしている方はぜひ、それをいつまでも続けて、10,20,30年後とかに逐一、

「こうなったよ」

と、有様を見せてくださると嬉しいかもです。げんなりするかもだけど。

「世間的には働いてないけど私はスピリチュアルなことは何もかも理解できていて悟りを開くことができている、優れた魂の、洗練された霊性の人間です」

とかふんぞりかえるとしたら、そのおめでたさはそれはそれで個性。

みんな違って、みんないい。

ありのままで?
自然に無理せず?
現実で通用しないのにスピはわかってるってことにして?

まあでも新鮮なライフスタイルですよね。旧世代にはあんまりいない。
(何百年も遡ると、それはそれで一定数いるのかしら)

昔話の「山ん婆」とか「鬼」って、たぶんコミュ力(こみゅりょく)低いとか奇形とか障害とかいろいろあって村での集団共同生活ができなくてあぶれて、山奥に引きこもった的な人だったりするんじゃないかなぁとも思うし。
それで自給自足で基本的に食うものもままならない生活だったら、村の子供が山に迷い込んできたら、そりゃ、捕まえて食うことだってあるだろうし。

どんな生き方をしても、その生き方なりの「次の結果」は出るし、それがどんな(嫌な、不幸に感じる、悲惨な)ものであれ、出てきちゃった現実からは、いくら頭のなかで現実逃避プレイをしようがなんだろうが、本当に完全に逃げ出すこともできないわけだからねぇ。
ほんとにこの時空間にいる今の状態を変えるには死ぬしかないし。
死んだところで輪廻転生を無限に繰り返すわけだから、またこの世に戻ってきちゃうし。

マルチプルアバンダンスは、それまでいくら個人的に?頑張ったりしても変えられなかったこと、気づけなかったこと、変われなかったことetcを変える可能性を持ってます。
マルチプルアバンダンスの基本設計思想がお金という豊かさに限定や固執してない理由はここにあります。
ある一生で大金持ちに(しかも、宝くじや相続など自分の行動を通じての結果ではないのに)なってしまったところで、お金を使って味わえる贅沢やらは味わえたとして、それ以外は、それ以上は、手に入りません。
(世界最高級の何々、というのを、たとえばネットなどで調べるだけ調べてみてください。豪華ではあるでしょうが、ホテルでも車でも、そこで寝るのは庶民と同じ、それに乗ってどこかに行くという経験内容は庶民と同じなんです。なので、文字通り、魂に響くような、霊的な気づきや成長を得られるような、本当の意味での、あの世にも来世にも持っていける『魂の輝き』という豊かさは、お金だけポンと渡されて好きなように使ったところで、手に入りません。そしてある一生で、怠惰な金持ちとして過ごした人は、それ相応のカルマによる学びがふさわしい来世になります。さぁ、はたしてある一生でなぜか大金だけ手に入ってしまうことは、『豊かになった』と言えるでしょうかね?)

面白そうだったら、受けてみれば?
(べつに結果は保証しないけど&本人に準備が整ってなければ、いくらマルチプルアバンダンスかけても何も効果が出ないようにわざと設計してあるけど)

ヒヒーン!(←馬の鳴きマネ)

「やらなきゃいけない」という勝手な思い込みで七転八倒してきたこともきれいお掃除していってくれた

新規にマイティピュリフィアのユーザー登録をして使い始めてくださった方からの感想です。
マイティピュリフィアのユーザーで、使い方などをシェアしあう、チャットワークのグループ上に投稿いただきました。

皆さんの実践方法をこの様なわかりやすい形で拝見できてとても感激しています。

どんどん使いこなせるために1つ1つじっくり取り組んでいる最中です。

マイティを使い始めてまだ数日で小さな事ばかりですが以下に記します。

◯一晩で庭の植物が思いがけないほど成長していたこと。春という季節への変な思い込み→自分勝手な季節観にとらわれていたこと等

◯疲れた家族に承諾を得てかけ、お互いに体感があったこと。(とてもわかりやすい、ということ)

◯家の下水の流れがとてもよくなったこと。掃除系は使う度にスッキリ感半端ないです。

また、初日以降瞑想に入りやすくなり自己ワークが楽しくて仕方ないハイな状態が続いています。

今まで「やらなきゃいけない」という勝手な思い込みで七転八倒してきたこともきれいお掃除していってくれた様で、とても新鮮な感覚でワークできます。
今後も思う存分、使わせて頂きます^ ^

あざす!!

