ヒーリング全般

どうしてスピリチュアルを商売として金を介してやるのが大事か。

ツイッターに書いたことを転載します。

本日実施した、マルチプルアバンダンスの「愛のこじらせ見抜きセッション」イベントを企画&開催してみて振り返った感想。
信じられないくらい連投に次ぐ連投で自分でもびっくり。
どうせなら、とここにまとめて転載します。

すっっっごい内輪ふうの話をあえてすると、アストラルリーディングについてはイベントにノータッチで認定ティーチャーたちに一任しているというか、認定ティーチャーさんたちの自発的な企画ということになっています。
なのでべつにいいっちゃいいんですが、収益性が乏しすぎる!全然儲かってない!

もちろん、現行のティーチャー主導のイベントは、金儲けというよりはアストラルリーディングの広報宣伝・普及活動的な意味合いの方が強いので儲けが出なくてもいいんですけど、じゃあ広報宣伝効果としては秀でているのかよというと1日のイベントで参加者2~3人などで、これもちょっと……。

で、ある程度の数の方に知ってもらわないと、効率の悪いジリ貧じゃんということで。
また、たとえば参加料を無料にすれば、物見遊山はもとより、おそらくはからかいとかひやかし、見下し、茶化す目的で参加する人の爆発的増加は経験則上、見えていたので有料に。しかも、恥ずかしくない金額の収益で。

今回、お一人あたり20分で2000円と、いわゆる「10分で千円(100円/分)がセラピスト系のプロの最低限?登竜門?的な単位時間給」の設定にしましたが、私も含めると4名のスタッフで約半日で、数万円の収益となりました。

これは「ぼちぼちでんな」の居酒屋や床屋などサロン系店舗としてはやや上々。

金の亡者だからスピリチュアルという神聖なものを商材にしてガッポガッポで儲かったら贅沢三昧で欲深く堕落!……ではなくて。

ビジネスという形式・分野で、自分の整備したものが、なんならそれで食っていけるような可能性というかを持っているのかなというのを、挑戦していかないと。ということで。

今回、急遽思い立った的にイベント開催2~3日前にいきなりやったわけですが、ほんとに片手間で、なんの苦もなく、短時間で、ストレスも何もなく企画&準備しました。
当日も含めトラブルなく開催でき、現時点で把握してる限りではお客様の満足度も低くはないようです。

自分の手腕の確認になったw

これは「どうだ、俺様は仕事ができるだろう」ということを他人にドヤ顔したり、ラクして儲かったぜざまあみろとかではなく。

「そりゃ、40歳こえた男が他の仕事での経験やキャリアでは同世代の他人に太刀打ちできないリスクを背負ってひたすらこれだけやってきたなら、このくらいはできて当然だよね」

同時に、必要最低限かつ最短・最簡単なやり方で、ビジネススキルがそこまで高くない(どころか絶望的に低い)いわゆるヒーラーさんあるあるな能力値の人でも、なんなら形式的にこういうセッションなどのイベントというか日々の営業の運営を企画したり実施したりは不可能じゃないとマニュアル化できた。

世間のヌキありマッサージ風俗店や占いの館(←並列した2つの例がすごいが驚くほど違和感ないw)みたく、毎日店を開けて予約飛び込み電話連絡なんでもござれで受付とスタッフの出勤シフトさえつくれば、普通~に、それ1本でそれなりに割よく食っていける収益の恒常的獲得は全然不可能じゃないなと。

1点だけ、ある意味では反省が。

実は……。

ワタクシ、今回のイベントでは、他の参加プラクティショナーさんに依頼が来た際に……

手数料を1円たりとも受け取りませんでした。

偉いから、欲がないから、善人だからというより、ケチだから。
イベント開催してみて流れと手順を追う経験が目的で。

ぶっちゃけ、お客様から貰う1セッション料金が2000円で、数百円とかの手数料をわざわざ中抜きするのが、バカバカしくなってしまったんですよ。
そんな小銭なくても困らんわ、という余裕もアリアリで。

ただ、金額を得たかどうかの収支より、手数料がなかったことでの懸念点は別にあるのです。

懸念点とは
「参加プラクティショナーは、(今回はたまたま俺ですが、それがもし他の誰かであってとしても)企画して、経験を積めて金まで儲かる場を整備してくれた企画者・発案者に対して『こんないい思いをさせてもらえたのはこの人のおかげ』と思うことができる仕掛け」
としての手数料が抜けた事。

