そんなに小娘でもないでしょう?という自分の声にも気づいてる

感想の中にもありますが、「この先どうやって、周りと自分を助けて生きていくか」という相談内容でセッションを受けてくださった方です。

1ヶ月と少し前に、シータヒーリングの2時間セッションをお願いしたものです。
その節はお世話になりました。
大変遅くなりましたが、感想とその後の変化をお送りさせていただきます。


「この先どうやって、周りと自分を助けて生きていくか」という相談内容でしたが、
簡単に自分の中で答えが見つかるものではなく、また一過性のものでもなく、
usamimiさんが話して下さった事やセッションで気づいた事を頭に置きつつ、
考えて行動していくしかないと思います。


セッションを録音させて頂いたおかげで、どうあっても弱くて大した事ない存在だとして、
逃げていたがっていた自分というのがよく分かりました。
大した事ないというのもポイントで、だから困らない程度には社会生活もでき、
本当に人生の変革を迫られるようなトラブルは起きずにいたんだと思います。
まさに意図した通り。私はシータを学んでおきながら、
意図するという事について、usamimiさんのセッションを受けるまで全く分かっていなかったのでした。


また、私は予想外の事に対して頑なだったようで、
ハイヤーセルフから足揉みはお金のなる木に
なり得ると言われた時、
え〜またあの仕事に戻るの?と、驚いて拒否姿勢でした。
でも、「足元を見なさい」とのメッセージだった事もあり、
手始めに毎日自分の足裏揉みを再開しました。
サボり気味だった、シータでのワークも再開しました。

その後、私は肉体の癒しに特別興味はなかった
(むしろ、リラクゼーションの仕事をしていた時でさえ、
私には人を癒す事はできないという強固な思い込みがあった)
のですが、腰痛がつらい時、シータでコマンドすると、
え?と思うほど痛みが楽になりました。

それならと思い、顔にある傷跡を癒してみたところ、
本当に盛り上がりが薄くなり、明らかに以前より平らに近くなったのです。


(顔の傷の事は昔からの大きな悩みで、傷が綺麗に治りにくい体質という事もあり、
半ば諦め、でも希望を捨ててもいませんでした。
それが私の現実で、誰にも言わず、
気にしてないよという体でいるのが日常でした)


その時、私は私の癒し手であるという思いが湧いてきた
(というより、思い出した)のでした。
そして、私と同じように、人は皆自分で自分を癒す能力があるのだから、
できるなら、自ら良くなっていく事を指向する人達のお手伝いをしたい、
という思いが湧いてきました。
単純な感慨に過ぎませんが、どういう形で現実化するか考えています。
傷は完治はしていませんし、腰痛も一度のコマンドでは治りませんでしたが、
何故癒す事ができたか、試行錯誤して分かっていきたいです。


usamimiさんのお話には気づくところが色々ありました。
特に考えさせられるのが、
「スピリチュアルな人って、この世の闇や汚ないとされるものを否定して
善とか光に生きるんじゃなくて、
そういうのもあるし世の中愛憎とか、どうしようもないなと思うものに
影響されあってるよなというのも分かった上で、
その中でしっかりちゃっかり生きつつも何か高みを目指すなら
こうなんじゃないの、って所を目指す」

「ここに生まれるっていうのを最高最善の
自分の選択で来ている以上、自分の頭でも分かってない、
このグチャグチャのグレーゾーンだからこそ、
何かができるんじゃないの」

「人間にそんな心の底から本当にやりたい事とか崇高な何かとか、そうは無い。
探してたら無い。だから無理やりつくってみたり、『そういう事にしておく』とか。
いい意味で大人のズルさみたいなもので、
そのグレーゾーンにあやかっていかないと、やっていけない。
もちろんそこでどうやるかが、この世で生きるスキル」


至言だし、至難だなぁ、と思います…。
が、そんなに小娘でもないでしょう?という自分の声にも気づいてるので、
どうにかこうにか、やっていこうと思います 笑

色々とありがとうございました!
長くなってしまってすみません。
またお世話になる時は、よろしくお願いします。

セッション中、具体的にどういうことをしていけばいいのかの局面で、創造主から「ハイヤーセルフとの対話をするとよい」と来て、してみたらこの方のハイヤーセルフが

「足元を見なさい」

と言ったんですよね。

思い当たるフシはありますかとお尋ねすると、この方が足揉みを以前やっていたがそこまでやる気でもなくどちらかといえば嫌だと思っていたとのこと。

創造主に確認すると「それ」と言われたのでお伝えしたのですが、セッション中は本人も書いておられるように

「えー?そうかなぁー?」

と懐疑的でした。

こういうとき、ヒーラーとしては、というか1人の人間としては、気弱になるんですよね。

「あ、違った?納得いかない?いま、こちらのこと疑ってる?信頼をなくした?怒ってる?」

と。

でもね。ちゃんとチャネリングできてるなら、そのお客様の反応に動揺したり流されてはダメなんです。

で、(足揉みを仕事にしたら大ブレイクしましたというようなストレートな流れではないけれど)抵抗があった肉体への癒しについて、セッションでコメントをされてそのことについて考えていくプロセスがこの方にとって何かしら決定的な変化をもたらすことになっていったのでしょう。
腰の痛みや顔の傷跡へのヒーリングの効きが以前よりよくなった、そもそもそこにヒーリングをかけたことなかったのにかけてみるという初めての行動に踏み出た、というようなことに繋がっています。

