レビュー

脱・イジメられっ子を目指すならウェンズデー・アダムスに学べ!

アダムスファミリーの長女ウェンズデー。



陰キャ代表!な外見と性格ですが、「絶対に妥協しない」芯の強さと、それをどんな強い目上とされる相手にも臆せず表明していく、好戦的とも呼べる鮮やかな支配術を心得ています。

白黒映像だった60年代テレビシリーズから実写版映画、舞台、CGアニメと受け継がれ、女優が入れ替わり演じています。
作品数が増えていくにつれて、ウェンズデーらしさといったものが製作者・演者・視聴者たちの集合的なイメージの中でどんどん確立され、成長していってる感じ。

特にクリスティーナ・リッチが演じた映画版以降、「いかにもイジメられっ子ふうな陰キャだが、実は最強」というギャップ萌えを担う要素が大きくなってきたような。

絶大なカリスマ性と完璧なリーダーシップを発揮するようになっていますw

そして2019年のCG映画版!




長年の醸造を経てついに完成したウィスキーのような、「強い陰キャ」の最終形態!とでもいうべきキャラクターに仕上がっています。

陰キャとされる、学校や職場などでうまく自己表現&それを周囲に受容してもらえてない人って
「裏技的な強さで、スクールカースト上位にいることができていると自他ともに思えている陽キャたちを一網打尽にして裏ボスとしてトップを獲る」
という野心あると思うんですよね。
それを見事に成し遂げてしまう感じ。

2019年CG映画版では明確に、学校に通って人気者イジメっ子を撃退するシーンがあります。
特に、友達がいじめられたときにタンカを切るシーンのセリフは金言。

なんつーか、ウェンズデーって

スジの通った昭和のスケバン

なんですよね……。

実は情に厚い。

創作作品だけに、観て学んで即座に現実で活かす!とはならないかもしれませんが、
「自分なんてどうせ一生、みんなからキモがられて活躍できないダメ人間なんだ……」
と自己効力感・自己肯定感がダダ下がりなままの人は、プラセボがてらに見てみては。

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心配するのをやめる方法

D.カーネギーの名著。

HOW TO STOP WORRYING AND START LIVING.
  紙書籍版     Kindle版


カーネギーというと圧倒的に?「人を動かす」の方が有名なのかなぁとは思いますが。

日本語タイトルでは「道は開ける」で、「人を動かす」と音律を合わせたのかなぁと思いつつ、シンプルすぎて何が書いてある本なのかが伝わりにくくなってる印象もあります。

英語タイトルの直訳だと「心配するのをやめる方法、そして活き活きと生きることを始めよう」みたいなニュアンス?で、そのまんまの内容になっています。

それこそ仕事などでドン詰まって、◯殺を考えるほどまでヤバくなった人たちがいかにその境遇を乗り越えたかを、数多くの(ほとんどが実名の!)実例まじりに紹介しながら、黄金の鉄則!みたいな路線でまとめていく。

実例が多いだけに?、そして、それら実例をまとめる形で鉄則を「これ!」と挙げるまとめ方なだけに?、

読者側に読み方が問われる

と思います。

よくある残念パターンとしては

「この実例の人の場合はこれでよかったのかもしれないが、自分の悩みの解消には直接、役に立たない」

など読者それぞれの個別具体的な悩みに本の内容がそのまま当てはまるかどうかを期待し、そうでないなら即「❌ 」をつける的な読み方。

それから、鉄則としてのまとめ「こういうときは、〜〜〜をしろ!」に対して揚げ足取りみたいに
「そうかぁ?」
と疑って皮肉に笑って蔑んで
「すべてのあらゆる悩みのケースで必ず絶対にそう言えるか?そのやり方でもし万が一、悩みが解決できないパターンがあったらどう責任をとる?」
と意地悪げに詰めちゃう、とかかなぁ。。。

本の冒頭に、自分の頭で考えて読め的なことが口を酸っぱくして書いてあり、ようするに本の内容というものが、それぞれの読者が抱えている悩みに対しては解決のヒントではあるものの、ヒントでしかないのだから答えは自分自身で本を読む中で考えて見出していけよ、という方向性なのかなぁと思います。

そもそも(相当)悩んでいる時点で、その悩みがそのように在り続けると受け止めているわけじゃないですか。
その状態で「この悩みは解消する!」と思えないものですよね、人って。

まず、ものすごくドン詰まった状態に置かれた状態でそれでもなお絶望せずにその悩みの解消・解決を指向し続けられる時点で、かなり人生経験を積んだ猛者(もさ)といえます。

大半の人間は、楽観的か悲観的かでいえば悲観的、ポジティブかネガティブかでいったらネガティブで、大人になればなるほど悲観的でネガティブで物事にしかるべく限界と不可能感を感じて青臭いことは言わない(のが常識的でそれが良いことだ)というスタンスにいることが多いものですよねぇ。
それは厳密にいえば怠惰であり、(たとえわずかであっても)物事がうまくいく可能性を握りつぶす暴力的なあり方。
有能か無能かでいったら無能寄りで、そんな無能だからこそ悩みという、いわば問題を「現れるなり即座に解決」することができてない有様に陥るわけですよね。(ほんと、厳密に厳密に厳しく言えばですが)