義務感とか焦燥感、強迫観念で「スピリチュアルなこと、立派な生き方しなきゃ!魂をクリアリングして、ブロックを解除して、霊的成長を遂げて、美徳を身につけなきゃ!」みたく生きると窮屈ですよね。しかも、そんなに踏ん張ったり頑張ったりつらいのに耐えるようなやり方や心得でほんとにその分だけそうじゃない人より出来・成果がついてくればいいけど、そうじゃなくて空回りしてると最悪w

楽しく日常を、身の回りで見聞き体験して手がとどく範囲内を、「いい感じ」にしていけば、それが結果的に、急がば回れ的に、あとあとから振り返ってみたら、最善だったんじゃないの、みたいな?

なんにせよ、マイティ楽しく使っていってくださいませー。

P.S
マイティピュリフィアは今現在、公式サイトを整備中です。
私(usamimi)のほか、数人のディストリビューターと呼ばれる人がアチューンメント権限ある、高次元エネルギーです。

興味ある方はお問い合わせください。または公式ディストリビューターの方どなたからでも伝授してもらうことが可能でッスル。

マルチプルアバンダンスはドラゴンクエストの職業システムのよう

マルチプルアバンダンスを受講してくださった方からコメントいただきました。

ドラクエ新作発売のニュースを見かけてふと思ったのですが、
マルチプルのプログラムは、ドラクエのようだなと。

わざやまほうを覚えてスキルを上げて職業を極める。
さしずめ特級は、専科の意味合いがあって、
どのクラスを選ぶかで極める職業が変わってくるような。

ワクワクするようなプログラムを作って下さってありがとうございます。

自分でも思います。

というか、特級はもともと「専科」と命名しようとしてました。

で、べつに上級まで受けた人がいちいち、すべての特級とか、受けていかなくてもいいよなぁと思ったんです。
実情はというと、上級まで受けた方がほとんどすべて?の特級を、折を見て順に受講してくださっている感じになっていますが。

しかも、次々に増やす気もなくて、天上の存在たち1つだけが例外的に特級、というので終わるかもと思ったんです。

でも、まるでシリーズものの小説のように、自分自身がいろいろ学びや気づきを得ていくなかで、ある意味では作品として、結果としてどんどん増えていってます。まぁそれもべつに悪いことじゃないよなぁ、と。

で、当初は、特級は一律千円の受講料にしようとしてました。
が、これ、受講生さんたちのほうから

「こんなに素晴らしいものを、いくらなんでも千円で投げ売りみたいにしてしまうのは、usamimiさん自身の虐待でもあり、マルチプルアバンダンス特級のプログラムのダンピングになりますよ。不当です」

とのお声もあり、また私も、そんなちゃっちゃとラクしてつくってるプログラムでもないことから、お言葉に甘えて、一律1万円に、0を1つ増やさせていただくことで落ち着いています。
(もしそれで『ほーら、本性を見せやがったな!金の亡者め!そうやってズルズルと受講生をカモにして、たいして中身もないクラスを増やして、金だけ稼ごうとしてるんだろう!』とか言う、受講してもいない人が出たらべつにそんなの耳を貸すまでもないと思ってます)

自分で言うのもなんですが、マルチプルアバンダンスに出席される方というのは、そんなに愚かで、迷信や妄想を現実と取り違えたような迂闊な人たちではないと見ています。
(特に『上級の壁』とでもいうべきもの?があるのか、そこまでエネルギーワークに精通していなかったり、単純に高い波動に耐えられなかったり、霊的真実より現実社会にはびこる誤謬のほうを信じることで弱い自分を護っていたい状態・段階の方などは、上級を受講できずに中級を受講して止まってしまうんです)

だから、いくら多少以上、面識のある馴染みの受講生さんとはいえ、迂闊なプログラムや講座を提供したら、一瞬でバレます。
べつに受講生さんたちは私の僕(しもべ)でもイエスマンでもなく、純粋に、もし私が提供するセミナーやエネルギープログラムが良いと感じたら出るという独立も自立もしたスタンスの方ばかりなので、変なものを提供してもおべっかやお世辞で褒めるということは、しない人たちです(だから私も信頼できます)。