ビジネスモデル……というほど立派なものじゃなくても、ビジネスの作業の流れや制度には必要不可欠だったり効果的だったりする役目がある方が望ましいと考えています。もしくは、プラスの効果がなくても、マイナスの事態になるのを防いだり、あるいはわざと「しかるべきマイナスを生じさせる」役目も。

手数料というのは、経営者(企画者)とスタッフ(メンバー)にあえて分けた場合、スタッフが自分の手柄だけでこの実績が築けたと勘違いしない効果があります。
手数料をとられるのは嬉しいことではありません。でも、手数料をとられるのが嫌ならその企画に乗らなきゃいい。所属や登録しなきゃいい。

でもそこで、完全なフリーランスで一人で客とれんのかよ、となったとき、スタッフは「できない、できるとしても自分が集客しなきゃいけなくて手間がかかる」と思うわけです。
だから、手数料を「払わせていただく」のは、企画者なり運営マネージャーなりがいてこそという認識に繋がる。繋げる。

同時に手数料をとる側は、しかるべく集客や宣伝(の場を用意する)などの責任が生じます。手数料をもらうからにはちゃんとやらな、という、手抜き防止効果があると言えるでしょう(その経営者・企画者が完全なサイコパスでなければですが)。

そしてスタッフ側は、手数料を払ってやっているのだという点をあえて逆手にとって、運営側に対して「もうちょっとちゃんと集客しなさいよ」といったプレッシャーをかけたり主張することができます。
「しかるべきマイナスを生じさせる」
というのはこういう緊張関係で、それはストレスですが有効です。

……と、こんなことは、このテの業態の仕事をしている人からすれば「あまりにも当然すぎて何いってんだ今更」だと思います。

と・こ・ろ・が・!

それも、「へぇ~、そうなんですか」と感じる(=それまでそのことを知らなかった)人もいるんです!!

意地汚いから人から金を奪う、しか考えない。

お金はまさに道具で、豊かさの本質そのものではないことはさすがにこのご時世、みんな気づいてきてますよね。
ただ、いまだに、金さえ払えばある程度いろいろ(本来はふさわしくなくても)買えてしまい、買えたことで何か自分がそれを手に入れるのにふさわしい条件はクリアできたんだと思う風潮も。

だからこそ、お金をやりとりさせるときにビジネスプランナーというかの方で
「このお金はなんのために、どんな意義でこう動く・流れるのか」
を、意味付けするんです。
ただの事務的なお金のやりとりではなくて。
そうやって、ビジネスを通じて人が成長する図を構築し、商売を人間の成長の機会にする。

それは近現代にビジネスという商取引がメジャーになり、また業態も多種多様で複雑化していく流れ(そうなることが人類全体の総意として第一希望でOKを出しているということ)を見ればわかると思います。
人類全体の霊的成長段階からしても、現代人は商業を通じて人間の霊性と魂に磨きをかけるのが相応。

仕事について「やりがい」が話題になりますが、たとえばそれは、あらかじめ無機質に思えるお金の流れがビジネスモデルの図としてある際に、「ちなみにこうして働きに応じて賃金を得ることは、従業員にとってはやりがいにつながる」というふうにデザインするものだと思っています。

今は、金を払わない代わりに「やりがいが得られるならいいだろう?」とチョロまかすブラック経営者がいるようです。それってつまり、人間がこの時代に商業に携わることで成長していくのにふさわしいからこそ、それを実現する商業の場を築く使命があることを忘れてるか知らないか、できる能力がない証。

ワタクシがあえて、スピリチュアルヒーリングというサービス業を、お金を媒介する商売、ビジネスという形態に落とし込むのを絶対の第一条件として、なんとしても譲るわけにはいかない要件としているのは、こうした事情からです。

いろんな複雑さや責任、心理的なプレッシャーを背負わずに済むという意味合いで「いいよいいよ、タダで」は、逃げでしかありません。
(とか言っといてワタクシ、今回のイベントでいろいろめんどくせえから手数料タダにしてるんですがw←ダメじゃん←だから反省点として述べただろうが!)

なので、すんげえ偉そうなことを言わせてもらうと、

ビジネスという形態でスピリチュアルな営みを仕事として取り組んでいる

という図式そのものがメッセージでもあり、また自分の主張でもあるんですね。

そして、そうできているということが、主張が間違っていないことの間接的な裏付けになればと。

なっげ!!