この本を読む人のスタンスが、著者によって推奨されるような「自分の頭で考えて自分自身の悩みの解消の方策を探る」主体的なものではなく、

「どれどれ、お手並み拝見」

とばかりに批評家気取りで、それでいてプロの批評家がちゃんとやるようなお作法は身につけておらずに好き嫌いで
あれこれ偏見的に感想を述べるだけだと

「世間では名著と言われるみたいだけど、読んでみたらそうでもないw」

と低く評価して鼻で笑うのは一番、簡単でしょうね。

物理的な肉体の病気そのものより、「心配」に起因するストレスで人が多く死ぬ



私が一読者としてこの本を読んだとき、具体的な心配のやめ方についても相当、役立つ内容だなと感じはしたのですが、それ以上に考えさせられたのは

心配に殺されてはいけないな(人生もったいないな)

ということです。

当時まだ天然痘が絶滅はしていなかったそうですが、それでも4万人に1人しか亡くなっていないのに
「気をつけろ!」
とみんなが騒いでたらしいんですね(ちょうど今の風潮みたいですねw)。

でも、それよりはるかに多い人数が、例えば世界恐慌の際に心臓病(発作?)で亡くなっている。
しかも、いわゆる物理的な前々からの基礎疾患ゆえとは限らず、景気が大幅に落ち込んでとんでもない事態にそれぞれが追い込まれて、それこそ「死ぬほど」ストレスを感じたから。

神経を病んで亡くなった人の遺体を解剖してみても、物理的には神経は病んでいない(つまり心因性というか、精神的ストレスが要因、ということを示唆している模様)。

本が書かれたのが20世紀初頭で、今ほど精神医学や心療内科的な知識やアプローチが出てきていなかっただろうし、おそらくですけど人々が今よりもっともっと素朴だった。
(1960年代など古いドラマで、ギャグかもしれないけど、ちょっとしたことで人が失神して倒れるシーンがやたら多く出てきますよね。あんなにすぐ人が神経を病むものなの?と思うけれど、案外、当時はそうだったのかなぁ、なんて)

今の人はそれよりはみんな神経は図太くなっているのだろうし、ストレスというものに対する知識やケアもかなり進んではいるものの、それ以上にストレスフルな環境もシビアになっているのか、そうでもないのか……と、ちょっと”ジェネレーションギャップ”は感じました。

でも、言ってること自体はド正論だな、と感じましたし、これだけメンタルケアについても(まだまだ発展途上とはいえ)出揃ってきて、人生100年時代で生涯現役!なんて言われている以上、仕事のストレスにやられるのはあまりだな、と痛感しました。
ただでさえ、老年とされる年代に突入したら、肉体をいかに健康でいさせるか、そしてお金や衣食住など物理的な生活環境をキープするかが大命題となりそう。心配で潰れる余地のほうが、無いw

心配への対処法をどれだけ体得できるかどうかは、長生きしたり、歳を取ってもまだ自力で稼ぐという(貧乏人の)宿命?から逃れ切れるとは限らないこれからの時代を生きる人にこそ、ほんとに必須スキルなんだろうなぁ、ということでご紹介した次第です。

バナナフィッシュはここから始まった?(……わけじゃなかったらごめんなさい、サリンジャー作品の概説です)

サリンジャーの短編小説集



に、代表作とよばれる「バナナフィッシュにうってつけの日」が収録されています。

主人公はシーモア。

以前ご紹介した、フラニーとゾーイーの兄、天才揃いのグラース家の長男です。

この短編小説で、彼の生涯は終わりを迎えるわけですが。

亡き兄についての思い出回想録という体裁で、シーモアの弟バディー(この人もフラニーとゾーイーの兄です)が、シーモアの結婚式のこと、そしてシーモアについて語る小説がこちら。



これが後の

フラニーとゾーイー


に繋がっていく?わけですね。

と、画像つきでわざわざ紹介したのは、表紙の水玉の統一感が素敵だよね、ということが言いたかったわけで。

万人に共通&永遠に普遍の「最高の真実」が観えてしまうスピリチュアルヒーラーにとって文学とは



見出しの大きさに今すぐ書くのをやめたくなりましたが(笑)。

文学にもいろいろありますけど、小説の場合、どう客観性を保ったつもりでも、作家本人という主観性をゼロにはできない。

そして、どれだけ偉大な作家だろうと、霊的な最高の真実を100%理解しているわけではないし、またそれを作品に記せているわけではない。

なにより小説は、べつに霊的な真実を書くべきものでもない。
(もし書いたところで、出版社の編集者や、文学賞の審査員たちから高い評価が受けられる保証もない。むしろ、霊的真実に抗うというスタンスで文学やってる人が審査員だったら、けちょんけちょんに叩かれて終わるでしょう)

さて。

すべての人は霊的真理にたどり着くため、いわば悟りを開くために輪廻転生を旅して永遠に生まれ変わり続ける(なんていう酔狂なことをしている)わけですが。

それなら直線コースで霊的真実を知れば、それで悟れるんじゃないの?と思いますか。
それと同じで、霊的真実と違う一個人の考えを長々と書き綴るような「小説」など創作作品は、そういうジャンル自体、悟りを開くためには無用のサボり、回り道をしていると捉えますか?

