ビジネス

がんばるのをやめて「ダメな出来損ない」を目指したら周囲が育ってビジネスが隆盛した話

鈴窯(ベルガマ)がすごいことになってきてますw

タイトルに即して内容を概説すると、私がヒーラーとして他のヒーラーと協業するようになった流れとして

❌ 「協力してよ!」と詰め寄って他人を圧迫して要求した→誰も何もしてくれず、逃げ去る人も出た
   ↓
❌ おだてる方向へ方針転換し、ひたすら周囲を持ち上げてやってもらうことを期待した→おんぶに抱っこされて撃沈
   ↓
❌ 「この事業に関われば、あなた自身の現実が拓けるよ」と夢を見させた→今のままで充分、と思うみんなが腰重すぎ
   ↓
❌ やる気のある人を選別して、パーソナルコーチング的に懇切丁寧に指導した→口ばっかりで何もしない人続出
   ↓
わあああああああああああああああああああああああああああああ!(発狂→鬱)

があります。

決して敵対するわけではなく、むしろ親身になってくれて優しい、心ある人たちではあるけれど、パーフェクトなまでにこちらの想定するとおりには動いてくれない。

それも、意地悪に「ふふん、アンタの言いなりになってたまるもんですかw」と自覚してだったらまだ救われるのに
「えぇ、どうしよう。そんな言われても、私、何もできない、何もわからない。行動できない。どうしよう(泣)」
とオロオロするばかりの“善い人”たちで、余計に私が泣きたくなったw

そこからですよ。まどマギ第10話のほむらが視力を治すアレ(←もはや古すぎてわからない元ネタ)。

それまで、いろいろ懇切丁寧に親切に教える体裁をとっていたセミナーや講座の内容も180°転換し、わざーと抽象的で不親切でわかりにくい内容に変更。その代わり、自発的に動かないと何もわからないけれど、自発的にワークに取り組みさえすれば、その人なりに手応えある発見や気づきがもたらされる内容にしました(←しれっと書いてますが、これ、ものすごく難しかったです)。

そして私は、ヤル気のない、ダメダメなキャラに転向。
いろいろ抜けてるADHD的に「努力はするけどできなくて、ごめ〜ん」と、まるでこれまで自分が他人からされてきたとおりの反応を、今度は自分からするようにしていきました。

この過渡期はやはり、線香花火の途中の「ジジジ……」的な微妙さがあり、危険な吊り橋を渡るような期間でした。
「はぁ?あなたを尊敬して信頼して、いろいろ教えてくれて面倒みてくれるから、こうしてお金を払ってセミナーに出てきたのに、何よその頼りない対応は?」
と幻滅した、それまでの常連的な受講生さんが離脱していったりして。

でも金銭的な損失よりも、
「あなたを尊敬してます!感謝もしてます!だからこうしてお金も払ってます!だから、私は何もしないしできないし、できるようになるつもりもないけれど、そんな私を一から十まで全部、面倒みて引っ張っていってください♪」
という寄生虫気質の人たちを自発的に離れさせる恩恵を得ることが大きなプラスでした。

それまで、シレッと寄生虫的に甘い汁を吸いつつ、完全に離れるには惜しい……というスタンスだったと思しい方々は、しぶしぶながら、今後も私の展開する活動に関わっている方が得策だ(?)と判断した様子。
やむなくでも自発的になり、脱・寄生虫(であるかのように少なくともふるまう演技)の方向性に変わっていかれたように思います。

そして、

私を介さない、受講生や協業ヒーラー同士の自発的な、楽しさに基づくつながりを暗に促し、まるで子供が言われなくても勝手に一緒に遊び始めるかのように、楽しいから夢中で活動や練習をする風土を醸し出していく

隠密的な活動に注力。

なんていうか、あらためて、「みんな、私のことなんかべつに好きじゃなかったんだな」と確信しました(笑)。

それまで、私が何をどう焚き付けても誰も何もやってくれなかったのに、私不在で他のメンバーだけでいろいろ動いてもいいよと許可し、動く場(=連絡をとるネット上のプラットフォームなど)を整備したら、それこそ私に隠れて(笑)、あれこれいろんな活動をみんながするようになっていったんです。

で、私の預かり知らぬところで、
「この講座を受講すると、これこれこんなことができるようになって便利。良い思いができる」
と、私の提供する講座や技法などにまつわる噂が飛び交うようにしていき……じゃなかった、自然となっていきました。

この、第三者的な立ち位置の人からの噂・評判が一番強いということは、外資系生命保険会社が採用しているXYZ理論を参考にしているのはいうまでもありません。
(そのために私、外資系生命保険会社まわりでも隠密&潜入調査いろいろしてたのは、ごく一部の人はご存知ですね)

頃合いを見計らって、「仕切る快感」という禁断の麻薬を、受講生でもあり今やイベントセッションのプラクティショナーや主催者をしてくれている人たちに打ち始めました。
この麻薬は非常に依存性が高く、一度その旨味を知ってしまうと、ガチな政治家や企業経営者たちのように、もう、それなしではいられない体質になります。
しかもそれは物体としては存在してはおらず、証拠は絶対に出ないし、なにしろ合法なのです。ぜんぜん規制されてませんw

自分が指を立てて「〜する人、この指と〜ま〜れ」で、他人がとまってくれた快感。
その人たちに指示を出して、そのとおりに他人が動いてくれた快感。
その他人たちとチームとなり、ビジネスを成功させるなど共通の目標に向かって団結して、成果が出たときの喜び。

どうよ。なにもかもが合法だし、規制されていないどころかむしろ、人間が目指すべき望ましい理想とされ推奨されることばかりだろう!

そうやって、止まってる自転車を漕ぎ始めたときのような、大きい抵抗があり「よいしょ!」と疲れるわりにさほど進まないフェーズで進むのをやめず、どうにかある時点・地点を過ぎたら今度は勝手に回り始める。

この!
「勝手に回り始める時点・地点」
までの道のりときたら!!!

山本五十六の名言じゃないですが、やはり、自分が楽して、何かをチャチャッと言葉で言って指示するだけで他人がしかも集団で自分の思い通りに動くはずないんですね。

で、大人ですもの、やっぱりカネ。
人々を癒す愛の奉仕、なんて綺麗事じゃ人は動きませんよ(大爆笑)。

ベルガマで展開するセッションイベントはどれもビジネスなので基本的には有料なわけですが、私はサイト自体の保持者でサーバー代やドメイン代など持ち出しの費用があるにもかかわらず、参加プラクティショナーからは1円たりとも手数料を受け取らない方針にしました。
ようするに、タダでサイトを貸し出している、というか、こちらから焚き付けている部分もあり、「使っていただいてる」わけです。

と、いうことは。

イベントセッションで顧客が支払うお金は

全額、担当プラクティショナーの取り分になる

わけです。

1時間で数千円〜1万円以上の収益というのは当然ながら、いわゆる時給千円的なアルバイトやパート、派遣の仕事と比較すると比べ物にならない割の良さです。
(もちろん毎日8時間がっつり予約で埋まることが保証されてるわけじゃないのですが、埋めることも本人の努力次第では可能なわけで)

そして、稼いでいただいた。

そしてそれが「界隈」で話題になる。

「ベルガマのセッションイベントに参加して、ちゃんと自分のSNSなどでも告知して拡散を狙ってうまく集客できれば、かなりの稼ぎになる」

それが、下心的な部分にムラムラと働きかける。

そういうサイクルが1回きりでなく、恒常的に回るように活動を継続する。
(ここでいう『活動』内容がこれまたミソ&企業秘密なわけですが)

そしたらようやく、雪だるま式にいろいろ膨らんで、転がって、慣性の法則で加速して今に至る次第。

かのカーネギーの墓碑には、こう刻まれているそうですね。
「Here lies a man who was able to surround himself with men far cleverer than himself.」

人を動かす!