ツイッターからの転載の後半部分に出て来ますが、今の人類は「商業」というスタイルで人と人の間で交流することで、あるいは材料の調達や土地の利用など自然全般との関わり方の中で得られる学びが大きい時代とタイミングに相当します。

よく、
「現代は複雑化しすぎて、お金なんてものも生まれて、人が醜い心になった。もう一度、縄文時代みたいに物々交換でみんなが生きるようになれば、悪いことは起きないのに」
といった、甘っちょろいことほざいてんじゃねえよ的なことを言う人などがいます。
(現実の煩わしさから単に逃げ出してラクになりたいだけの根性なしであることがほとんどですが)

でもそのシンプルなやりとりに満足できる状態じゃないんです。今の人類は。
この不満足というのもエゴということではなくて、新たな成長や学びが得られるわけじゃないという内なる神の部分が悶々とすることによるもの。

いま、20世紀型の、経営者が主人で従業員を奴隷のようにこき使うことで主人(側)だけが儲かり奴隷としての平社員や非正規雇用者は使い捨てられるという会社的ビジネスの在り方が進展してきています。

たしかにかつての、ショムニがドラマ化された第1期で描かれた20世紀ふうの会社というのは、歪みまくっています。
それら企業がいまだにその歪みから(機動力の乏しい、向きを変えるのに『よっこらしょ』と大きな労力を伴う大企業ほど)抜け出し切れていません。
いい方に抜け出すどころかこないだのディセンション以降、ブラック企業がデフォルトみたいになってる文字通り堕落して現実の次元が何段階も下がってしまったようなところがあります。

それでも。

これまでの歪みある企業経営の在り方から学び、反省し、じゃあどうすればいいのかを実現していこうとする起業者や、そうした人の提唱する新しい会社員としての働き方、人生の満喫の仕方を模索し、実現し、さらに進展させていこうとする人たちは、います。

私個人の意見としてあえて言いますが、人類はこれから、これまでに培って来た社会構造や蓄積されたノウハウ、どんだけ歪みがあろうと辿って来た歴史や伝統を「リセット」してはいけないと思います。

どんなに大変でも、途方もなくても、これまでから目をそむけないこと。現状の歪みを、悲惨な現状を、否定しないこと。

そのうえで、改善なり、別途新しいものをゼロから生み出したり、していくことで、結果として過去からの学び・ネガティブなことを免疫化して得た強みというものを、人類全体で培っていく方が大きな成長になることでしょう。

私はビジネスの分野では(自分の自慢や能力の確認などではなく、できるならば精一杯のことはやろうと全力を尽くしたものの、もとから持っているものが拙いのかなんなのか)ぜんぜんたいした実績をあげることができずに40歳をすぎてしまった、量産型低能中高年という括りで世間から見られる人間で終わってしまっている現状があります。

ただ、それでも、規模は小さくても、「人を健全に霊的にも一般社会人としても成長させるビジネスモデルの設計とはこうだ。そしてそれを夢物語で終わらせるのではなく、実際にやってみせてできた実績もあるぞ!」というのを、(どこかの誰かよりどんだけショボいとしても全力でそれなら仕方ないし)やっていきます。

ヒーリングサロンの運営、ヒーラーという職業で生きるその生き様自体も含めて、(どれだけ私程度の人間がたいして誰に注目されるわけではなくても)私がこの世に来て、発信したいこと、伝えたいことの体現なんです。
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世界を変えるのは超能力ではなく人の想い&行動

なんじゃいきなりデカく出て?ですが。

タイトルのとおりです。

家を建てることを想像してみてください。

人間が何かを思い、それをどうすれば現実に反映できるかを試行錯誤し、実際に行動する。
行動の内容や思惑がこの世の物理法則に照らして無理がなければ、家は建つ。
でも強度や重心など建築的に、引力の法則など物理的な要因各種のどこかに対応できなければ倒れる。

これ、国とか社会全体とか、人類が形成するものはすべて同じ図式です。

家族にはじまり、会社組織、ひいては国ひとつなど、人が複数集まって形成する集団や団体といったものも、根本は同じ。
(家など物理的な建築物というわけではなく、人の精神的な忍耐や満足の要因が絡む点が異なるだけ。精神的・形而上的な意味でその団体を構成する人間の輪が、一定の妥当性を満たさないと崩壊する)