顔なじみではあっても、実質的には、会うたびに、初対面の厳しい基準でこちらの仕事を審査・査定・評価する関係性をキープできていると個人的には感じています。

そして、つくってるとき私自身はそんなに意識しないのですが(というかたいてい、『特級にしては小ネタすぎ&内容が簡単で退屈じゃね?あんま意味なくね?』と思って作り始めることが多いのですが)、特級は上級までよりはるかに高度?な内容のようです。講座の内容にしろ、プログラムの働きかけるポイント&働きかけ方にしろ。てへへ、照れるぅ〜。

で、特級同士でいっても、難易度というかには若干?、バラつきがあります。

=マルチプルアバンダンス特級一覧(2017年4月時点)=
・天上の存在たち
・エナジー抵抗値&エネルギー的アレルギー測定
・集合意識的相性診断とヒュプノティックリズムDJ
・ルーツマイニングと倍音共鳴
・太陽光との対話
・王の帰還

大別すると「診断系」と「エンパワーメント系」になるのですが、診断系のほうが、(霊視のビジョンを見たくないというブロックがあると難しいけど)自分自身の波動の高さや人としてのエネルギーの立派さに関係なく、あれこれ頭でっかち?にでも、アドバイスしていけるようになるという点ではとっつきやすいかもです(その代わり、霊視で観えるビジョンを精緻に読み解けるかというチャネラー・エネルギーワーカーとしての経験則的な能力が大きく問われます)。

ひるがえって「エンパワーメント系」は、自分自身がその時点の限界を超え、これまで踏み込んだことのない境地へ、次の波動の高さへと変化していくので、いろんな意味で、チキンだと無理め。

現時点の特級のなかで、もしほんとにちゃんとやろうとしたら、まずそのクラスに出席できるかという点でも、使いこなし方の難易度、そして使って行った先に自分がどこまで伸びられるか&霊的成長を遂げられるかという点でも、

王の帰還

が最高なのかなぁ。

あ、ただしマルチプルアバンダンスのすべてのプログラムの特徴として

その人が無理と感じるような強すぎる変化や衝撃、霊視ビジョンを与えることはせず、ちょうどいい具合に効果や見せる霊視ビジョン内容がカスタマイズされる


というのがあるので、しょぼめの人でも、王の帰還、クラスに出られるっちゃ出られるし、形だけでいいなら修了できるし、そこで受け取ったプログラムも使えはするでしょうね。

ただそれだと、あんまり効かないことになります。
(その人が今の自分を超えて成長することを拒む心理ブロックなどについては、マルチプルアバンダンスではなくて、別のヒーリングメソッドや心理学?自己啓発?純粋な内省などなんでもいいので気づいて払拭しないと、マルチプルアバンダンスのコマンドだけ何度かけても、空振りし続けます←マルチプルアバンダンスを受けて、プログラムを何度も流してるけど全然効かないという人がいる場合があるようですが、だいたいこれが理由です)

同時に、マルチプルアバンダンスはその人の(霊的をはじめ、能力や霊的事象についての知識などあらゆる意味での)成長度合いに応じて無限に、その人にとって最適かつ最大有効になるようデザインされているので、「ここまで成長したらもうこのプログラムは不要」ということが基本的にありません。いつまでも、なんなら永遠に使えます。
(でもユーザー登録はこの一生だけで、肉体の死を迎えたときにユーザー登録が抹消されるようデザインされています)

我ながら、こんなに有能で使い勝手もよく、また幅広い人、文字通り万人向けにデザインされていつまでも役立ち続けるプログラム、よくもまぁ作れたよなと感心します。

それもこれもすべて、2015年3月のある朝、グラッチェガーデンズ久我山店でモーニング食べながらひらめいたことをその場でメモし始めなければ起きなかったこと。

あの朝が、あの単なる思いつきにすぎないようなことが、振り向けば、すべての始まりという奇跡的なときだったなんてねぇ。

そのあと訪れる、
「こんなくだらないプログラム、講座、いったい誰が受けるんだよ。受けたところで非難轟々に決まってる」
といった無限の、悲観的な自分の声の反響の嵐!脳内で自分を意気消沈させて、なんの変化もない日々をこれからも送り続けるように自分の足を引っ張る、自分自身の一部の本音。

それらをよくもまぁ乗り越えて形にしたなと思います。
そしてよくもまぁ、金とって告知して、人様に広めるなんて大それたことができたもんだ。

でも、それがなかったら、何も始まってなかった。何も変わってなかった。

で。

満2歳になったマルチプルアバンダンスですが、私が相変わらず、こんだけ目に見えず、世間一般の常識では怪しい疑わしいと言われるものを堂々と自信をもって提供し続けられるのも&新しいプログラムを開発し続けられるのも