人間も人生も複雑なものです。
あれをこうすればこうなる、とシンプルにいくことばかりではありません。

また、ある1回のセッションがその人の人生まるごと全ての問題を完全に解消するには物理的に会話やヒーリング施術などの時間からみても限界があります。
(もし1回のセッションで全部癒える人がいたら、よほど準備が整ってあらゆるイシューが99%解消済み状態でセッションに臨んだか、よほど中身のない人生を歩んでいるかですよね。いずれにせよ現実的ではありません。なかなかよくならない、少しずつ変化していってるというのは、その分、なんだかんだいって自分が抱えているものが、自分の人生にあるものというのが、複雑で多いということの目安ともいえるのではないでしょうか)

また、セッション中、この方は
「足元って、猫飼ってるんですけど、動物のケアとかサービスのアイデアが湧くこともあって」
とも話しておられました。

実はセッション時、ハイヤーセルフが「足元を見なさい、と伝えて」と言った時、先回りして
「それってどういう意味ですか」
とさらにハイヤーセルフに確認をとりました。

ら、ハイヤーセルフのほうが「そのまま伝えて」といってそれ以上の解説をしてくれず。
で、そのまま伝えた次第です。

べつに曖昧なことを言って何もかもを当たっていたことにしたいセコい霊能者というわけではなく、ほんとに言葉のあやとか、その場では気づかなかった言い回しの別の意味合いといったものが、チャネリングのメッセージに含まれていることがあります。
そのレトリックみたいなものに、ヒーラー自身もチャネリングで伝えている最中は気づいていなかったりもします。

そこを、過度にその時点の自分のアタマでの理解で歪曲してニュアンスを特定するのも、チャネリングとしてはよろしくないんですよね。

そのほうがあとあと、結果としていいものになると経験則で知ってることもあり、私はシレッと伝えてしまいます。

いい感じの展開になっていってるようでなによりです。
スポンサーサイト

霊視というものが出来ているかどうかはわからないのですが、まさにドンピシャでびっくり

マルチプルアバンダンス上級を受講された方からの感想いただきました。

先日はマルチプルアバンダンス上級ありがとうございました。

自分に毎日使ったり、整体に組み込んで使ったりと色々と重宝しております。

霊視というものが出来ているかどうかはわからないのですが
この前、ある新規のお客様をマルチプルを使って霊視したところ
幼少期や複雑な親子関係が視えたりもしました。

それをその方と話していたら、まさにドンピシャでびっくりΣ(゚Д゚)

他にも色々な方に使ってみたら、当たっている事が多い気がします。

以前は視えた事に対して「自分の妄想?」と疑っていたのですが
今はオドオドせず自信をもって言えています。

あとまだ正式にはメニュー化はしていないのですが、自分のサイトやブログで
マルチプルのメニューと整体のセットメニューを載せるために、ただ今制作中です。

この方は整体師ということもあり、その領分から出たくない?というこだわりもあるのか、単純に超感覚に対する疑わしさ?自分がそんなことできるのかという不安?などから、

「自分は超感覚は、ちょっと」

と身を引いている期間が長かったそうです。

が、いろいろ心境などの変化により、超感覚を磨いてみようと思われたとのこと。

で、いろんな講座があってどれから学べばいいのかわからず、またあれこれいろいろ学ぶほど時間やお金を割くのも……という気持ちで迷われたそうです。

結果、お知り合いから「マルチプルアバンダンスだけ受ければ事足りるよ」と聞いたらしく、お申し込みいただきました。

初級の序盤から「え、嘘、観える。なんで?」と驚きの連続で、そんなまさか嘘だろという自分自身の中の疑いとの葛藤もあったようですが、上級まで進んで来ていただけました。

マルチプルアバンダンスは、いわゆる霊能者のカウンセリング的な預言セッションみたいなことをするには上級まで受ける方が望ましいです。
初級や中級でももちろん観えていくようになりますが、講座の中での実習についてのみしか霊視の実習がないので、なにか全般的なことを観るという体験を、講座の中でまだやらないんですね。

が、上級になると、まさにプロ養成というか、クライアント(お客様)の悩みや要望を霊視しつつアドバイスしていく実習が入ってきます。
(初級、中級を受けた時点でも、やろうと思えばこういうことはできるので、べつにどうしても上級に出ないとできないということはありません。ただ、『あ、こういうふうに習ったことを使えば、こんないろんなことが自分にもできるんだ?』ということを、大半の方は導かれないと知り得ないようです。自発的にガシガシやっていくタイプの方ならそうでもないんでしょうが、そういう方は少数なのかもですね)

でもねー。

マルチプルアバンダンス上級受講のための(心理的抵抗による? 霊的な準備が整っていないと生じる?)壁は分厚い

みたいですねー。

わりとみんな、中級まではサクサク来られるんですよ。
(それでもかなり抵抗を示す方、受講して受け取るものを拒否したくてなんとしても寝落ちしたり誤解したり歪曲した印象を捏造してマルチプルアバンダンスのほうを悪いものだとしたい人も一定数いますが←それはある意味、当然のことですよね。そして受け手がそうしたくてする以上、提供側はどうすることもできませんし、どうにかするべきだとも思いませんし←だって、悪く歪めて受け止めて悪評を吹聴したくてたまらないor実際そうしてる人のために、提供者側がペコペコして特別対応みたいのをするとしたら、いわば脅迫に屈してるわけですもんね)