なので。

教育などの根本すぎて今さらここで私ごときがいうのもなんですが、

人が大事

なわけです。

で。

超感覚ヒーラーとしての自分は、近年整備しているマルチプルアバンダンス特級などで顕著ですが、

「超感覚で、世界のいろんな霊的な部分を見聞き体験する(≒現時点で社会が科学的に妥当でおかしくない『常識』と認めるもの以外の領域に触れる)」

という、小うるさくいうなら「それ、ヒーリングじゃないじゃんw」と言われる類いのことに注力しています。

頭のいい人はこの時点で「あぁ!」と、少なくとも私みたいな稚拙な人間の書く文章で何が言いたいのかはピンとくるのだと思いますのでここで終わりますが、

超感覚を、人間の情操教育や、凝り固まった固定観念をほぐしたり新しい視点に気づくツールとして利用する

というわけです。

というのも、神の力で超能力者や霊能力者が瞬時に末期ガンでもなんでも治せますよというのは、理論上おかしいことでもなんでもなく普通にできちゃうしやれてる人もいるし自分でもやれることはわかりしたが、

条件が厳しい

んですよ。そういう奇跡っぽい変化を起こすには。

というのも、病気や災害などもひっくるめて、ネガティブとか嫌なこととされることには役割があり、現実はすべて(信じられないかもしれませんが)そこで生きてる人の第一希望が叶う仕組みです。

ある何かを変えるときは、現実社会の法律などもそうですが、

それを変えることによる、他の部分への悪影響が出ないかどうか

を精査しますよね。それはスピリチュアルな能力やアプローチのルートを選んで何かをする場合も同じです。

ある人が末期ガンだとして、それは霊的な意味合いをいうなら、

「その時点では末期ガンを患い、経験する中で何かを思ったりすることが、その人によって最高最善だから」

となります。屁理屈にしか聞こえないけど、そうなんです。

それを治しちゃうとなれば、末期ガンがなくなっても、その人が経験による同等の学びを得られるならば、となります。

それがない、視野にない、見当もついてない、頭で考える都合のいい代替案が霊的な摂理などにも照らして末期ガンを癒してもOKというほどちゃんとしたものではないetcだと、どんだけ超人的にサイキックに目覚めたヒーラーが何をしようが末期ガンは癒えません。

そんなこんなで、ヒーラーとされるような、一部のある専門的能力を持った人が、残りのみんなの不幸や病気をガンガン治す役割を引き受ける(というより、肩代わりする)のは、無理があるんです。たいていの場合。

なので。

超感覚に触れて、その人本人の自発的な興味や気づき、学びの深まり方の度合いに応じて、それまでより人間として大きくなるというほうが、長い目でみたら有益なんじゃないの、的な。

そんなこんなでマルチプルアバンダンス特級をはじめ、「だから何」ともとれる、体験型というか、

超感覚テーマパーク

みたいな講座に力を入れている次第です。

だから何?な記事ですいまそん。

慣性の法則からのガッタン

オリジナルヒーリングセッションを受けてくださった方からの感想いただきました。

超感覚ヒーリングを習ったけれどあまり観えないと自負しているがもっとできるようになりたいという依頼でした。

昨日のセッションにて観ていただいたことや聴いたことを反芻しながら過ごしております。
帰りの電車にて乗り換え駅と終点が同じでしたので、早速隣の人の降りる駅を観てみたところ当たりました!
確信を得ようとする自分をうまくコントロールしながら霊視の辞書を増やしていきたいです。座禅と、素振りというイメージになりました。

また、本「西の魔女が死んだ」のおばあさんが目指す姿に近い気がするとふと思ったので再読してみます。目指してなれるものという感じではないですが、参考にと思いまして。

セッション中、質問に答えるばかりで、あまり私から発言することは無かったのですが、振り返ってみると私にとってはとても楽な、やりやすいセッションだったように思います。

また自分のブロックについてもとても納得いく流れで説明いただけて安心感がありました。
わー!プロー!って感じでした。
家で壊れた水道管を修理してもらうときに、熟練技術者に原因を説明してもらっている感じでした。
(なぜか羊飼いのイメージもあったりします。ブロック囲い込み??)