私は、私が一族の歴史で初めて4年制大学を卒業した人間になる、いわゆる地方の低学歴貧乏🐎🦌ワールド出身の低スペックDNAの生まれです。

私はそれを不利ではなく有利にしないと、優秀なDNAの面々がうごめく社会では何も通用しない!

己の莫迦(ばか)力を天才の域にまで高めないと、どうしようもないまま人生が終わってしまう!!

あぁ、そういえばこんな講座も創始しましたっけ。

マルチプルアバンダンス特級「莫迦凡(ばかぼん)」

太極拳など中国拳法で、柔よく剛を制すのさらにエグい版みたいな「より弱い方が強い」逆転を生み出す秘訣を見出したのも手伝って、私は自分の能力を向上させたりする意味合いでのレベルアップを目指すことをせずに、低脳・低能・低スペックな虚弱体質の豆腐メンタルでも最強に勝てる技法一択で修練を積んできたわけですが。

ようやっと長年の努力が実り始めてきた今年ですばい。(←九州?)
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ポッドキャストで億万長者! ジョン・リー・ドゥーマスをご存知!?

ジョン・リー・ドゥーマスについては、この本



の第7章で詳しく紹介されています。
(いわゆる『成功者』たちのエピソードをたくさん紹介してる本です)

https://www.eofire.com/podcast/

がその公式サイトで、なんとそのドメイン内の

http://eofire.com/income

ページでは、毎月いくら収益が得られたかをレポートとして公開しています。

彼は軍からの奨学金を受けたことで比較的、余裕ある大学生活を送ったとのことですが、20代にしてイラクへの出兵を経験。
殺された仲間を埋葬するたびに、心の奥まで震えたといいます。

そこで、

  • 生きていることを当たり前とは思わないこと

  • 自分の脳力以下の仕事で妥協しないこと

を心に誓ったそう。

軍からの奨学金を返済しないで済むための義務としての兵役を終えた後は大学院への入学や一般企業への就職などいろいろキャリアを模索するものの、どれも続かずに30歳を超えてしまい、失意の日々が……。

そこで自己啓発本を読み漁り、書籍代がかさんできたので、無料で聴ける(おそらくビジネス自己啓発系)ポッドキャストをありがたく聴くようになり

「これじゃね?」

となった模様。

すでにポッドキャストの分野で大成功を収めていた大物ポッドキャスターに大金を払って個人コーチについてもらい、番組のゲストとして出てくれそうな著名人・ビジネスマンまで紹介してもらって対談形式で番組を収録。
(Skype通話で話すという、簡易的な方法で済んだそうです)

収入報告書を公開するのも、後に続くポッドキャストビジネス起業家のためを思ってのことだそう。

ご参考までに。


いやー、これからは「音声(配信)」がビジネスでもプライベートでも、これまでとは比較にならないくらい、もんのすごいことになっていきまっせ。
(それは容姿重視に偏りすぎた、これまでの時代のカルマの均衡をとる意味でもそうなる必然が霊的摂理にあるゆえなのです。なんちゃって)

ネットにつながる(ノート)パソコン1台あれば一生遊んで暮らせる金が手に入る設備は整ったといえる時代。

あら、あなた、ネットにつながる(ノート)パソコンをお持ちですね?

ということは……。

なぁんてね、ふふふ(←キモい)。

スピリチュアルビジネスをマーケットとして捉える

出版が2011年で古いですが、こんな本があります。

スピリチュアル市場の研究 ―データで読む急拡大マーケットの真実 単行本 – 2011/4/22
有元裕美子 (著)
   紙書籍     Kindle版


この時点でスピリチュアルビジネスと著者がカテゴライズしたビジネスの市場は、

スマホのソシャゲと同じく1兆円規模にまで成長していた

わけですね。デカい!

ちゃんと大儲けできるだけのカネがうごめいているスピリチュアルビジネス市場(マーケット)



よく、「映画業界は大人向け紙オムツの市場よりも小さいから儲からない」みたいな、何かと何かの業界をお金で比較して儲かる儲からないの例えは使われますし、お金がそこにあるかという点でいえば妥当なのかもしれません。
(あまりにも関連性のうすい業種同士をそうやって乱雑に引き合いに出すのは適切な比較例ではない、という感じもしますが)

ただ、それでいっても、スマホのゲームという、おそらく21世紀以降に新たに生まれて急成長して今後のさらなる成長も見込める市場と同等である、というのはひとまず「全然カネが集まってない小さい市場でもないんだ?」と思えて安心?はします。
(ただ、ここでそもそもスピリチュアルビジネスを『撲滅すべき詐欺商法』と捉えている人は、嘆かわしく思うのでしょうが)

ものすごーく解像度ひくく楽観的に、スピリチュアルビジネスを提供する業者側という立場から感想をいうなら

「スピリチュアルビジネス業界は市場としてちゃんと1兆円規模にまで膨らんでさらに成長していってるから、自分もちゃんとやればちゃんと稼げそうだぞ、やったー!」

でしょうかね。

そこで眉をひそめる、そもそもスピリチュアルビジネスを否定したい人、悪いものだと決めつけて捉える人に対しては、

・直接、そういう(愚かで無知でその人が抱える悪徳としての疑いに染まった思考由来の、香ばしく見当違いな)人の批判は相手にしない

一方で

・いわゆる「弱者を騙して、ありもしないことを嘘のインチキ、デタラメとして吹聴することでカネを巻き上げる、ほんとの悪徳商法としての霊感商法」の形になっているビジネス形態を自分が採らない

ことも大事かと。

なんたって、スピリチュアルビジネスを悪く言う人は、霊視すらできないんです。
他人の思考を読むこともできない。
念動力で離れたところにある物を動かすことも、時間の長さを変えることも、ましてやテレポーテーションや神との対話といったチャネリングなども、なんにもできないんです。
だから、スピリチュアル(というか、超感覚エネルギーワーク)の真贋が、ぜんぜんわからないんです。

なんにもできない、知らない、できた体験をしたことがない、ないないづくしの人が物事を否定的に言うのはいわば、(ショボい)動物としての本能。
なにも学習してない動物が未知のものを怖れておっかなびっくりで、なんなら攻撃的に吠えるのは、ペットを飼って新しいオモチャやケージ、食器などを与えたことがある人は、だいたい見たことあるでしょう?
あれと同じなんですよ。仕方ないの。
なぁんにもできない、わからないんだから。
優しい目線でガン無視してあげましょう。
彼らは学びの途中なんです。(笑)

みんなの「これが普通」の水準がどんどん高くなって有能化してきている今これから



一方、「できる」「わかる」人は、いまどきどの分野でもそうであるように、みんなの能力値が底上げされてきてますよね。急速に大幅に。

ほんの10~20年(以上)前は、たとえばプロの歌手でもない人間がカラオケなどで歌を歌うとなれば、聴いちゃいられないほど下手でした。
でも今どうですか?
YouTubeで歌唱指導YouTuberが有料級の情報を発信してるとか、「歌ってみた」などプロ未満とされる人でも上手い人がいるということをみんなが知り、無自覚に「これくらいが普通」と思う水準が爆上がりしたのでそこを無意識に標準と捉えた結果、みんなも上手くなった……など、いろんな事情が絡むんだと思いますが。
以前よりも素人でも「普通にこれくらいはできる」水準が爆上がりしてますよね。