でもねー、上級となると、なかなか……。

で、提供者側からすると、

存分に迷ってください

と思います。

そして、

覚悟が決まって、めっちゃ前向きで気分が高揚して、受講することを想像してワクワクする気持ちになったら、上級を受講してください

と言いたいです。

もちろん、時間を置くだけでいつか準備が整うとは限りません。
一生、整わない人もいるでしょう。
で、べつにマルチプルアバンダンスなんてものをどうしても受けなきゃいけないいわれもありません。

嫌なら受けなきゃいいだけの話。

そういうもんでしょ。そのほうが健全じゃね?
どうしてもこれを受けないといけない、なんてほうが不自然だよね。

で。

上級の壁は厚いようですが、そこでよほど何か試されるのか、シャケが産卵のために故郷に帰ってくるあの流れというか。

上級を修了できると、特級各種も抵抗なくスルスルサクサク受講して、ぐんぐん伸びていける

人が多いみたいですね。

で、マルチプルアバンダンス上級受講の壁というのはべつにマルチプルアバンダンスだけに限ったことではなくて、その人が人間としてその時点の限界の壁みたいなものをぶち破れるか乗り越えられるかどうかの話みたいです。
マルチプルアバンダンスの受講とは関係ないところで、私生活ででも仕事ででも、何かしら、それまでの自分には長年できなかったようなこと、大きな変化を、失敗して悲劇とかになるでもなくトトーンと乗りこなして、良い感じに変わっていけてる模様。。。



マルチプルアバンダンス、いまだに特級はどんどん増えていく一方で、
「いくらなんでも思いつきで行動しすぎじゃない?」
と自戒してみようかなと思うこともあります。

でも、冷静に見直してみても、べつにくだらない思いつきをばんばん垂れ流しているとも思えず。
他人から指摘されて気づくこともあるのですが、思いつきのように思えた講座が、私が何年も前から気にしていた問題解決願望の答えになってたりして。

アイデアが湧いてまとまるのは一瞬だけど、その一瞬のために事前に熟成されてるもんなんですね。

実際、中身なんか空っぽでもいいから、テキトーに思いつきで新しい講座をつくってみようかと想像ゲームをやってみても、思い浮かばない。
くだらないアイデアは確かに出て来ますが、それをどう、お金をとって万人に有益に働きうるものにするのかとなると、詰む。

それでかえって、これまで実際に整備できた講座というのは、中身のあるものなんだなぁと再確認できたり。

すでに特級を受講してくださっている方々もそれぞれに、ベラボーに能力の高い霊能者ばかりですからね。
いい加減な内容のものを提示したら、さすがに何かしらクレームというか、「ここ、どういうこと?」と指摘が来るはずです。
(まぁ、こんなこと書いたところで『そもそも霊能力なんてねえしw 何言ってんだこの詐欺師がw』って人は一定数いるかもですし、べつにいたからなんだって感じですし)

同時に、ほんの2〜3年前とはいえ、マルチプルアバンダンスをゼロからここまでの形として整備するだけの「作品」を、これから自分ははたして作れるだろうか、と思うと、疑問というか、無理ポ感をおぼえることがあります。

なんていうか、売れっ子小説家みたいに、売れちゃったから売れてるうちにたくさん出そうよ式にアイデアひねり出してるわけじゃないですからね。

有料でヒーリングなどを提供するというと、すぐ、「金の亡者である霊感商法の詐欺師」イメージ持たれやすいのかもですが、そしてそれが本業ともなればなんとしても稼がないといけないと思っているはずと思われやすいのですが、

べつに中身もないのにカネ目当てでわざわざ超感覚的ヒーリングの技法教授だのサービス提供だのなんざ、するつもりが毛頭ない

んですよ私。

自分で本当に納得したことでないと、できません。

なんせ、普通に、どちらかといえば超ホワイトとされるような業種・会社に勤めて給料をもらってたときも、

「自分のいつのどの働きがこの金額になるんだろう。このお金はどこから来たんだろう。それを受け取る資格が自分にはあるんだろうか。たまたま、世間で認められた会社の正社員で給料だから良いじゃんというイメージを漠然とみんなが持ってるだけで、厳密なお金の流れからしたら、自分がこれだけのお金を受け取る正当性って、あるのかな」

ということで、文字通り頭が禿げるほど悩みました。

納得いかないんですよね、謎のお金の受け取り方をしてしまうと。
嫌なんです、そういうの。えぇ、固執ですし、ワガママです。でも、直す気ありません。

これをこうしたから、この人から、これだけのお金を貰えている。そこに納得できている

というのが、自分の生活にとって一番大事なことです。だから会社という、お金の流れがよく把握できないところにいるのが嫌で、わざわざリスクもあるのに個人で独立しているようなところがあります。



今はちょうど、幼少の頃から「なんで人って、世の中って、こうなの? こういう酷いことを避けたり対処するにはどうしたらいいの?」と積み重なったいくつもの「?」への答えを出していけてる段階にいると思ってます。

で、そこそこもう、「なんで?」という疑問で、わかってないことがないというか、これまでのせいぜい30年ちょっとの疑問の蓄積は、ネタ切れになりかかっています。

で、べつにわざわざ疑問を増やしたいとも思わず。

世間でそこまで認められたわけでもないのにこう言うと偉そうですが、まさかこの年齢でここまで来られるとは夢にも思わなかったほど、いろんなことを悟ってしまった感慨があります。べつに自慢でもなんでもなく、あぁ、そういうものなんだなあ、という。