慣性の法則からのガッタンがどんな風にくるだろうかと思いつつ、しっかり受けて立とう、と思います。

素敵なセッションを
ありがとうございました。

内容としては、

・人の思考パターンの霊視など、目に見えないもので練習しないこと。
 スーパーの食材の消費期限や、電車で隣の人がどの駅で降りるかなど、
 数字や物理的行動・現象でわかるもので。

・超感覚的にチャネリングや霊視で「観える」というのは方便で、実際は電磁気的な波形のエネルギー。
 だから、「この波動の感じは、こんな意味」という辞書を自分なりに整備していく。
 それがないと、実は霊的エネルギーを感じているのに、「観えない」と認識してしまう。

・対話型のセッションでは、霊視力が高いと相手の問題の土台が一瞬で観えるが、それを
 いきなり指摘しても相手は「?」になる。
 まだるっこしくても、あたかも「家の中の水道管どこかが漏れているので修理に来た配管工」
 のように、家の住人(依頼主)を連れて、「ここではないですね」と、水道管をチェックして
 いく様子を見せる。
 会話で、ここが問題ではない、となると残るはこれということになる……などと、消去法など
 論理的な思考(=霊能力がない人でも理解できる概念や論理の流れだけでの考え方)で確認を
 とっていくと、クライアントの納得度が上がる。

など一般的なアドバイスを中心に。

それに加え、この方はご自身では(いわゆるみなさんあるあるのように)無自覚でしたが、

「(頭で考える『霊視ができたら便利だし楽しいだろうな』という気持ちとは裏腹に、
 内なる神としてすべてを知っているその人の本質的な部分は霊視ができるとはどういう
 ことかをわかっており、実際そうなると怖いと思っているので)霊視できるようになりたくない」


というのが問題の土台らへんのコアでした。

そこでお伝えしたのが、この記事のタイトルです。

電車などで、停まっているときは、動き出すとガッタンとなる。
それは避けきれない、と。
同時に、起きたところで慣れてしまえばどうということはない、と。

この方が今後、霊視ができるようになることを選択すれば、観えるようになるにしたがって、当初想像していたのとは異なる感慨を抱くことがあるでしょう。

えてして、いいことばっかりなんだろうなという夢を見て霊能力を開花させた人は、
あまりに予想と現実が違うことに愕然とし、また観えたことで都合のいい希望が消え、
ある種の絶望を味わうことになります。


こんなに苦しい世界の真実を観て知ってしまうくらいなら、
霊能力なんか訓練して開花させなければよかった


という後悔を抱くのは、万人にあるあるです。
(それがなくニコニコ笑って、実力も大したことないのがお花畑系ヒーラー)

その「ガッタン」が怖くて、みんな、霊能力開発セミナーなどに出て正当な理論と訓練法を知り実践しても、なかなか観えるようにならないという人が多いんですね。
(本人はあくまで『そんなことないですー』と言いますが。そして、ならばといってその人が霊視できるようにスパルタ式にしごくなどしてしまうと、(しごかれたのにできないままだからではなく、霊視ができるようになって生きるこの世界に耐えられなくて)精神を病んでヒーラー引退がデフォルト)

感想をくださった方のセッションでは、そのことをお伝えしたうえで、できるようになる上での心得と、(創造主に尋ねたうえでは)そのサポートになるらしい感覚感情の呼び覚ましなどを行いました。

お役にたてるといいかもなぁ。(←もはやそこもわりとどうでもよくなってきてる)


ガッタン。
あなたは覚悟できてますか?
そのガッタンで傷ついたりパニクったり精神を病んだり死んだりしないでね?(←他人事)

同じセミナーを受けたのに

数年来、ヒーリングをお伝えさせていただいてるお客様から、今からもう何年も前になるセミナーの同期受講生たちとの話にたまたまですが、なりました。

単純にいうと、セミナーの受講態度や習得度などがアレな人、習った内容をその後の生活というか人生の一部に取り入れていかないでいる(←意味がない、必要がないと判断してきっぱり捨てるならいいのですが、いいと思いつつ面倒だから、といってやらない)。
そういう人は、どんどん残念なほうになっていったね、という。

残念な人あるあるなのは、今さら列挙するまでもないですが、

・そのヒーリング手法や理論、実技について、そもそも嘘だインチキだと、できてる人がいるのに言う。
 (目の前で超能力の実演をしてみせてもなお、『どうせ手品だ、まやかしだ』と豪語する人がいて驚きます)