これは音楽でも踊りでも料理でもわりとなんでもそう。

見ちゃいられないほど全然できてない、という人がそもそもいなくなっています。

いわゆる「独身男性の一人暮らし」という、それまでなら「汚い、家事を何もできない、自炊もできず栄養状態が破茶滅茶」みたいなイメージあったものも、今どうでしょう?
べつに学校教育で「一人暮らし」について教えるようになったとかではなくても、ひと昔前の独身男の部屋あるあるみたいなぐっちゃんぐっちゃんな部屋や暮らしぶりをしてる人、まずいないじゃないですか。
(まぁ、探せば一定数は実際はいるのかもしれませんが、確実に以前より『見なくなった』んですよ、少なくとも私の勝手な経験則だけでいえば)

ネットの発達が直接的間接的にあいまってなのか、とにかく「これが普通」という水準がすべてにおいて、以前よりも上がっています。しかも大幅に。
(そしてこれを、現時点ではスピリチュアルとされてしまうけど実際は科学なんだよという理由として挙げるなら、人々の間でDNAの相互参照によるアップデートが無線的に集合的に行われていってるが故、というのが一番です)

これはスピリチュアルとされる分野で業務を提供する業者としての占い師やヒーラー、スピリチュアルカウンセラーの類いでもそうなんです。

他の分野と比べて「行き詰まり」に集団で陥っている(部分もある)スピリチュアル実践者の現状



ただ、スピリチュアルだけなのかどうかはここでは断言しませんが、ちょっと難しい?のは

その人のスピリチュアルとされる超感覚的な能力の開花や発達は、ある時点ごとに設けられている「イニシエーション」を合格できるかどうか

だということ。

ものすごく大雑把にいうなら、霊視はできていろんな人の思考や病気の具合を言い当てることができるという(そこまで人格的には立派ではない)人でも、それらを癒したり変えたりという物理現実での変化を伴う働きかけを念力で行うためには

物理現実やそのコインの裏表としての関係にある霊的摂理を歪ませて認識させる、ルシファーが生み出した感覚世界(という幻惑)を払拭

しないといけません。
(これも厳密にいうと、できた/できてない、という2パターンではなく、段階が細かくあります)

しかもここで、スピリチュアル好きを自称する人でも、まるでアニメか何かの創作の話をしているかのように

「はいはい、ルシファーね!あぁ〜、そこか〜。くぅ〜、悩ましいなぁ〜。でも私は!イニシエーションを超えてみせる!ルシファーよ!私への幻惑を解け!……あ!できた!?できたよね?私、ルシファーの呪いから解放されたよ?そして言われた。お前は私の呪いを断ち切ることができた初めての人間だ、って。その特別な使命をもとに、地球を救ってくれって未来を託されたよ!ルシファーから!!」

などなど、はいそれがまさにルシファーに幻惑されてるアレ度100%な香ばしい有様の見本ですよ、を実演してくれる人も(大勢)います。

スピリチュアルを毛嫌いしたり、ものすごい悪いことだと捉えている人は実はこの、ルシファー由来の勘違い妄想に人が陥る状況、陥った人の香ばしい(人類の霊的進化に)有害な発言や行動のことを指して、否定的に眉をひそめている(ことに本人も気づいてないことがほぼ100%ですが)ことが多いのもわかってるんですけどね……。
たしかに、こういう「よくない、現実離れした妄想」をスピリチュアルと称して、なにか真実やら悟りやらに到達したと豪語するのは、アレですもんね、アレ。
(そういう意味では、本当に悪辣な、似非スピリチュアルビジネスを展開する人、香ばしすぎる嘘としての情報(特に健康や医療など、間違った情報をもとに行動した結果に発生する損失・損害がもろもろ大きいもの)を発信する人を取り締まることに熱意を持って行動してくれるのは、私からしても安心で、なまぬるく応援してもいます)


残念なことに?、スピリチュアル実践者たちの間で、多くがこの、ある段階のイニシエーションを全然超えることができていないのが実状で、ゆえに他の業界と比べて、能力値の底上げがどんどんなされるいまどきの時代の流れから置いてけぼりになっていってる状況があると私には見えています。

会社でいうと「TOEIC800点以上をとれないと、課長には昇進できない」という規定があるため、その役職以上にまで伸びることができる可能性は持っているとしても営業実績など他の査定項目が高くても課長になれず、何年も過ごすうちに「そこどまり人材」だと自他ともにみなされてほんとにそこで終わっていく人、みたいな。
本人がどんなに英語を好きじゃなくても苦手でも、業務で直接は使うことが一度もないとしても、会社の規定でそう決まっていて昇進したいならTOEIC800点とれよって話なんですよ。
スピリチュアル実践者の多くも、こういうところでコケてます。
(あ、あくまで例えですよ?まさかほんとに、霊的なイニシエーションとしてTOEICの点数が設定されているわけではありません)

これが一般の、べつにスピリチュアルそのものを実践しているわけではなく、専門的な知識もそこまではなく、あくまで客として霊視鑑定などのサービスを受けたいんだけどという人を相手にする、あるいはWebコンテンツなどで広く情報商材として有料化して稼ぐetcの仕事にどう(悪)影響するかというと。

ダメなショボい周回遅れな人、と見なされて信用を失う

に尽きますね……。

いまどき、なんなら幼稚園児向けのアニメや、子ども向けの戦隊ヒーロー特撮ドラマなどでも

「正義と悪が闘うんじゃなくて、それぞれが正義だと思うことが食い違っているために対立して衝突するんだよね」

といった深い理解に到達しています。し、子どもたちもそれを理解して視聴する時代です。

これといってスピリチュアルとされる分野のことを学ばなくても、精神性や、概念といった意味での「目に見えないこと」については、やはり「底上げ」が進んでいます。

そこへきて、自分はデキてるつもりで実は時代遅れでいまどきの時代にキャッチアップできてない、そこそこ以上にトシくった中高年がベテランぶって
「さぁ、この偉大なる霊能者が、おぬしを悩みから救ってしんぜよう」
ぶっても、しらけられて鼻で笑われて終わり。コレジャナイ感で見限られるのが関の山です。

これからさらに伸びて稼げるスピリチュアルビジネスとは



ガチャガチャ書きましたが、まとめると。


  • スピリチュアルビジネスは充分に大きな市場として、稼げるマーケットになっている(2011年の時点ですでに)

  • 客たちは物事を見る目や培ってきている精神性が以前より高くなり、業者を見極める目が肥えてきている

  • 業者側の「進化」はドン詰まりで、孫にニシンのパイを焼くおばあちゃん化が進んでいることを懸念すべき

  • 業者側が次世代の洗練されたスピリチュアリティを提案できてないので客も啓蒙されず、古臭いエンタメ占い的な低水準のサービスばかりが横行する「オワコン」業界化が進むおそれがある+教祖ビジネスの図式は完全に終了