で、超感覚ヒーリングというものについて、人が(わざわざそれを封印して生まれてくるのに現世でわざわざ)超感覚を開花させることについて、超感覚を開花させた人間が現実社会をどう創り、超感覚をどう位置づけるかについて、いまの時勢を見ながら、漠然と考えてるようなところにいます。

間違いなく自分の中では、ヒーラーとして次のステージというかに来ることができている自負があるのですが、その分、わかりやすくサービスをつくって料金を設定してお客様からお金をいただいて稼ぐ、という図式におさまらなくなりつつあるのも予感しています。

都合よく理想?をいえば、まどマギ最終回のまどかみたいに、既存の仕組みとか概念を上回るスケールというかで何かをやらかす方向にズンズン歩んでいってるなぁ、というか。

何言ってんだ感満載に聞こえて当然のこと書いてますが。

そんなこんなで、これまで整備したアストラルリーディング、マルチプルアバンダンス、マイティピュリフィアのように、わかりやすく枠組みに収めたタイプのヒーリングって、今後自分は新たにつくれるのかな、つくる必要あるのかな、と思っていて。

あえていうと、ブロックハントをさらに進化させた、「太極(たいきょく)」とでもいうような技の構想(実は20歳頃からありはしたんですが到底、実現の糸口も観えてなかった)が、やや、実現できそうな気配を帯びてきていて。

ブロックなんて限定しないで、周囲にあるすべての事象(を構成するエネルギー)が自分に伝えようとしてくるメッセージを、全部受け取って、受け取ったら要はメッセンジャーとしての(トラブル的な)事象は嘘のように消えてアラ平穏、みたいになるわけで。
そこいらへんに行けたらいんじゃね?できんじゃね?とゆう算段。まぁ、なんて都合のいい。

まあねー、そもそも世間のほとんど誰からも特に期待されてない、あぶれた世捨て人。
誰からもなんの責任も負ってないし、どっかの会社に勤めるとかバイトとかもしてねえし。
自由にやらせてもらいまっさ。

あ!

芸能事務所に所属してるタレントなんだ。。。
(それも企業群にバックにスポンサーについてもらう立場の)

うーん、そことどう両立させるかですな。

いやねぇ、有力なバックがいるとか、お金を支援してもらえるみたいなのは、みんな良い側面のことばっかり考えるみたいですけど、その分の制約というか、まるで893みたいな、縛りというかもね、……

あ、なんでもない。ううん、気にしないで。

あらー、今日もいいお天気ねー。(すっとぼけ)

現実を創る映写機としての性能(を磨こう)

人間を映写機に例えるってのもアレですが。

スピリチュアルで「現実は自分が創っている」とよく言いますが、あれをどこらへんまでわかって言ってるか、ただそう本に書いてあってそれが正しいとスピ好きの多数派が言うからそうらしいといって単に鸚鵡返し的に言ってるか、まず分かれますよね。

で、疑ってる人、つまり「必ずしも現実は自分が創っているとは限らないのではないか、別の何かが創ってる部分もあるのではないか」と思う人(思いたい人)は、そう思える余地があるくらい、自分の意図が現実を創っている一連の流れを超感覚的に見通せてないってことです。つまり未熟ってこと。
(これ言うと、鼻で笑って『私、あなたみたいに霊視で見えないものが見えちゃう(ような変)人じゃないですもんw』と、なぜか上から目線でこちらを小馬鹿にするように言って、そう言えてる自分は常識的な、おかしいと言われずに済む人間でいることができてる安堵みたいのを勝手に感じていい気になる人いて面白いです)

ちゃんと観えるようになると、自分の生きている現実がすべて、(自分以外の誰かの意図が創造する権限を持っていて自分はそこに手出しできない領域の場合、そのどこかの誰かが創った現実が自分の生きる現実に現れることを許容するということも含めて)自分の意図が、第一希望としての思考が、まるで工業製品のように設計図どおりに部品調達されて組み立てられて出来上がる一連の流れとして観えます。
(どうやらここまで霊能力を発達させることなく死んじゃう人が大半のようですが、今どきはそれでもそれなりに、ここまで来ることができている人はそこそこいます)

いったん自分と自分が創り出した現実の一連の流れと結びつきを超感覚的に観られるようになると、同様に、他人に対しても、その人がどんな意図でどういう現実を創り出したかの一連の流れをまるごと、精密に追うことができるようになります。

私の場合、それをいろんな人、出会うほとんどすべての人に適用して、人がどんなふうに現実を創っているものなのかを学ぶサンプルとして、観ています。

そこで観えてくるのが、その人の思考のクセや制限、いわゆるブロックというもの。それから、欠落。未学習といってもいいかもしれない、要は「その人が知らないから、思い浮かべることすらできず、したがってその人の意図で創る現実には延々と出てこない物事」というのがわかってきます。

これ、ほんとに小説とか、ポスターのデザインとか、べつにプロの小説家やデザイナーじゃなくてもいいから、やらせてみるといい。
それか、写真のモデルをやらせてみて(なんならカメラもなくていいから、そういう擬似的な遊びとして)ポーズをあれこれとってもらう。
鼻歌で作曲してもらってもいいかもしれません。
そこまで専門的な何かはできないというなら、ただ雑談でおしゃべりしてもらうだけでもいい。
すると、お得意のパターン、一番すぐに思いつくものが何度も出てくるのがわかります。
いわゆる「引き出し」の量と質ですね。