・興味本位で聞きかじって批評家気取り、ミシュラン審査員気取りでモダリティやヒーラーのことを採点して批評するだけ。

・ごっこ遊びみたいに「現実と違う、スピという設定のイメプレ」として、本気じゃなく架空のおままごととして捉えている。
 (セミナー中に浮上してきたイシューなども、現実と関係ない、イメプレの中の架空の話として処理してごまかしてスルー)
 (できてないのに、幼稚園児の魔法少女ごっこみたいに、魔法を使った気になって、『はい、このおままごとでは今わたしがヒーリングをかけたってことにしたから、効いたってことにして?』とふざけて処理している。実はできていない自分のリアルな不甲斐なさを絶対に認めない)

・傷ついた、失礼だと感じたという点を唯一のクレーム根拠として、自分を不快にしたセミナー講師や同期生など発言者を責めたてる
 (図星のことを言われているかどうか、それが図星だとしてそこを治したらどう変わるかなどを一切考えず怒りと被害者意識)

とかとか。

それに加えて、これもうほんと、スピリチュアルかどうかに関係ないと思うんですが、セミナー中に

・(前の日に徹夜だったとかなんとかいって理由はどうあれ)ずっと熟睡している

・教科書を読んでこない、読む気がない、忘れて来る、持ってきても英語版で「英語できないんです」と開き直る

・へべれけに飲酒しており、真っ赤な顔と酒臭い息で意味不明で支離滅裂な有様

・他のヒーリングモダリティの方がすごいよ、この健康食品でガンが治るよ、と、他の何かの布教活動や宣伝勧誘を始める

・「みなさん聞いてください」とセミナーのために集まった人に向かって、セミナー講師が予約してお金を払った会場で、事前の承諾なども得ずその場でいきなり、延々と個人的な意見の演説をする、楽器演奏を始める
 (セミナー講師が止めると不服そうにする)

など、常識では考えられないようなことを平気で始める人がいます。

(特に、ネットワークビジネス商品の勧誘を始める人すごい多い。自分で宣伝する人をゼロから見つけるのが大変なものだから、あらかじめ人が集まる場に出て、そこで自分の宣伝したいものを宣伝してしまうんですね)

で、その後、スピリチュアルな教えやポジティブな人生訓の類いを否定するような情報、雰囲気の方が圧倒的優勢な俗世間での暮らしの中で、そっちに染まっていき、

「あんなセミナーに出たのは間違っていた、どうかしていた」
「セミナーを修了したのは、自分がその認定された資格を使って客から金をとる商売のための方便。もはや資格認定された以上、クソ真面目にワーク何ぞやってられるか。さっさと客をとって儲けないと」
「自分はもうできてるから、いちいち基本にかえってしっかりエネルギーを読みつつ自分の意思を確認してどう生きるかを決めるなんて面倒なことはせず、これだと思うとおりにすれば間違いない」

などなど、いろいろな点で躓き、残念な誤謬、できているという傲慢や勘違い、手抜きを始めます。

そうなると、ちゃんとスピリチュアルなヒーリングやリーディングの技法を活用しつつ自分の意思でどう生きるかを決めて行動するという基本にして究極な、健全な、スピリチュアルの人生への取り入れ方ができなくなっていき、当然のごとく、もろもろガタついていきます。

そうなると余計に、「あんなヒーリングどうでもいいや」となってしまい、やめる。

これがまだ、いちおうは会社勤めは継続していたとか、主婦なのでべつに旦那が養ってくれる金があるから大丈夫という人ならいいんです。

でも、ヒーラーとして独立したのにそうなっちゃう人がいるからすごい。

当然のごとく、客が来なくなり、商売あがったりになります。

そこで、ちゃんと願望実現のメソッドや、自分の頭で考える意図と本当の第一希望のすりあわせができているかをチェックしてズレがあればワークしてクリアにするなど、もう一回、面倒でもなんでも、基本をみっちりしっかり立て直せばマシなんでしょうけどね。

それが面倒というか、
「もうあんなうざいこと、やりたくないよ」
という、怠惰な動機で、適当なことを始めてしまう。

むやみにチラシを配ったり、リスティング広告をバカスカ打ったり、なんとかフェアに出展するだけしてみたり。
(べつに悪いことではないんでしょうけどね。それだったらただの弱小個人事業者とかジリ貧の零細企業経営者あるあるすぎでしょう。スピリチュアルで真実を見て願いを自由自在に叶える能力を手に入れた人間のすることでしょうか)