  • スピリチュアルに理解があるか造詣が深いかに関係なく、この時代ならではの成長・洗練を遂げた少数の人たちは、これまでにない素晴らしいスピリチュアルなサービスを評価する審美眼があるし、そのサービスに大金を払う用意があるという意味ではチャンス(その人たちにマッチングして、その人たちから信頼を得られれば)

  • スピリチュアル実践者、業者の側でも少数ながら、これまでの歩留まりを大幅にリカバリーしてさらに歩みを進める形となる進化して洗練されたスピリチュアルなワークをできるだけの技量が育ちつつある


らへんでしょうか。
(まとまってなくない?w)

ようするに二極化ですわ。

松竹梅的に売り方をランク分けするなら、

[松]
素晴らしい洗練された豊かで幸せな人が本当に納得のいく人生を送るための専門的かつ洗練されたヒント提供やサポートでWin-Win

[竹]
有名雑誌で占いのコラムを連載化してカリスマ扱いされたり、YouTuberとして情報発信してファンやフォロワーを集めてそれなり以上にウハウハ大儲け

[梅]
コミケの占い版みたいなスピリチュアルな催し、占いプラットフォームサイトなどで千円など安価な料金設定で、中身のうすいそれっぽいサービスを提供する量産型(当然、専業のプロでは稼げない)


みたいになるんでしょうかね。。。

ここで、松ランクにお金のことを書かなかったのは、

お金はもはや本格的に、現世利益としてもそこまで力を持っている媒体ではなくなりつつある

からです。

もうさぁ、業者だろうと客だろうと、

生きていくためのお金には困らず、ストックとしてもフローとしても、必要十分以上に常にあり続けるから心配しない、固執しない

ライフスタイルを実現できてこそじゃない?

現実全体を見渡せばそうじゃない人のほうが多数派ではあるのはわかってる。

ただ、松ランクでしょ?業者も客も。
そう想定すると、どうしてもなんつーか、日々の生活がカツカツでお金を得るルートが雇われ労働収入しかなくて一生、お金のことを心配して働き続ける奴隷ライフ……な人物像なわけ、なくない?

ある意味、お金のやりとりは、マナーにすぎないというか、それこそ形だけ、ビジネスということにするための方便。

ぶっちゃけ、そのスピリチュアルなサービス提供でお金を稼ぐとか、お金を払うとかは、枝葉末節すぎなのよ。

もっと本質を!!

でしょ?

プライスレスな体験を、素晴らしいと思える人たち同士で創り出していけたら、もうべつにお金なんかどうでも。

だから本当に、いわゆる一流の人たちほど、これからはスピリチュアルビジネスに限らず、お金を対価として使わなくなると思います。

ハイスペック物々交換

とでもいうべき、互いのニーズをつりあうように話し合って納得して成しあえばよくね?という。

むしろ、心というかで信頼も尊敬もできてない者同士が、20世紀的なドライな意味合いでの「ビジネス」だからと建前で営業スマイルを浮かべ、本心では好きでもない人と一緒に過ごす苦行に耐え、心の底から信頼できてないからこそ管理だの監視だのしないと落ち着いていられない……みたいなの、もう終わり。無い。無理。でしょ?

あー、だから松ランクの動き方をする人にとっては、スピリチュアルビジネス全体のマーケット規模は関係ないのかもなぁ。

あくまでマスに打って出る、カリスマ占いコラムニストみたいな位置付けだと稼ぎやすいのかなぁ?

どうなんでしょうね?
(まさかの結論なし←いつもやんけ)

同じ客でも、値段の設定や条件によってサービス利用時に「別の顔」が出てくる。安い値段 and/or 無料にすると、途端にふざけてナメて不真面目な態度になる!

ここのところ、ヒーラーとしてスランプというか、このやり方では何かがおかしい……というモヤモヤを抱えていました。

端的にいうと、お客様の便宜を思って、割安な値段でサービスを提供したりしてたんです。

収益額はそれにより低くなるからモヤるのかな?と思うものの、どうもそれ”だけ”ではない……。

で、別のヒーラーさんに相談してあれこれ話していて気づいたのが記事タイトル。

めっちゃ基本のはずなのに。。。

人は、無料や、安すぎる(からどうでもいい)と感じる値段の商品やサービスを利用する際には、本人も無自覚なところでナメたりふざけたりどうでもいいと投げやりになったりして真剣に向き合わない。
商品やサービス、そしてそれらを利用する自分自身をも、ぞんざいに扱う


というアレ。

完全に忘れていたわけではないけれど、長年のお付き合いと、その方がヒーリングに対して修練に打ち込む様子を見ていたから、見立て・見積もりが甘くなってしまった。
その意味では私側に、値付けetcの状況セッティング作業にサボりとぬかりがあったわけです。

痛恨やわ……。

例えば、10万円以上もするセミナーを、とある方に無料で受講させてしまったことがありました。
特待生的な待遇で、それまで頑張ってきたオマケといって私が結局、「手抜き」をしたに過ぎなかったんです。
「お金がなくて一括で払えない」
とその方から相談を受けたときに、雑に
「じゃあ無料でいいですよ」
と返してしまった。
いま思うと甘すぎて、その返事をした瞬間の自分を何度でもぶん殴りたいです。

結果、その方はどうなったか。

セミナー受講にまつわる事前学習は、やってこない。
事前学習をやってこなかったことを、半笑いで「いろいろバタバタしちゃってw」と正当化しつつ悪びれない。
セミナー中も集中力散漫で、50%以上の時間?を居眠りしている。
宿題は「忙しかった」「そんな気分じゃなかった」とやってこない。

その方にそれでも修了証を発行して手渡しするとき、
「本当にこれでいいのか」
と、ものすごいためらいがありました。

結局のところ、不真面目な貧乏にいいように泣き落としされて、ざまあみやがれ的に利用されてしまっただけなのではないか。
(その方に悪気はないし、その人なりにベストを尽くしてそれだったんだろうなということはわかるし、その人を個人的に恨んでいるということではありません)

……これは一例にすぎず、ここ数年、値付けをちゃらんぽらんにしてしまっていたツケともとれる状況が、ドドドッと押し寄せてくる形で。

例えば他にも、今の安い料金体系になってから私の提供するスピリチュアルセミナーにお越しになるようになった方が、いわば
「安く、これくらいのセミナーを受けられて当然。そこではこのくらい、私なりに頑張るふうでいれば、実質は甘々な学び度合いでもべつに問題ないでしょ」
という感覚で学び、それでいて長年に渡ってしかるべくお金と時間を投下して学んできたからこそ実力がついている人に向かって
「あの人のどこがそんなにすごいんですかァ?私だって頑張ってるのに」
と、OL同士のマウント合戦みたいなノリで言ってしまうようになったり。
(その方のことを性悪だと憎むわけでもないんです。そういう状況を設定したのが自分なのかと思うと、申し訳なくも不甲斐なくも思う)

さらに、私が提供するセミナーに出たことがある方は、グループチャットに招待してそこで受講生同士でも連絡のやりとりをすることを許可というか容認していました。
その結果、しかるべく努力して実力を身につけて社会的にもいわば「立派な人」としてある程度のランクというかを築くに至った人に向かって、本来なら連絡をとろうとしても相手にしてもらえないであろう人が気安くコンタクトをとり、セッションの練習と称して無料でその人の時間と労力を利用しつつさらに厳しいことを言われたからといって愚痴をこぼす……といった、あまりにも香ばしい事象が起きていることを後から聞いて知ったり。