生まれつきの才能やセンス(それはつまり過去生までの積み重ねたものをうまく今世に持ち越せたということでもあります)、あるいはこの人生で経験を積むなかで獲得していった新たな知識や情報、ノウハウ、技芸など全般がものを言います。

たいしたことしてきてない人は、発想が貧困。動きや喋りのパターンも、話す内容の組み立て方も、だいたいワンパターンで代わり映えしない。
しかもそれすら、テレビのバラエティで最近よく芸能人がとるリアクションだったり、その人が所属してる世代や学校、会社で周囲の人たちが言ったりしたりすることのパクリ(それもまぁ学習ではあるのですが)でしかなく、その人らしさがない。

その人ならではの発想が出てきたと思えば、現実世界でそのまま具現化できない、空想だったり、見積もりが甘いものだったり(←ただの雑談ならべつにそれでいいんですが、その人が現実的にちゃんと物事を成し遂げることをできるシミュレーション能力を獲得してるかのテストとして見るとやばいですよね)。
わかりやすいのは、建物の設計図を描いてもらうこと。
もちろんプロの建築家でもない限り、実際に建てることができない図(建物の重さを支えきれない柱だったり)を描いてしまうものではありますが、それくらい、人って、現実には不可能ということを、平気で思い描きます。
実際に現実にやって試してみるまでは、それが現実では成り立たない都合のいい妄想に過ぎないことに気づきもしません。
(そしてほとんどの場合、人は、自分が思いついていることすべてを、本当に現実で具現化可能かどうか試すような酔狂なことはしないものです)

回りくどく書いてきましたが、記事タイトルにあるとおり、

現実はその人の意図で創造するものであれば、その意図や意図を具現化する映写機としての人間のエネルギー的性能がおかしかったら、おかしな現実しか創れない

ことが想像できると思います。

そして、

この物理的時空間において重力など法則各種に照らして具現化不可能な意図は、そのまま現実化はせず、「もしこの意図をできる限り歪めずに具現化するとしたら、こう」と修正が加えられた形で現実として成立する

んです。
具現化不可能な意図は、そのままではなく、「かろうじてその意図に一番近い、具現化可能なもの」に矯正されます。

それって要は、本人が願ったとおりの形そのまんまでは現実が現れてこないってこと。
雑にいえば「アテがはずれた」ってことになりますね。
このズレが大きくなればなるほど、「願ったのにそのとおり夢なんて叶わないじゃないか!」となるわけです。
(それとは別に、たとえば何か夢を叶えたいと頭では思ってる人がいるとして、でもその人の第一希望は『本当にその夢が叶ってしまうといろいろ大変で責任を背負うことになって嫌だから、叶わないほうがいい』だから叶わないという場合もめちゃくちゃたくさんあります)

あえて皮肉にいえば、
「なんで現実を創る能力なんて高めなきゃいけないの?」
という反論?もあるかもしれませんが、残念ながらすべてこの世界に生きた人類の根本的な思考をみると、

この物理的時空間がある場でしか学べない、現実創造能力を獲得するためにここに生まれてきた

というのがあるんですよ。

つまり、この世に生まれておきながら、「え、べつに現実を創る能力を磨きたいなんて思わないですよ」と言うとしたら必ず嘘ということになります。

そして、これまた頭でわざと意地悪にツッコむなら「じゃあ仮に人間が現実創造能力を高めるために生まれてきたとして、そんなことをしても霊的成長や魂の修行には繋がらないんじゃないか(現実を狙ったとおり創れる能力なんて、物好きが発達させればいいにすぎない余興、けん玉や一輪車みたいな芸に過ぎないのではないか)」ってのが考えられますよね。
でもこれ(説明は省きますが)大丈夫なんです。現実をちゃんと意図してそのとおり創れる(≒具現化可能な意図を生み出し繰り広げるだけのものを身につけている)ことは、人間の霊的成長といった、スピリチュアルな本質、人間が向かっていくのが望ましい本来の方向性そのまんまなんです。うまくできてますね。宇宙は完璧ってそういうとき感じます。

そんなこんなで、「えー、それを延々と続けるのみ?」とうんざりする人(すでにしてる人)も大勢いるんだと思いますが、この世で人間として生まれたら、妄想や空想、頭の中の都合のいいでっちあげかもしれない屁理屈をああだこうだ論じてる暇があったら

何か現実的に具現化することを意図として生み出し、行動を通じてその意図どおりの現実を物理的に成立させることができるか否かの挑戦をする

のが、実は霊的成長の最短ルートだし、それこそがスピリチュアルな学びをなにより本質的に高めてくれるんですよね。

それは女(or男)にモテる方法でもいいし、筋トレでも勉強でも会社の営業業務でも物好きでも趣味でもなんでもいいから目標を決めてそれを達成するとか、要は

目標を決めて、その実現に向けて行動し、達成する

という営みであれば極論すれば、なんでもいいんです。何よりの学びになります。

せっかくこの世にいるのに、足も使わず誰とも会わず何も見聞き体験しないで一人で考え事(としても成立してない、ぼーっとした妄想的想像のグルグル)を続けてても、代わり映えしないんじゃないの、ということです。
(そして本人は、立派な考え事をした分の成長はできているはずだと謎のプライドや達成感を持つようになったりしがちですが、その時点の狭い、しかも現実で通用しない歪んだ空想としての引き出しの中身をなんどもひっくり返してまた引き出しに入れて、を無限に繰り返してるだけだったりします。実際、そんなにまで何を考えたんだい、と話をさせたり文章を書かせてみても、たいした内容がないことですぐ浮き彫りになります)