そこからはもう、人生うまくいかない人あるある劇場。とても陳腐で手垢にまみれた、しょーもない悲劇。今さらワイドショーのネタにもならない、使い古された、誰の同情もひけないチンケなネガティブ三昧。くだらねーんだよ。そんな非スピの一般人みたいな坂道の転がり落ち方しやがって。
(奥様は魔女のエンドラじゃないですが、こういうとき、スピリチュアルな技を使えない一般人のことは、言葉は悪いですが『下等動物』と見えてしまいます。し、一度はスピリチュアルな技をそこそこ以上に習得して使いこなせていた”魔法使い”が、愚にもつかないダッサいあるあるで下等動物みたいな地べたの這いずり方を見ると、しらけることこの上ない)


一方で。


「まだこんなブロックあんの?もううんざり!」

と思いながらも、そこから目を背けて逃げ回ったところで本当に逃げ切ることなんてできないわけだし、と腹を括り、無様でもみっともなくても、目の前に訪れた課題と七転八倒で取っ組み合いつつ、それでも地道に少しでも着実に力をつけていき、以前は解けなかったパズルを解けるようになるみたいにワークを進めていく、という生き方を数年でも続ければ。

たとえば今日、お話を伺った方は、数年前の自分からは信じられないほど、物理的に現実が変わったと喜んでおられました。

まず、腰掛けOL的な、仕事なんてラクして責任はとらず給料だけもらえればいいというスランスから、自分の大切なキャリアとして仕事にいい意味でプライドと責任をとるぞという気概、とれたときの達成と喜びと物理的報酬(ボーナスやベース給アップなど)のために挑戦的に立ち向かえる強さと楽しみを知った。

勤務先が、自分の意向を尊重してくれて、オフィスも綺麗で、同僚や上司が尊敬できる人格者ばかりのホワイト企業に。

おまけに自分自身の給料が、前職の部長など管理職よりも多いのではないかという額にまでなり。

仕事一筋ではなく趣味も充実して、なによりヒーリングのほうでも尊敬され、教えを請われるところにまで評判になり、自尊心や人付き合いのスタイル(以前はペコペコしてハブられないようビクビクしてたのが、どこへ行っても『あの凄腕でブログやツイッターでも素晴らしい文章を発信している○○さん?』と尊敬と感謝と憧れの目で見られるようになり友好的に接してもらえるようになる)も変わった。

プライベートでも、一時期は廃人のようになっていたパートナーが高給取りの職に返り咲いて体を鍛えて健康と美貌もアップ、などなど。
(世帯年収でいえば東京都民の中でもかなり上のほうになるレベル)


どちらのケース(に出てきた複数のモデルケースとなる人々)も、数年前に同じ、あるセミナーを同期生として受けた人たちです。

同じセミナーを受けたのに。

そして、残念な方に転んだ側の人は、常に常に、こう言います。

「あのヒーリング、効かない。インチキだよ。あのヒーラーもたいしたことないっていうか酷い人。こんな欠点だらけ。同期生もショボい人ばっかりで、ほんと悪徳な詐欺商法」

そう言っていれば

「すべて自分のせい。なにもかも自業自得」

という唯一の真実を否定できた気になれるからです。

自分のずるさを護るために、他人を悪者に仕立て上げる。まさにゴミカス。(←でも世の中の大多数はこっちかも!?)


ちなみに私は、どっち側に転んだ人を見るのも大好きです。楽しいじゃない?

30分やって3分休む

自分が高校生のときに買った勉強本に書いてあった勉強のペース配分です。

ストップウォッチで測ります。30分も、3分も。

残り24分、16分、8分、2分……と、勉強しながらストップウォッチを見る癖がつくわけです。
で、あと○分あればこれができる、というのがわかってきます。
あと○分しかないとなっても焦らず冷静になって問題を解き終える、みたいなメンタルと能率も。

30分終わったら3分の休み。
これもストップウォッチで測ります。

飲み物を飲みたければ、その3分の間に用意して、飲む。飲みきれなかったらわきへ置く。
(勉強中には飲まない)

それができるように物の配置も考えることになります。

これを1日の勉強時間15時間超などできるところまで、体力と精神力をつけたりしていくわけです。
(私は志望校に受かるところまで学力を上げる2ヶ月間、2日に1度は1日3時間勉強するところまでしかできませんでしたが東大京大を目指す場合はそういう勉強を高校生活後半の1年半くらいはしないといけないんでしょうかね)