すべてすべて、私が甘かった。

これ、ものすごく迂闊なのでこうして書くのも恥ずかしいのですが

私のもとでスピリチュアルについて学んでおられる方々に限って、そういう浮世の人間関係ギスギスあるあるは起きないだろう……とタカをくくっていた

んです。

それと同じで、

料金を無料にしたり激安にしたからといって、その分、いい加減で不誠実な姿勢で臨んだりする俗世間の人あるあるな現象は起きないだろう

とも踏んでいました。

なにもかもが甘すぎた。

どうしてこんなに私は盲目的に迂闊に、人を過信してしまうんだろう……と、幼い頃からその傾向というかの自覚はあっただけに、40代にもなって直ってないのかと思うと途方に暮れる心地がします。

何度も書きますが、私は受講生やお客様といったそういう方々のそうした行為そのものは恨んでも憎んでもいません。

いわば、躾けられていない犬の面前に美味しい餌を置いて「まだ食べないで」と言うようなもので、土台、無理なことを他人に期待・要求している私が愚かなんです。

人は、もっともっと、浅ましい。
人は、思うよりずっと香ばしい。

自分がそういう人間じゃないからうまく想像がつかなかった、というとこれもイヤミになるのかもしれませんが、正直そこで俗世間とズレている。
40年以上も生きてまだ直ってないこういうクセは、もしかしたら今後さらに40年以上も生きたところで、結局、変わらないのではないか……という悲観的な憶測も湧いてきます。

もし何も学べていないのであれば、俗世間で他人と関わって人生を送ることに何の意味があるというんだろう。。。

不意にこれまで、学生時代にも、会社員時代にも、自分のそういう、詰めが甘く人を信じてしまう「迂闊な善人」ぽいところが出てトラブルが起きてそれを周囲や上司から呆れ顔(というか、そんな人間がこの世にいるのかという驚愕の表情)で叱られた思い出の数々も蘇ってきて。

そこを払拭したいと思うからこそ、ヒーラーとして独立してからの私は、(甘々で脳みそお花畑全開!で人の歯を溶かす虫歯菌のように堕落させる方向で優しげに接する多くの同業者と違って)あえて厳しく、ドライに、なんならサイコパスの極悪人だと悪い噂を吹聴されてまで、ビシッとしてきたつもりだったのに。

もちろん、気を張ってビシッとできている部分はあったのだろうし、それが皮肉にも?私が独立して以来、なんの下積みも顧客層の見込みもないで無名で一人で突如としてヒーラーの看板を掲げたわりには初月から一貫してこれまでヒーラー業1本で食えてきてる実績に結びつくという実績の要因にもなってはいたのだろうと思います。

ただ、それはやはり演技でありパフォーマンスであり、仮面として「ビジネスの鬼」ふうの役割をロールモデル的に演じていたにすぎなかった。

雑にいえば、そういうふうにビシッと仕切っているときは慕ってきて真剣に学んでくれていた受講生たちが、私が良かれと思って?その手を緩めた途端、学校の子どもたちあるある式に、だらっとしてしまったんです。

油断すると、ナメられる。

これ、アコギな人たちがうごめく俗世間なら私だってやむなく「まぁ、そういうものだよね」で了承も覚悟もできているとは思うし、それなりにピシッと対処することも年の功的にできるようになってはきたけれど。

「スピリチュアルヒーリングの徒としての人々、お前らもか」

は正直、意外というか、つらい盲点だった。

単にスピリチュアルヒーリングや霊的な理(ことわり)を学ぶ人だからと、必ずしも全員が同じ高みだか良い子ちゃん度合いだかに到達しているとは限らないのに。
そこをいっしょくたに雑に括って「俗世間の香ばしい人たちとは違うでしょ?さすがに」と油断しきっていた。

それを料金設定など商売の物理的な仕組みにまで及ばせてしまっていた。

それで本当に、虫歯のように、知らない間にどんどん、私のスピリチュアルヒーリング教授業というビジネスのあり方を蝕んでいた。

そこで私が「痛……」となったところで、お客様や受講生たちは

「え?なんかあったんですか?大丈夫?」
「ていうか、ちゃんとやって?」

というだけ。
(それは真っ当な反応だと思います。それに応えるのがサービス業としてのセミナー講師というものなのだろうし)

大反省ですわ。

スピリチュアルヒーラーとして10年超も、どちらかというと顧客や生徒に恵まれて潤ってそれ1本で食えてきて、実力というか「観えている領域」と「できること」もどんどん成長して、それなりにすごいヒーラーになれたなぁと思えるところまで来られたし、それはすべてが勘違いというわけでもないのだろうけれど。

人の愚かさと邪悪さ、悪気なく発揮する悪どさや未熟な香ばしい部分、彼らのそういう部分が発現した際に自分が被る被害の大きさを過小評価していた

んですね。。。

いやぁ、勉強になりますわ。

でも……。

いわば霊的保育士としての立場で、未熟な魂、霊的成長段階にいる人がここまでダメダメでまだいろんなことがちゃんとできないものなんだ、ということを学ぶために今回の人生があるということなんだろうか。

だとしたら、なんだか切ないなぁ。。。

学びに学んで、死ぬとき?

「そうか、今回の人生で、人はこんなにも愚かで未熟でどうしようもないということが学べたぞ」

を成果とするわけ?

あー、ここらへんだわ。
私がもはや、今回の人生をこのまま生き続けることに何の生き甲斐も持てない理由。

生きて得られる学びとやらが単に幻滅をもたらすだけなら。
都合のいい自分の妄想を破壊や是正はするという意味で学びや気づきを得た甲斐はあるといえばあるのだろうけれど。
それによって「この世は、人間は、予想よりもっとずっと酷いものだった」を学習する一方だというなら、生きててもしゃあないや

と思うとしても、道理……じゃない?

あ!
そうとしか思えない私自身が、ものすご〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜く、未熟で愚かな人間ってことなのか知ら。

でもじゃあ、そこを学んで気づいて成長して克服して悟った瞬間に言うのは

「人類はクソ」

ってこと?

まぁ、スピリチュアルを人々が学びたがらないはずだわ!!

さんざん学んだ末に出した結論、見えてきた真実がそれだったら、確かにこの世に生きてるのなんか、イヤんなっちゃうよねぇ?

さぁ!私はどうしよう。
ビジネスとかヒーラー業とか、そういうかしこまった?の抜きにして。

(同い年や年下の親友たちさえもがどんどんすでに死んでいって”置いてけぼりをくらった”感で余生としてこの世を生きてるのを我慢してるようなところがただでさえあるのに)ほんとにまだ生きることを選択する?

いや……。
条件設定次第で同じ人からも別の顔が出てくるってんなら、

もっと別の顔が見てみたい&いかにそれを引き出せるか

の方にチャレンジしちゃう?