なによりもマルチプルアバンダンスの効果で、創始者である私自身がどんどん全方向的に豊かになっていってるから

です。

よく、「ヒーリングをビジネスにしてる連中は金儲けのことばっかり考えてる」的な、心無いことを無責任に平気な顔して、さもそれがご立派な正論であるかのように言う人いるじゃないですか。

で、私自身のマルチプルアバンダンスについての本音でいえば

ほんとはいくらカネなんか積まれたって、できれば誰にも教えず自分1人でだけマルチプルアバンダンスの恩恵を独り占めしていたいくらい

なんですよ。w

だってほんとに効くんだもん。

それで妄想じゃなく、絶対に不可能だと思えたようなことが現実に起きる。
どんだけ願ったところで、どんだけ努力したところで、どうせ叶わないまま死ぬんだろうなと諦めていたような夢が、叶ってしまう。
常に常に、予想していた「たぶん、この先に進んだところで、せいぜいこんなもんだろうな」という自分の想像を上回る感動や気づきを、拓けていく現実を生きるなかで実感している。

そういう日々が、何年も続いてる。
たった2年、されど2年で、あの2年前の構想時点から、とても2年でここまで来られたとは自分でも信じられないほど現実が、上向き、お金の流れはもとより、度胸や知恵、魅力そしてその魅力をプラス評価してくれる他の人たちとの信頼や尊敬、感謝に根ざした人間関係……。そういうものが、わんさか、手に入ってる。どんどん増えていく。

自分でいうのもなんですが、セミナーを開催し続けているのは、ひとえに、私自身の

サービス精神

ゆえです。

これまた自分でいうのもなんですが、営業としての勧誘活動として
「マルチプルアバンダンス、受けなよ。受けるといいことがあるよ?」
なんてこと、一度も言ったことありません。
言うつもりもないし、言う必要もない現実がちゃんと成立してます。

マルチプルアバンダンスをできるだけたくさんの人に広めたいかと聞かれたら、
「受け取れるだけのところまで霊的肉体的精神的その他あらゆる点&面でこられて、かつ、マルチプルアバンダンスのプログラム各種が提供するものを良いと思って欲している人、その効果を恩恵と思う価値観を持っている人に届けばいいよね」
というのが本音です。

なんかねー、「いや、いまの時点のあなたがマルチプルアバンダンスのセミナーだけ受講して、プログラムの使用権限だけもらったところで、何も感じないでしょ。そんなブロックまみれでかけても効かないよ?」という人まで、なにか幻としての「すごいんでしょ?効くんでしょ?」という妄想的イメージ目当てに鼻息フンフンで受講に来られても、それはそれでなんかちょっと、ねぇ。。。(←なんだよ)

って感じです。

ちなみにマルチプルアバンダンスは、正式にファシリテーターと呼ばれる、講座を開催する権限を持った人たちがいます。
現在、初級〜中級〜上級までのファシリテーター、それに特級では唯一、天上の存在たちのクラスを開講して参加者にプログラムの使用権限を付与できるファシリテーターさんたちがいます。

ほんとはマルチプルアバンダンスの正式なWebサイト、今年の3月中にでも構築していく予定だったんだけど、いろいろあって延び延びになっててほんと申し訳ないです。

まあでも梅雨があける頃にはサイトも完成しているだろうし、どうやら新たなファシリテーター希望者、なかでもアクティブに講座をばんばん開講してくれて、人も集まってくる素養のあるファシリテーターさんたちが増えていく気配なので、なんか楽しみっスね。

あんまり細かくは言えませんが&言ったところで絶対にそうなるかはわかりませんが、私がこうしてスピリチュアルなことを表立ってできるのは、もしかすると、そう長くないかもしれません。

そのあとになって「講座を開いてください!」とか言われても、簡単には応じられない可能性もあります。

「いつか受ければいいや」

といって、まるで私がこのあと何十年も永遠に、定期的にマルチプルアバンダンスを提供し続けると思ったら、もしかすると大間違いかもね。(←なんだ偉そうに)

いや、べつにマルチプルアバンダンスなんざ受けなくていいんですよ。
そうじゃなくてもどうとでも素晴らしい人生は歩めますからご安心を。

マルチプルアバンダンスは、人の不足感や不安につけこんで金を巻き上げる霊感商法ではありませんので。

そこんとこ、よろしく!(←また若い子がわからないフレーズを……w)

フィクションで悪徳をコンプリートしよう!!