いま日本で暮らしていて、一番思うのは、この点についての「無意味、無価値、興味のなさ」に呑まれつつ打ちひしがれて皮肉に笑うだけの人が多いなぁ、ということ。

「そんな意識高く生きてどうすんの?www」

などと、「逆にそこを皮肉って揚げ足をとることは、どんな価値や意味がある行為なの?」と切り返したくなるくらい、ああいえばこう言う式にただ脊髄反射的に反論したり、噛み付いていい気になってるだけの人が、多い気が。

他人をさんざんからかって罵詈雑言をぶつけていい気になれるのかもしれないけど、その人の現実は何も変わらない、進展しない、本人も成長しない。それどころか、(真理に反することをしてるのを一番深いところではわかっているからこそ)自分自身が実は傷ついていくし、弱っていきます。

だって、皮肉屋ぶって、正論というかにチャチャ入れて揚げ足とっていい気になってる動機自体、ちゃんとした正論というか真っ当な道を歩むことを怖がって逃げ回るためなんですから。

面倒でもなんでも、この物理的な時空間を、この五感と肉体で、いろいろ見聞き体験してみて、頭の中でともすればどんどんズレていく妄想を是正して、いつでも具現化可能な意図を描くことができて、その意図を叶えるのに役立つ行動を(無数にある行動の選択肢の中から)選んで、具現化完了までそれをやめずに続ける。

そうやって、現実創造装置としての映写機の性能をあげていく。
色も、あたかも色相環のすべての色を映写機側で映せるように設定するかのようにあらかじめ波動のエネルギーのバリエーションを自分側に仕込んでおく。

それをいつか、輪廻転生の必要なくなるまで(≒映写機が完璧なものになるまで)続けていく。

気が遠くなるけど、その方向性に進んでいくしかないんですよね。

まぁ、それ以外の道に回り道してみようが、立ち止まって休もうが自由ですけど、なんだかんだいって本来のあるべき在り方に戻っていく、収まっていくもののようです。これまでに生きた人類たちをざっと鑑みるに。

スピリチュアルは現実とは違う精神世界、と位置付ける人もいるのかもしれませんが、私はその見方は真実ではないなぁと現段階では思えています。

この世界の現実を、ちゃんと創れるようになること。

極論すれば、それがこの世に生きる人間の動機であり目的でもあり、さらにいえばスピリチュアルな何かというのは、人がそこに到達するための何かしらの道しるべにすぎないと思っています。
(逆に、人を現実から遠ざけて、物理現実から乖離した妄想の世界の中に逃げ込み閉じこもるのを助長したり促進、煽動するのは、ちゃんとした意味でのスピリチュアルとは言えないと個人的には捉えています)

そこに、ヒーラーとして、スピリチュアルを商材・商売道具として扱う身として、どう、人様と、ひいては社会と、世界と、関わるか。

他人様はいざ知らず、少なくとも私は、そういう想いで、ヒーラー業を営んでおります。

ってやだ、たまにブログ書いたと思ったら宣伝?自慢?

うーん、なんていうか、これ読んで「そうだなぁ」と思える方だけお客様としてお迎えできたらそれでいいやという再確認的な意味合い。(←結局、自分都合)

やっぱさ、(それがたとえ霊的な真実を否定するような、部分的に見ればおかしなことや誤謬を含んでいるにせよ)一般常識に照らして非常識な、現実で何かを成し遂げることができない人がだよ、
「でもスピリチュアルは凄いんですよ」
なんて言ったところで、それはもう完全に変人だし、他人から尊敬の的にはなりえませんわな。

1人1人が、それぞれの人生という映画を撮る、脚本家兼映画監督(主演も兼ねているw)。
実際に映像を完成させられないで「構想だけは頭にあるんだ。とても鮮明に思い浮かべることができるよ」とだけ言ってたって、そんな映画監督、誰も評価できないし、実績としての映画の本数に、頭で思い浮かべただけじゃカウントもできない。
やっぱりちゃんと映像として完成させて、その出来栄えで映画監督の力量って、わかるものなんじゃないでしょうかね。

私はみんなみんなに素晴らしい映画監督になっていっていただきたい、今よりもっと素晴らしい実力の監督になっていっていただきたい、と思いながらヒーラーやってますし、プライベートでも生きてます。

(聞かれてもいない)自己紹介で終わるスゲエ記事だw

うみやまあひだ 〜伊勢神宮の森から響くメッセージ〜

2014年に公開された、ドキュメンタリー映画。
20年に一度行われる、伊勢神宮の式年遷宮の様子に密着した映像です。

映画「うみやまあひだ」公式サイト

私は神楽サロン神楽坂で上映している際にお邪魔しました。
(2017年6月現在、不定期ながら金曜日の夜19時から上映がされています)