ん……。
それはアリかもね……。

「資格なんて取っても稼げないよ?w」なんて今どき言ってる時点で10年以上、遅れてますよ

こういう本ありましたねぃ。

   紙書籍     Kindle版


「お金を稼ぐために資格を取る」という胡散臭い風潮がそれでも、太古の昔には存在した(んですよ?信じられないことに)



昔々、実際あったんですよ。

お金を稼げるようになると思い込んで資格取得を目指すという(今となっては信じられない愚行と、どこからツッコんだらいいのかわからないくらい全部が全部ダメな誤謬まみれの勘違いで、会話が成立しないレベルの)風潮が。

そして、そういう風潮を信じて資格を目指す人たちが。

稼げる資格かどうかを見極める、古典的な基準「独占業務の有無」



いちおう整理すると、資格が金稼ぎのために直接的に影響するかどうかは「独占業務」があるかどうかを見る手があります。
医者や弁護士、会計士などにはそれがあり、資格を持ってない人が勝手に医療行為をしたり、弁護士でないと許されない法律に関する業務をやったら違法になります。

ある意味ではこれが「それ以外」の人たちをその業務から退かせる「堤防」とゆうかバリアになっていると言えますねぃ。

その、(難関)資格を手にした人間だけが携わることのできる高級取りとしての独占業務を持っている……という特権労働者階級性みたいなものが、ひと昔前に金持ち労働者を雑に指してみんなが言っていた「医者か弁護士」に集約されます。

あえてその古典的な物言いが今も有効かどうかでいえば、弁護士よりは医者の方が(ただ資格を取りました、というだけのボンクラがそれでも稼げるかどうかの可能性の高さでいうなら)アリかな。

(ただ、弁護士についても、いわゆるドラマでよく見るような、訴訟を引き受けて裁判で演説みたいなことをするタイプの業務だけを独立して引き受けようとしたらそりゃあ大変、ではあるようですが。そうじゃなくて『本格的な外注法務部』的な、企業顧問契約みたいなのを事務所が結んで書類仕事を回してもらう体制と業務スタイルが定着しているところにサラリーマン感覚?で勤めているならそこそこ高給でいられる模様(←ただしその場合、『そういう事務所にそういう待遇で雇ってもらう』という、就職戦線の勝ち抜きが必要になってきちゃうみたいだけど))

ただ、この場合も、どっかの事務所なり企業の法務部なり病院なりに勤めるなら結局はサラリーマンということになり、資格そのものがどうこうというよりは、勤め先がいいかどうかと、そこでの評価・役職などのランク次第になってきますね。

独占業務がある資格を取得した人だけを採用する会社、事務所というのは、「さすがにドチャクソ薄給というほどカネが全然稼げないレンジの業界ではないよ」という、ゆるふわなセーフティネットかもしれない目安(←弱っ!)でしかないのが実状なんでしょうかね……。

独立したらしたで、今度はあらゆる業種での「独立した人」の土俵に立っちゃえば、独占業務がどうのこうのなんて関係ありません。
学歴ゼロのラーメン屋だけど全国展開してとんでもない時価総額の会社に成長!みたいな創業者社長と比較したら、弁護士や会計士、医師として独立開業したからってなんだよ、ということになるでしょう。

それに、公認会計士も税理士も、他のいわゆる「士業」と呼ばれる資格の類い。
独占業務はあるけれど、なんたって資格取得人数も多い。
そのうえ、AIやWebサービス、アプリなどIT技術にどんどん取って代わられる種類の業務ですからね……。
単純に数字を計算するなら、人間が電卓やソロバンを弾くより、コンピュータに打ち込めば間違いなく一発!なわけだし。
そういう単純計算ではなくて、助言や、方針を決める意思決定へのコンサルといった、機械ではおいそれとは代用できないヒューマンな部分で付加価値を顧客から見出してもらえるかどうかで変わってきそう。

そういえば中卒で会社を立ち上げた知人が、「会社をつくるなら顧問やりますよ」と大勢の公認会計士・税理士から売り込みされて、苦笑まじりに言ってましたっけ。
「うっかり勉強がんばって難関資格を取ろうなんて考えなくてよかった〜。すんごい難しい試験のために何年も勉強してどうにか資格に受かって、さらに実務経験を積んで独立した果てに、俺みたいな中卒社長に頭ペコペコ下げて必死で営業かけて、しかも断られてんだもんなw」
と。

結局、独占業務アリの資格であっても、もはや人材の数が飽和気味であるうえに単純作業に報酬として支払う金額の相場が値崩れを起こしてる業種&時代である以上は、「取りさえすれば自動的に一生ウハウハ」とはいかないようですよね。

ただ、稼げるかどうかを山師的に狙うというよりは、工事現場での作業のように、安全面などのために作業者に資格取得を課す場合もある模様。
(工事系の資格ってものすごく種類があるし、建造物や電気の配線など、人命がかかわるだけにマジでちゃんと資格による専門技能の担保や設備保全が機能して現場が動いててくれることを願う)
そういうのを、「ちゃんとした仕事をできる職人であるために」取得を目指す方々は素晴らしいし必須だからね。仕事を請けるのに。そりゃ取るでしょ。

独占業務アリの難関資格でも「取りさえすれば稼げる」時代はとっくに終わった。じゃあなぜ人は資格を取るのか? しかも、独占業務すらない資格であっても!?



じゃあ、稼げるんじゃないかという目論見で資格を取ろうとする人は、どうかしているということなのでしょうか。

基本的には、そうでしょうね。

あと、よくあるのが「自己啓発」目的。
これはもう、なんていうか、その人の繊細な壊れやすい独りよがりな夢なんだし、大切にさせてあげようよ的な優しい苦笑が出てしまうのですが。
その資格を目指したり、見事に合格することで、それまでの自分よりも自分自身を誇らしいとか、喜ばしいと思えるならどうぞどうぞ、だと思います。
そこは、他人が口を挟むことじゃないと思います。
めちゃんこ弱っちくて「うわぁ、だっさ」と他人からは思えても、言わぬが花。

事情によっては、
「もう、私が自分を信じられるのは、自分で自分をダメじゃないと認められるのは、この資格の合格をおいてほかにない」
となる場合もあるだろうし(それ言ったら資格じゃなくても、習い事の発表会での出来とか、コンクール入賞とか、なんでもそうですよね)、私だっていつどんなものにそう思うようになるか、わからない。

だから、一見茶化してるようなこと書いちゃいましたけど、私ほんとに、ここは迂闊に他人が冷やかしてしまうのはよくないとも思ってはいます。

ただそれでも、あえて冷酷にいうとすれば、「自分だけの思い入れでいう”自己啓発”」と割り切っているならまだしも、

社会の万人に対して「え、すごいじゃないですか!」と認めてもらえる証になるだろう……と思ってるなら、現実を知らなさすぎ

と思うなぁ。

資格でも学歴でもなんでも、それが有利に働くとすれば、「それをすごいと思う相手にアピールした場合」のみなんですよ。

だから、べつに独占業務なんてなくても、世間ではマイナーで無名でも、実は難易度がそれほどじゃないにしても、「ほかならぬ、自分がどうしても入りたい職場や、任されたい仕事。もしくは、認められたい相手から認めてもらえる」など個別具体的な優遇が見込めるなら、それをしかるべく取得しておくというのはアリだと思います。

例えば私にしたって、某地方の民謡をやるお教室に通っていたのですが、そこでは町内会レベルのとんでもなく下手な人でも受かるようなチャチなコンクールで入賞したことがあるかどうかで、教室内での地位のようなものが格段に異なっていました。
つまり、肩身が狭い想いをせずにその教室内での人間関係を融通させ、その場に”い続ける”ためにも、コンクール入賞はマストだったんです。

はい、一見、話がそれたようになりましたけど、本題に戻ってきました。

ようするに今これからの時代、資格を取る意義があるとすれば、それは「人付き合い」のためなんです。

今よりもどんどん二極化が進み、人の集う場という意味での「界隈=階級」になる



二極化、二極化、と叫ばれてもう十数年が経ちます。

ようするに、いま40代半ばの私が20代のときから「二極化が始まっている」とビジネスマンの間では言われていたわけですね。
(が、当時は『東京の、その中でもアンテナの感度が高いビジネスマンだけ』が知ってる程度でした)

当時はアンテナ感度低めの知人にそう言っても

「は?二極化?なにそれ?どういう意味?誰もそんなこと言ってないよ?」

でしたし、意味を説明しても

「そんなふうになるわけないじゃん。なんたって日本は一億総中流階級だよ?」

と、一笑に付されていました。

「あるとしても、今だけでしょ?そのうち景気がよくなったら、またみんな平等に暮らせる時代が来るよ」

といって穏やかに笑っていたんです。アンテナ低めの人たちみんなが。

信じられますか?
せいぜい十数年前の話ですよ?