(それで思うんですけど、学力がどうとか関係なく、それだけの作業量をタフに長期間こなす訓練を乗り越えた、身につけたという時点で、それなりにパワフルな人材ってことなんでしょう。ひと昔前に学歴で人を採用しているのにも一理あったのかもしれません。ネットもITデバイスもない時代、はっきりいって生産性みたいなものを工夫で大幅に上げるのは現実的ではなかったので、問答無用に長時間、たくさんの作業をこなし続けて潰れない人が重宝されたのもわからなくはありません)



これ、大学入学以降は、単純に作業などを続ければ近づく夢がなかったというか、本気でそんな目指すものがあったわけでもないため、特にやってませんでした。

が、40歳を迎えた今、にわかに筋トレを本格的に再開し、パーソナルコーチがこの方式を採用する人だったこともあり、自分の中に培ったこのペースが蘇りました。

30分の勉強と、3分の休みにそこまでベストと断言できる科学的根拠があるのかどうかはわかりません。

ただ、子供向けのアニメって30分が1話なんですよね。CMとか入ると20分ちょいですが。
なので、勉強を頑張る子でなくても、30分、テレビを見ることに集中するというのはできるんです。

その集中力を勉強のほうに向けるにはもちろん、心理的抵抗などあるし、勉強という「運動」に体が慣れないということもあって慣れは必要ではありますが、そこまで無理なことではありませんでした、私の場合。

休みが3分しかないというのはそれはそれで最初キツかったですが、そのうち、3分で疲れを回復して下がりかかった集中力をMAXまで戻して、という精神的な作業?がだんだんできるようになります。慣れってすごいです。

この方式で培われるのは、1分とか、なんなら30秒、もっといえば数秒という時間でできることが増えること。
サッ!とできるようになるんです。
また、ちょっとした作業に何分かかっているのかを意識することになり、なんとなくダラダラやって時間が経ってた、みたいな日常のことで時間を浪費することがなくなりました。
そして、義務感ではなく積極的なワクワク感で、もっと早くこの作業(お茶を淹れて飲む、など)をできるようになろう、と思って自由にやってみて、タイムが縮まったらよっしゃあ!みたいな感慨もありました。
(脳内忍者プレイというか、中二病全開で『ふっ、また記録更新か。どこまでスピードが伸びるんだ、この体は』と悦にいることもできます)

この感覚のほうに慣れると、たとえばゴミ出しなど、明日の朝までにすればいいけどめんどくせーな、と思ったことなどについて、頭で「めんどくせー」と考えながら実はもうゴミ袋を持って玄関を出て集積所に捨て終わって
「もう、終わった……だと……?」
とベジータプレイできたり。

そうすると、想定してた予定よりも早くいろんな用事が済み、空いた時間でまた別のことができます。

これを、やらされ感とか「なんでこんな忙しくしなきゃいけないの!」と感じてしまうとつらいのですが、中二病的な快感
のほうが優先する思考パターンを持っていると、

「すげー!めっちゃ得してる!有能って素晴らしい!ほらほら全部予定が終わったからこぉ〜んなに時間が余ってますよぉ〜ん」

と、いい意味でつけあがることができて、さらに効率を上げようと前向きになります。

簿記検定合格やTOEIC点数アップなど大人なりに何か勉強の目標を立てた場合、何分やって何分休むかは個々人で好きに決めてもいいと思いますが、とくにこだわりがなければ30分やって3分休む、というのを1回2〜3セット、できれば毎日、そうでなくとも2〜3日に一度やっていくといいと思います。
(そうすると、30分で自分はどのくらい勉強できるのか理解できたか作業を処理できるかがわかります。教科書全体を終わらせるのに30分が何セット必要なのかも目安がわかるので、計画の精度も高まります)

なにも、絶対に30分やって3分休むことを遵守しなきゃいけないわけではありません。

たとえば、電車で移動中のスキマ時間を活用という人の場合、なんとなく「この本を電車で読もう」とか言ってるとたいてい読まずに終わるか、本を広げたけど中身が頭に入ってこないなど残念な感じになるので、どこ駅からどこ駅までの間は集中!と決めて、その時間で自分がどのくらいできるものなのかを考えるとよいと思います。

大事なのは、同じ時間の長さを集中して取り組むことを繰り返して慣れて習慣化すること。

ボクサーは1ラウンド3分で休憩も決められた時間ですよね。
それを体感でとにかく慣らしていくことで、戦略的に戦えるようになったりするらしいじゃないですか。
それの勉強版、仕事版です。

ご参考までに……なるんかいな!?