どうなんでしょうね(まさかの答え出さず)。

気になるなら、やってみればいいじゃない。

読んでみれば。

そこに書かれてる内容が、いわゆる霊的真実を直球でそのまんま書いたものじゃなかったとして。

「あぁ!無駄だった!こんな読書時間を貴重な人生の中で費やしてしまったことで、私は悟り切るのがその分だけ遅れた!」

って、コスパ重視で頑張っちゃう感じですかね。

やっぱり真実をそのまんま書いてあるスピ本(そんなものがあるかどうかは知りませんが(見たこともありませんが))を読むのがいいんでしょうかね。

きっとそうなんでしょう、あなたがそう思うなら。

バナナフィッシュ!!!

太っちょのオバサマというキリストを想って生きればOK牧場!!

Franny and Zooey。

   英語版      野崎孝 訳    村上春樹 訳


これほど「甘酸っぱい宝石のような黒歴史」感を呼び覚ましてくれる本も珍しいでしょう。

この本の著者サリンジャーの作品としては、

ライ麦畑でつかまえて

  野崎孝 訳     村上春樹 訳


の方が有名なのかもしれませんが。

フラニー〜の方がマイナー?な分、「それ読んじゃうのかよw」という”そういう界隈のしがらみから抜けきれない”感がドM的にンギモッチィ!?

これを「引き当てちゃう」性(さが)というか、ね。

嫌いじゃないんでしょ?

わざとらしいまでに重い宿命を背負って生まれてきた的な。
(わかる)

ツンデレというかの原点にして極致。

今の子はこういうの読むほど牧歌的でもヒマでもないのかしら……。

フラニーとゾーイの「知ったか」になれるシーン



全部を丁寧に読むのは正直、難解で退屈な筆運びというかでいろいろ「削られる」。

ので、ハイライトだけ「知ったか(ぶり)」。

・ゾーイが(兄であるバディのふりをして)フラニーに声をかえて電話をかけるシーン

前後関係は飛ばし読みででも、あらすじ解説のWebサイトなどででも仕入れておいて、ここだけ読めばもう。

あと、あえていうとゾーイと母親の浴室の会話(←私は個人的にこのシーンが大好き)。

いちおう、あらすじ


大学生にもなってフラニーが「みんなみんな(アタシ自身も含めて)大っ嫌い!」と厨二病を発症して失神→鬱。

プロの俳優である兄ゾーイが電話で神トークし、フラニー回復してめでたしめでたし。

まぁ、なんてシンプル。
(どうしてあんな冗長な文章になってしまうんだろう)

この(ありきたりの青春小説ふうの)作品がなぜ傑作なのか



それはゾーイのいう

太っちょのオバサマ

に尽きる(と私は独断と偏見で思っている)。

そういう登場人物がほんとに出てくるのではなくて、想像上の普遍的存在として、例え話というか、ゾーイがいつも胸に想っている存在として出てくる。

俳優であるゾーイは、いつも「太っちょのオバサマ」に見せる、見てもらうつもりで演技をしている、と言う。

もし、世間の(つまらない、くだらない)人を「俗物」とするなら、太ったオバサマは「超俗物」とでもいうべき存在で、この”超”は「超える」という意味。
つまり、俗物をはるかに超えた存在である、ということ。

❌ ものすごくつまらない、くだらない俗物
⭕️  俗物をはるかに超えた、すごい存在

というニュアンス。

つまり、

イエス=キリスト

である。

心にいつも太っちょのオバサマを抱いて生きれば大丈夫、と。

それを聞いたフラニーは厨二病から回復して物語はおしまい。

「は? なにそれ?」

と思うかもしれませんが、興味をもったら本読んでみてくださいな。

セルタンの食べ物ふう家具が可愛い&気持ちいい

セルタンの家具にハマってます。

最初にグッときたのが、目玉焼きブランケット。
   Sサイズ     Lサイズ


肌触りが最高……。

そして見つけてしまった、パン座椅子。

   トースト    メロンパン


食パンクッション

   2枚切り    4枚切り


そして、ソファとソファベッド……。


全部揃えると統一感すごい……。(注:これはメーカーの公式画像です、Not あたしん家)
81GzEaQs6iL_AC_SL1500_.jpg

セルタン公式サイトのパン家具一覧ページには、他にもいろいろあるので、揃えていきそう。。。

そして、

飽きたら一気に全部捨てそう……。(それも一興?)