いま、二極化が起きてないと言ってみるとして、それを信じる人がいますか、って話で。
(あえていうと、二極化を認めたくない弱い人がやってるのは、たまに目にします。場末の昭和感全開のスナックなんかで、いろんな意味で終わってしまった(それ相応の年齢の)人が、古き良き年功序列やらの価値観がまだこの世に残っておりそれが真実であるべきなのだと、酒で顔を真っ赤にしながらフガフガ言ってるのを)

で、今起きている二極化は、かつての?ように、学歴など画一的な基準で全国共通で階級やランクが決まるという意味合いでのものではありません。

もはや情報戦

なんです。

というか、個々の情報を単に知っているかどうかだけで差別化が図れたり仲間かどうかを確認できた時代さえもが、とっくに終わってしまいました。

(言うまでもありませんが、ただ単にたくさんお金を持っていさえすればその金額の分だけ、お金を持っていない人よりも絶対に強くて良い思いをできるという時代は、もっと前にとっくに終わって久しいです。というか、ものの値段というものが、以前ほど品質を担保しなくなった。高くてもアレなものはあるし、安くても良いものはたくさんある。だから、何も知らないでカネだけ持ってて、業者の口車に乗せられて必要以上の金額を余裕かまして払っちゃう奴は、ただの馬鹿な鴨なんです。この時代、値段と品質が綺麗な比例関係を保てているのは、たとえばお酒があったりします。が、よほどそういうふうに値段と品質が担保された(ある意味では古いままの)仕組みをあいかわらず踏襲してしかもそのシステム運営が劣化していない物限定、くらいの勢い。他の物は基本的に、値段は業者それぞれがわりと勝手につけるもので、それが市場全体から見て妥当な価値を担保した値段とは限りません。し、ブランド物に大枚はたいていかにもバブリーぶってた幼稚な荒い金遣いは愚かさの象徴でしかない時代です。プレミアだかなんだかで、異常に値段が上振れしたものについては、はたして自分がそれを使うことが、収入額などトータルでみて妥当なのかを昔以上に考えていくべきでしょうね。ものすごく稼いでるミュージシャンが、一脚何百万円もする椅子を『座り心地が最高』といって買ったりしているし、その人にとっては無駄なブランド物に過剰な金額を払ったとは思っておらず適正な価値に見合う金額を払ったと思っているでしょう。し、椅子一脚に何百万円でも出せて困らないならそれはそれでなんの問題もないと思います。問題は、ただそういう人がいるからと自分も、と思考停止して追従したり張り合ってしまうこと)

今これからは

情報の解釈の仕方と理解の解像度、意識やアンテナ感度&向いてる方向etcのすりあわせで「界隈」が細分化されていく時代

です。

学歴なり資格なり、「すごそう」とみんなが信じ込んだり、みんなが信じ込んだが故に成立した風潮、その風潮が常識化したこと(例:東大卒が一流企業に入れる)がどんどん形骸化していきます。

稼ぎ方にしろ、誰もがすごいと認める学歴や資格があるからその分だけ絶対に高級取りの仲間入りができて、一生それが続く……とは限りません。

というか、

労働収入を唯一の収入源にして働き続ける「稼ぎ方」を採択している時点で、時代遅れ&時代錯誤の情弱すぎる

とすら言えます。

そして、

どこの誰に聞いても正しい、合ってる、信頼できるという答えが返ってくるような物事は「もはやオワコン済み」の段階にある

ほど時代の流れが速くて極端。

タピオカが流行ったのは何年前ですか?じゃあ廃れたのは?
今でもタピオカが、数年前の全盛ブームと同じだけ人々を突き動かす(例:何時間でも並んで買う)魅力を持っていると本気で言えますか?

世の中の全員がタピオカを普遍的なものとして「このくらい良いものだよ」と評価を下し、その評価が常識として半永久的に定着するなんてこと、ありえない

わけです。

これはつまり、お金の稼ぎ方にしろ、暮らしぶりにしろ、風の時代で暴風雨ばりにとんでもないことになる世相の中では、ついさっき正しかったことが次の瞬間にはもう遅い、いまさら手をつけてももはや悪手……ということが当たり前になるということ。

その中で、たった一人で、なんの情報もなく、100%の確率で自分が都度都度、秒速で判断を下し、意思決定して、しかもそれが時代のとある一瞬一瞬でベストなものになり過去最高に稼げるなり得をするなり大正解である……ならいいですが。

ぶっちゃけ無理でしょ?

誰かしっかから、何かから、情報を得て、シズル感と呼ばれる「ナウみ」のほんとにそのベストタイミングで動く。

真剣白刃取りをするような、一瞬速くても遅くてもどっちもダメで死んじゃう時代なんです。

であれば、鈍臭い情報の流通ルート(としての知人)なんか付き合ってられないしアテにしたら共倒れ。

相談をするにも何をするにも、シビアな時代をちゃんと良い感じに渡れてる人同士じゃないと生き残れない。

だから人選びは重要。

一方で、先に挙げてきたような、それまでの時代ではすごいと言われてたかもしれないけどもはやオワコンな、ただ単に難関なだけの学歴や資格といったものでは、その人が今これからの時代を生き抜ける(だけのマインドやスキル、人脈、反射神経など心身の鍛錬度合いの一式を備えた)人材なのかが見抜けない。

そのために、世の中にごまんとうごめく人たちの属性や各パラメータを個別具体的に細分化して、どのパラメータがどこまで到達していればOKかNGかの判断基準を個々人がそれぞれの経験則なりを通じて確立する。
その判断のお眼鏡にかなう相手かどうかを見極める目安として、とある資格を持ってるかどうかを見る、というのがあるわけです。

「これから生き残れるのは、この資格を持ってる人(取ろうと目をつけるセンスを持っている、いざ試験を受けて合格する頭脳なり技能なりを持っているetc)」

と思うなら、その資格を持っている人はOK判定をして、お近づきになるとか、接する機会があったときにスルーせず心を開いて応対しよう、となるわけですね。
(もちろん、そういう判断さえもが、常に正解として有利に働く保証はなく、それはそれでギャンブルではあります、どこまで行っても、どこの誰にとっても!)