内容は、伊勢神宮の式年遷宮の様子をまるまる追い続けたというよりは、「森と人との関わり、特に日本においては古来からどうだったか。今どうか。これからどうあるべきか。どうあることができそうか。放っておくとどうやばいか。何をしうるか。そのためにどんな心持ちでいることが大事だと思うか」全般について、合計12人の識者が語る様子が収められています。

私は、上映後に行われた、この映画のプロデューサーさんによるトークライブと質疑応答にも参加したのですが、

「当初は伊勢神宮の式年遷宮だけを追い、インタビューも伊勢神宮の運営に関わる2名ほどだけになる予定だった……のが、笑っていいとものテレホンショッキング方式で友達の友達はみな友達だ的に紹介された縁などで、インタビュー対象者が増えていった」

と仰っていました。

そのトークのとおり、出来上がった映画は、伊勢神宮の話題からいつのまにか(というか、あっという間に)離れ、別の地域で森林にまつわる活動をする人の話などがどんどん盛り込まれていきます。
(その意味ではまとまりがないともいえる映像の編集の仕方になっていると感じました。伊勢神宮の行事を追ったドキュメンタリーだと思って観ると混乱するかもしれません)

なので私も早々に、「あぁ、伊勢神宮かどうかはもう関係なくて、『森と人』というテーマでいろんな人がいろんなことを語っている映像なんだな」と気持ちを切り替えて、あまり映画の構成やまとまりを気にせず鑑賞するようにしました(ので、楽しめました)。

単なる精神論として「森を大事にしなきゃダメだ」と言うのではなく、(私のような無学の人間にもわかる程度に)学術的・科学的に森と人とのつながりについてわかりやすく解説してくれる人たちが出てきたので、ためにもなったし、安直かもしれませんが心を打たれました。

特に、

・森林の超高周波音(ハイパーソニックサウンド)が人間の皮膚を超音波として刺激し、癒す

・森林の土壌に含まれるフマル酸が野菜や人のデトックス促進と生長促進に効果あり
 (アフリカの民族は以前からそのことを知っており、森林の黒い土を食べていたとか)

らへんが「そうか!だから森に行くと人は癒されるのか!」と、科学的というか知識的にというかでも納得がいきました。

私が参加した上映会は、森林の超高周波音を放てる特殊なスピーカーが設置されていたので、ほんとに凄かった。。。
耳で聴くのではなく、ほんとに肌にバイブレーターを当てられたような、微細かつ高速なブルブルした振動が全身を包む感じ。
物理的に耳で聞こえる音として、森林で収音した木々の枝がすれる音や鳥、虫の声が流れていたこともあり、物理的な音と超高周波音のW効果で本当に気持ちよく酔っ払った感じに。

意識の深い深いところから目覚める感じ。
それまで普通に起きて行動していたけど、この深層の部分は眠ったままだったんだなと初めて気づくような。

そして圧巻なのが、北野 武。同姓同名の別人じゃなく、あの北野武です。

まさかのスピ全開。

どんなことを語っていたのかは、是非、ご自分で確かめていただきたいです。

4Kとよばれる高品質な画質のビデオカメラで撮影・収録しただけあって、映像がとても綺麗。
さらに静止画としての写真が(本編終了後のスタッフロールなどで)映されるのですが、どれもこれもまぁ、どんだけ日本の森は美しいんだ的な。

変に説教臭くなく、環境保護などを押し付けてこないところが好印象でした。

日本人としてのDNAに訴えかけて来る映画

だと思います。

どうにかこうにか、観ていただきたい。

それも、(DVDやブルーレイも発売されていますが)可能なら、超高周波音を再生できるスピーカー完備の、神楽サロンなどでの上映会で大画面で、4K映像対応の設備で、観ていただきたいような。

そのうえで、

「なにが森だ。世の中カネ。田舎は好きじゃない。やっぱり都会がいい。環境だの将来のことなんか知るかボケ」

みたいなこと言う人が好きです、個人的には。

これまで自分は「豊かさ」という言葉が装飾のように感じられていて、言葉に出してもスッカスカだった

マルチプルアバンダンス中級を再受講していただいた方からの感想です。

先日のマルチプルアバンダンス、想像以上でした。



あんなすごい事になってしまうんですね!!

こっ、これが豊かさか!!!と。



部屋の中の豊かさがギュッと詰まった弾力感にも驚きました。

確かに、この空間・状態であれば何をやるにも楽しいし、

何でも出来ますね。



あれから数日たちますが、仕事のアイデアがどんどん出てきて、

しかもアイデアをビジネスに展開できるというソコに、

何とも言えない幸福感を感じます!



しかも次の日、義母と義父が、誕生日(前)パーティーに

手巻きでもやろうよと言ってくれて、

いつもの家族の食卓ですが、主人と子供と三人だけではなく、

義母と義父もいるこの5人で囲む食卓に、

あぁ、幸せ・・・楽しい・・・。と、じんわり満たされました。



受けてみて気づいたことは、

これまで自分は「豊かさ」という言葉が装飾のように

感じられていて、言葉に出してもスッカスカだったんだなと。

また、今まで気づいていなかっただけで、

見渡せばあらゆるところに「豊かさ」に繋がるものがあるのか、

とハッとさせられました。


本当に、こんなに学びがあるのに再受講料が無料・・・
最初はラッキィと思っていましたが、
正直、去年あたりからはモヤモヤします。



長くなりましたが、

いつもいつも、驚きと豊かさをありがとうございます。

この豊さを自分だけで留めておかず、
私からも豊かさを広めます。

あの後、19時からセッションが入っていらっしゃったのに、
自分の喋り通しで時間も過ぎてしまい、大変失礼いたしました。
しかも8時間以上も通しでやっていらしたとか。

そんなそぶりも見せず、講座中いくつもの事を同時に
されているのを見て、プロという事について考えさせられました。

ありがとうございました。

あざす!!