美徳を整備するといろいろ悟れて、悟れた分だけこの世の試練的な制限各種が不要となり(≒常に100点満点でテストを取れる子なら補習を免除される的なアレ)、念動力や瞬間移動など超能力とされるようなこと、通常の人間なら支配下に置かれ学びを示唆される法則各種からも例外的に解放され、それどころか法則自体の働きかけ方を自在に曲げてその恩恵にあずかれること(≒修学旅行などで、学級委員として先生側の動きをしっかりサポートすると、他の生徒は寝なきゃいけない時間や行ってはいけない場所などにも例外的特例的に免除されるアレ)が起きます。

超能力の発動のためには美徳が欠かせない、という説明がされることが多いですが、そうなると
「なんで超能力のために美徳が必要なの?」
という発想になり、「?」となりますよね。
逆……ではないんだけど、上記の説明のように「まだ学びの途中だから面倒で困難のように思える設定、人生に起こってくるトラブルの体裁をとった課題etcによってできることが制限されているのがいわゆる凡人あるある」と捉えれば理解しやすいのでは。

美徳があるから超能力が発動されるんじゃなくて、

神の一部である人間はもともと、神に等しくなんでも奇跡を起こせる能力を持っている(美徳パーフェクトがデフォルト)。
ただ、この時空間に生まれてきている「状態」が(いろんな事由で)本来の力を抑制されたものなので、超能力が使えない。
その代わり、この時空間にいながらにして、美徳パーフェクトな本来の姿に近づけば近づくほど、「本来の能力」としての超能力各種がまた使えるようになる


という流れ。

で。

そんなの無理じゃね?と思えるようなこの世に人間として肉体をもって生きながらにして、本来の神としての能力を取り戻していく。
それがまぁ雑にいえば、スピリチュアルに傾倒?没頭?する人たちが目指しているところなのでは。

ただね。

それ(≒神の一部としての本来の完璧な有様を取り戻す、近づいていくこと)はこの世の片方の側面でしかない

んです。

じゃあもう片方は?

美徳という実像に当たった光によってできた影とでもいえる、悪徳を知り尽くすこと

なんです。

これ、「えー、そんなはずない!」と、幼稚な善悪でいう善至上主義、二元性でいう光と闇の光側の人は思うんでしょうねぇ……。

で、(思いっきり説明は省きますが)、悪とされるものはすべて、根源としては創造主の光でできた、雑にいえばポジティブデガティブでいえばポジティブ、善悪でいえば善なものです。
その、歪んだらこうなる可能性があって実際こんなふうに色合いが変わりますよ、というものが悪なんです。
それか、完成形・完全体としての光を、まるで焼いたケーキの料理の過程を逆再生していくとドロドロの不気味?な液体になるみたいにして、不完全・未熟な状態にしてみたらこうなりましたよ、という加工。

いわば

悪(徳)というのは、本来は完全な神のエネルギーとしての光を、Photoshopであれこれクソコラした在り方(各種)のこと

なんです。

で、この例えからわかるかもしれませんが、パロディや模倣、意図的に本来の在り方を崩すその崩し方というのは個々人で異なり、「これでおしまい、バリエーションのパーフェクト」という終点はありません。無限です。
(このことは、『フラワー・オブ・ライフ―古代神聖幾何学の秘密〈第2巻〉』にある、ルシファーが円をなぞっていくと割り切れない数になるので無限に花びらみたいな曲線が複雑になっていく図を見るとパッと見でイメージしやすいかと思います)

というように、悪は本来の光のパロディなので、波動のクソコラ職人として命を懸けるわけでもないなら、あんまり悪のバリエーションという「作品」づくりに全力を投入してしまうのも考えもの。
(でもちょっと前まで、悪のまさにパロディとしての形を人々が、特に未来ある子供が見ることで、そのパロディの崩し方の逆探知・逆再生(のパターンを身につけて)ができるようになることで、悪という歪みに免疫をつけて光を知る、本当の強い賢い人間になっていってくれという『善かれと思っての熱い想い』で、ひたすら悪のほうに突っ走る人たちがいたのは記憶に新しいのではないでしょうか。中世の酷い暗黒時代のそれぞれの国での陰惨な歴史、近現代でいっても、20世紀くらいのほんのちょっと前まで連綿と続いてきた、『なんかわからんけど善そのものをストレートにいくより、あえてヒネてひねって悪(ワル)として生きたほうがなんかスゲエ&カッコいい』感の、(いま思えばかなりダサい、けど当時はわりとみんな真剣にそう思っていた)トレンド)