だから、資格に限らず、勉強会とか、とにかく「その分野、方向」をちゃんと向いてるなら付き合いを持って安心だな、と思えるかどうかで個々人が個々人それぞれを査定する。

そういう時代になっていくでしょう。

ちなみに私は、資格ではありませんが、体型を見るようになりました。
この時代に、不健康に贅肉でブヨブヨに太っていて、実際、歩くのもおぼつかずに体力もなくすぐ息切れしている。疲れた体と連動して心もすぐに疲弊して、言い訳だらけで何につけてもできないことを正当化して面倒なことから逃げようとする……みたいな肉体でい続ける時点でかなりヤバいと思います。
美醜の問題じゃなくて、そういう体力や、そんなに疲れやすくメンタルも凹みやすい状態で、とてもこれからの時代を生き抜ける人だとは思えないからです。
人生100年時代と呼ばれ、自分では太く短く生きるなんてうそぶいてカッコつけてはいても、いざ倒れたときはよほど即死でもしないかぎり、結局は苦しくて自分で救急車を呼んでしまうか、誰かに呼んでもらって病院にいくことになり、それなり以上に効果のある薬を処方され、それを飲んで痛みや苦しみがおさまってしまうことを学習したら手放せなくなります。
かといって健康になりきれるでもなく不健康なまま、何をやっても続かず疲れて頭がボーッとしてetcで、だけど死ねない。
そしておそらくその人は、そんな中途半端で、でも確実に採用か不採用かでいったら不採用な有様でいる自分自身のことを、ありとあらゆる言い訳の屁理屈でっち上げで擁護するでしょう。
「糖尿の症状が完全に出ないところまで回復させるようなストイックな生活は無理(笑)。でもお医者さんからもらった薬は欠かさず飲んでるよ(ドヤァ!)」
みたいな。
もう、そういう選択をしている時点で、一緒にいて良いことが何もないと思ってしまうようになりました。
偏見かもしれないけれど、確率の問題というか、わざわざそんなダメそうな要因がいくつもある人をそれでも付き合う価値のある相手だと例外的に判断する気にはなれないんです。よっっっぽど別の何か大きく光り輝くものを見い出しでもしない限りは。こっちだってその人がダメじゃないかどうかをじっと見続ける暇ないので。そんなことしてるヒマがあったら、明らかにすごくて良さそうに思える人とお近づきになって可能性を具現化していく方向に全力ダッシュしますよそりゃ。
ちょっと前までの自分がまさに駄デブで、そうであるがゆえにめちゃくちゃチャンスを逃すというか、思うように動いて欲しいものを手に入れる俊敏な動きが物理的にも概念的(=なにか計画を思い描くなど)にもできず、これじゃダメだと懲りたんです。
だから余計、かつての自分のような状態にある人が、どういかにダメなのかが、パッと見抜けるつもりです。

仮に、相手が若い(&その若さゆえに、不摂生な暮らしをしていたり、健康維持のための知識や技能の習得になんの行動も起こしておらずノウハウが0だけれど)スタイルのいい女性だとしても、たとえば筋トレの話題が出たときに
「腕が太くなると嫌だから筋トレは無理ぃ〜(ヘラヘラ笑い)」
みたいなこと言う人だと、その時点での体型や健康状態(血液検査の結果など)がどれだけよくても、頭の中でイエローカードというか、◯ではなく△をつけます。つけるでしょそりゃ?
その人はたまたま体質的によほど恵まれていて、そんな有様でもずっとスタイル良くて健康状態も良いままだとしても、その人のヘラヘラした意識の低い、なにもできないことを肯定する言葉を聞き続けたら、自分の方は悪影響を被ります。ダメになってもいいじゃん、という暗示として響くわけですよね?その人の言葉は。

そういうふうに、その人自身はずっと平気で損をしないとしても、その人の思考や行動、発言と同じふうに自分がしたら自分はどんどんヤバくなる……という場合も付き合う相手としてはNGなんです。

これって、生き抜くための自衛としてはそこまで理不尽なことじゃないですよね?

そうやって自分をまずは護っていかないと。でしょ?

こういうふうに、個々人がそれぞれ、その人ならではの基準で人を見るようになっていくんだと思います。

その基準のひとつに、何らかの資格を採択する人もいるでしょうね、ということ。

資格がもたらす「普段の付き合いでは絶対に知り得ない人との人脈ができる」可能性というオプション



温泉検定など、稼げる目処もすごいと言われる評価が世間で確立される可能性も永遠におそらくゼロ、みたいな資格はいくらでもあります。

そういう資格をわざわざ取る奴は物好きだとか、それで履歴書がグレードアップすると勘違いしているならとんだ世間知らずだ、など、あらゆる理由でdisられがち。

しかも、実際そうなので反論は難しいでしょうね(笑)。

でも。

さきほど、資格は人付き合いのために取る、と申しあげました。
で、OKかNGかの判定基準として資格を使う人もいるだろう、ということをこれまで述べてきました。

ここではそれに加えて、資格は同好の仲間と出会う人脈ルートだということを付け加えておきます。

で、たとえば温泉が好きだという同志として知り合う人が、別の何かのすごい人であることもあるのです。
自分が仕事でも私生活でも、もし温泉という趣味を除けば永遠にその行動範囲で動き回っていても出会えなかったであろう人と、出会えるのです。趣味系の資格を取った者同士という共通項によって。

そこからもしかしたら……?

まぁ、実際は、何かの分野ですごい人がいるとして、温泉検定取得者同士の集いで誰かと会ったとして、その人を自分の専門分野での活動にまでお声をかけるかというと、あまりないのが実状でもあるといえばありますが。。。

これまた資格の話じゃなくなるので恐縮ですが、ゲイコミュニティってすごいなと思います。

ゲイコミュニティ(ゲイバーとか?)で、とあるゲイと別のゲイが知り合うとして。
それはセクシャリティの共通項であって、仕事の専門性やその他の何かしらでは関係がないはず。
でもなぜか、(普通に自分がキャリアアップにいそしんでいたら絶対ムリな)転職やらお仕事の引き合いがあったり?
(そういう路線で、『ズルい!』と感じるキャリアアップできちゃってる人、けっこういるんですよね。羨ましい)

それと同じことが、趣味系など実用的でないとされる資格にもワンチャンあるかも!?

資格を取る、のではなく「たまたま身につけたい知識や技能があり、それを実力テストばりに確認すべく資格試験を受けたら合格したので資格を取れたということになった」が正解



これまで述べてきたことをふまえると、まず、資格名を追う時点で、無いですよね。

私は駄デブでないかどうかで人を見ると先ほど(生意気にも)述べましたが、これはつまり「駄デブではないようにするにはどうすればいいか、肉体改造やトレーニング、健康維持etcについてアンテナを張り、ある程度の行動を起こして何かしらの知識なり技能なりを習得している」かどうかが判断基準ということになります。

そこから逆算して、例えばパーソナルトレーナーとしての一定の知識や技能を証明する(ということになっている)NSCAなどの資格を持っている人かどうか、を見るわけです。

NSCAという資格名をやみくもに、漠然とした憧れや、周囲のミーハーな人がすごいと言ったからそれを鵜呑みにしてすごいと捉えるのではないんです。

あくまでも、先に「中身」ありき。

これこれこういう中身を持っているかどうかで人を判断したい、という目的が個別具体的にあって、そこから「それを満たす資格があるとすれば?」をリサーチする。

この方向です。
逆(資格名を先にすごいと捉え、中身は気にしない、知らない)はNG。

人を見る手段のひとつなんです。

そして資格は、名前じゃなくて中身(その資格を取得する過程で合格者が身につけたスキルやノウハウ)。

これが、不遜ふうな記事タイトルをつけた私なりの論拠です。おわかり?(←なんで最後まで高飛車なんだよw)