この回は、自分でも驚くくらい、場の雰囲気とセミナーの内容の伝達&受講者がそれを受け取って感じ取ったことを放ち、それがピンボールのように場を駆け巡って増幅して共振して、豊かさの権化のような空間が生まれました。

まるで空気が布団のように密度ぎっしりになって、微粒子の1つ1つにさえ豊かさが満ち溢れている状態。

べつに意識高く頑張ってるつもりなんかまったくないのに(それどころかゴージャスなくつろぎの中でリラックスできているのに)、頭は冴えて気力も体力も満ち、細かい作業をしたり考え事(議論など)をしても、まったく疲れない。

スイスイ手も頭も動き、思考は明瞭で、パッと一番効率のよいやり方が思い浮かぶ。
手もサッと出て、苦もなく楽しみながら、タスクをこなせてしまう。

なんらの義務感も拘束されてる感、制限を受けてる感もなく、子供がのびのびとお絵描きをしていて次々に描きたいものやりたいことが湧き出てくるように、次から次へとアイデアが湧いてきて、それを実行に移すのが億劫でなく、しかもできて当然と思えている。やってみると成功してしまう。

まさに、人が意図によって神と等しい創造力(クリエイションの力)を発揮するときの作業場、厨房の中はこんなふうになっているんですよというのが明確にわかる感じ。
(人は、どんな不幸で頭で思うとおりにならないと嘆いている人ですら、実は第一希望は叶い続けています。でも本人は、自分の何が第一希望で、それがどういうプロセスで、どんなエネルギー的な場で、具現化されていくのかについてほとんど全く無知のまま一生を送ります)

しかもこの方は再受講も1度目ではなかったと思うのですが、マルチプルアバンダンスを受講するのとは別に、豊かさを拒む、否定する思考のブロックを別途、シータヒーリングなど思考のワークを通じてやっておられたんですね。

以前ははっきりと
「なんでお金なんか稼がなきゃいけないのかわからない。べつになくていいじゃん、と思います」
「豊かになってはいけない、そうすると堕落する、というブロックが強くあって、何やってもとれません」
などとおっしゃっていたりしました。

で、そちらの方のブロックを解消するワークが進めば進むほど、マルチプルアバンダンスの講座を受講したときに感じられるもの、それ以上に、セミナー会場がどんな(エネルギーで満たされた)場になるか自体が変わってしまう。

この記事のタイトルは、私自身もそうですが、貧しく苦労するのが尊い的な思想に影響され受け入れてしまった大抵の庶民にとっては、もし豊かさとは何かがわかった暁には、みんな痛感することなんじゃないでしょうか。

ブロックがある時点で、それゆえ貧しい現実を生きているときに想像する「豊かさ」のイメージって、えてして悪いものなんですよ。
下品な金持ち(←腹の出たおっさんが似合わないのにガウン着てブランデー持ってペルシャ猫を膝に乗せてるとかビジュアルのイメージもわりとひどい)が「俺は勝ち組だぜぃ♪」と寒々しいのにノリノリでいる、など。
それか、人を人とも思わないで大量に飲み食いして贅沢してたくさんゴミなどを出し、「貧しい庶民ども、ちゃんとゴミ処理しろよ」とか?
自分が豊かになったら、と想像すると、傲慢になって巨大な宝石を身につけてそれを周囲の人たちに自慢するだろう、と思ったり。
(思考のワークをしないでいきなり大金だけ与えられたら本当にそうなる可能性は大いにあります)

で、もしちゃんと思考のワークをして、豊かさを金などでなく波動として、そういう性質を持ったエネルギーとしてまず感じ取り、味わうことができたら、この方がくださった感想のように、それは悪いものであるはずがないんです。

豊かさは悪いものだと決めつけて、架空の、ニセモノの、拙い自分の想像力が妄想で生み出した「たぶんこれが豊かさなんじゃねえか」といったイメージを、自分で生み出しておいて自分で否定するという、なんとも滑稽な一人芝居を演じていることがほとんど。

一生それでいいんですか?って話ですよね。

「何が妄想だ!私の思い描く豊かさは正しい!実際によくないものだ!豊かさなんてけしからん!」

という思想を貫きますか?

それも一興ですよねー。

いやー、それにしてもこの感想をくださった方が出たときのマルチプルアバンダンスは、すごかった。

再受講ねー、無料のほうがいんじゃね?と思ってそうしてるけど、参加してる方のほうが「これでいいの?」とモヤモヤしちゃうってことは、やっぱり何か考えたほうがいいのか知ら。

口ばっかりじゃなくちゃんと豊かさをエネルギーで知って体験して、そのあと現実で個々人が活かして日々の生活や仕事や人間関係、お金などが前よりグングン良くなっていったら、それでいいじゃんね、とだけ私は思っていまして。
セミナー自体で稼ごうとは思ってないんですよね。何万円もの受講料を設定しておいてなんですが。

楽しく過ごせたらそれが一番の豊かさじゃんね?なあんて。