悪のバリエーションは本当に無限で、今後も人類が存続していけば、新たに指紋から魂紋(こんもん)からあらゆるものがそれまでこの地球上に生きたことのあるどの人間とも違う子供としての次世代の人間が誕生して人生を歩んでいくなかで、それぞれがそれぞれの「作品」としての悪を無限に実現化していくことでしょう。
(これを悲しいと思うか腹立たしいよろしくないことだと思うかなどは個々人の価値観の問題ですが、客観的に見れば『その新たな悪のバリエーションがないままの世界』よりも、新たなバリエーションがある世界のほうが、豊かともいえます。まさに神が偉大な創造能力を持っていることを形で人間が顕したことになります。功罪という意味合いでの善悪で物事を捉えていると、この観点に到達できません&したとしても到底、認められません)

なので、このブログ記事のタイトル、悪徳のコンプリートというのは、厳密にいえば、できないことになります。

ただ、途中でPhotoshopの例を出しましたが、ほんとのAdobe社製品としてのPhotoshopをひととおり使えるようになるとわかるかと思いますが個々のクソコラ作品を具体的にどうやったか精密に説明はできなくても、

「あ、この背景にこの写真を合成して、色を変えて、ゆがみツールでここを歪ませたんだろうな」

と、だいたいその「やり方」がわかるわけですね。

で、それができるということは同時に、もとの画像がどんな(美しいもの)だったかも、見当くらいは、つくんです。

この世で悪がいろんなバリエーションで展開される根本意義はここにあります。

なにか唯一正当・正解という在り方があるとして、それはまさに「絶対、ありとあらゆる意味で&点で、そうじゃないと正解じゃない」わけですよね。
ということは、どこかがほんのちょっと違うだけで、本来の100点満点としての美しさというかは損なわれてしまうということになります。

ほんのちょっとでも何かがずれたり、うまくいかなくなっただけで、台無しになってしまう。
それって脆くて弱いと思いませんか?

一方。

本来の正当な完璧な光・美徳が歪んだ形としての悪をそこそこ以上に知り、何がどうなったから崩れた今の形になっているのか、元はどうだったのかをわかれば、強い。しなやか。

その高度な感性?コミュニケーション能力?情報というか波動というかを解析したりシミュレーションする能力?があれば、100点満点のものを常にやりとりしなくても、

歪んだ形から本来の歪んでない形に(想像などで)復元できるので、悪(ワル)っぽくありながら、おちゃらけてふざけたような在り方を通じて、実は創造主由来の完璧な美徳の素晴らしさを体現している、できている

ということになります。

ロックスターや破天荒な俳優、非現実的なおちゃらけかたをしたコメディアンなどの真骨頂、なぜにそういう人がそういう人たるのかの本当の理由はここにあります。

で。

本気で現実で、真実として悪を扱ってしまうと、病むよねw

だから、フィクションの体裁をとるの。

歌の歌詞や振り付け、踊りなどのパフォーマンス、冗談やジョークとしての会話、(ドラマや映画、アニメなど表現媒体・手法をすべてひっくるめた)演劇や小説などの創作作品の中で(善を内包した、本来の在り方のあえての暗号化、パロディとしての)悪を体現する


のが、粋。

よくさ、チャラい感じのノリや、ふざけた言葉のやりとり、悪辣で下品とされるような映画や、テレビのトーク番組。そういったものを眉を顰めて、それはいけないことだ、だめなものだという人いるじゃないですか。そういうものをなくそう、禁止(てか弾圧だよねw)しよう、というノリ、ありますよね。

ほんとに本人が糞も味噌もわからない未熟状態だから言ってることややってることがアレなのか。
それとも、高度な表現技法としての、あえてのおちゃらけ、おふざけ、お下劣なのか。

ほんとにスピリチュアルなことをわかってる人なら、このへんわかんじゃね?

わかるかなァ、わっかんねえだろうなァ。(←このネタの出典もなw)