Celestie.jp 直近のスケジュール
シータヒーリング
【応用書籍シータヒーリング 動画・mp3勉強会シリーズ発売中】 ⇒詳しくはこちらを参照
セラフィムブループリント
【レベル4:セラフィム宇宙の輝き1dayコース】
日時:2012/5/26(土)10:00〜18:00
場所:Celestie.jp(東京都杉並区)/またはSkypeによる遠隔参加
料金:2万円
【レベル1:セラフィムヒーリング】
日時:2012/6/9(土)10:00〜17:00
場所:Celestie.jp(東京都杉並区)/またはSkypeによる遠隔参加
料金:2万円
【レベル2:セラフィム神聖幾何学】
日時:2012/6/17(日)10:00〜17:00
場所:Celestie.jp(東京都杉並区)/またはSkypeによる遠隔参加
料金:2万円
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2012.05.16 *Wed*
肉体が嫌いな人はチェックしてみて→宇宙人と「闇の政府」と私たちと。
・人間の肉体に宿っているのが厭だ、穢らわしい
・人間は野蛮で汚い生き物だ という思考が入っていて、そこから派生して ・人間は滅びるべきだ(人間を滅ぼすべきだ) ・地球は滅びるべきだ ・(人間社会という意味での)世界は酷いところだ というような思考にまで発展してしまい、生きるのが辛いと感じるようになっている人。 は、以下の人類起源のエピソードを踏まえて、そこに過去生で生きていた可能性も考慮して、ワークするといいかもしれません。 まず、今回の人類は、宇宙人があらかじめ地球にいた生物たちを素材にしてアレンジを加えて遺伝子操作をして生み出したものだと捉えてみてください。 ここでまず、「どういう仕様の生物を造るか」について、宇宙人たちの間で議論や主張の対立が生じました。 結果として「一時期、奴隷として使うだけだから、テキトーでいいじゃん」というノリで、作品としてはまだエラーだらけの仕様でゴーサインが出てしまいました。 なので、人類製造計画に参加していた宇宙人だった過去生を持つ人には顕著ですが
という思考が入っている場合があります。 しかもその後、バージョンアップ(アップなのかダウンなのか怪しいところですがw)が(何度か)なされ、人類は、当初できないようになっていた「生殖」が可能になりました。 この問題が存外にデカいんです。いろんな人にとって。 というのも、いわゆる天然の動物たちの生殖機能をそのまま適用したわけではなく、いろんな仕様変更をしているんです。 しかもその仕様変更に際しては、宇宙人たちの間でも意見が分かれ、また「隠れコード」というようなDNAの配列を(みんなに内緒で)こっそり入れる者がいたり、人類の生殖の仕様を巡っては宇宙人の間でも一悶着ありました。 実際には、以下のような変更が適用されています。
いまの人間社会で「変態」とされがちなフェティッシュな欲望(それこそ、腋臭フェチとか)や、同性愛といわれるような異常者扱いされる在り方の人は、つまりは宇宙人同士の権力争い・陰謀と策略だらけの化かし合いのなかで期せずして生まれてしまったものと言えそうです。 そうしたいわゆる異常性愛者・性的嗜好に過剰に嫌悪感を示す人というのは、深いところでは 「人類の仕様をあんなふうにすべきではなかったのに!」 ということに対して憤っていたり後悔していたりするケースがわりとあります(←思った以上に多いです)。 また逆に、同性愛者のなかにも、葛藤を抱えていたり自分ではそれを認めて楽しんでいたりといろいろバリエーションがあるようですが、ことさらに政治的な主張をしたりして 「私たちは間違っていない!正当な権利を認めて!!」 と声高にそうした在り方を正当化しようとする人は、 「人類のDNAを決めるとき、あの仕様で間違いなかった。同性愛などの発現はエラーじゃない」 という主張が根底にあったりもします。 また、こうした枝葉末節(←本人たちにとっては一大事なのでしょうけれど)以前に、そもそも いまのような在り方で男と女の仕様が決められたことに納得がいっていない 人は、数限りなく、います。 (いまの世界をちょっと見渡しただけでも、人間以外の動物たちはオスもメスも、若干の気質の差はあるにせよ、人間ほど男と女でまるっきり気質が違うわけではないと感じるのでは? 外見も、性別を言われないとオスかメスかわからなかったりしますよね) ほか、宇宙人(主人側)と人類(奴隷側)の混血というテーマが、 人間の間での「身分制度」の源泉となっている というのも、見逃せないポイントでしょう。 事実、かつての国の統治者は、宇宙人たちが地球を去るときに王族として指定された、宇宙人の血を引く混血で(あることがほとんどで)す。 王族同士(もしくはそれに準じる貴族など)が結婚するとき、双方の家系・家柄・身分・階級を気にするというのは実は、 宇宙人の血の純血度を気にしている ことでもあったわけです。 小説「ハリーポッター」シリーズでは、人間社会の身分・階級制度の問題を「魔法使いと人間の混血」というテーマで書いていたりもしましたよね。 魔法使い同士の純血一族がエリートぶっていて、混血や人間同士から生まれた魔法使いを蔑むというアレです。 作者に直接きいたわけではありませんが、ああいう身分の上下がわりと大きなテーマで出てくるのも、身分や階級の問題が特に強いイギリスだったからと推測しても大幅な邪推にはあたらないのではないでしょうかね。 ハリーポッターに限らず、現実の社会でたとえばインドなど、いまだに身分の問題が大きなテーマになっている国や地域も存在します。 また、そうした目立った大きな国のテーマでなくとも、たとえば日本をとってみても、家柄や身分、最近だとそれに代わる「学歴」「カイシャでの肩書き」などの差別や偏見は、見過ごせないテーマだと感じます。 (過去生で身分や階級について、偏った思想を持った人が現代の日本に転生して、身分や階級そのものはあらためて騒ぐ風潮でもないけれど『何かで人の優劣を区別したい』という願望は持っていて、それがつまり服やクルマのブランドや家の豪華さや学歴・肩書きにとって代わったという人は少なくないです。何で人を区別・差別するかが変わっただけで、『とにかく人を差別している、平等なものだとは看做していない』点は、変わりません) 人を見た目や肩書きで差別する、というと漠然と道徳的に「いけないこと」と捉えがちですが、実は当の本人からしたら、 「どれだけ宇宙人の血を濃く残せている人物か」 を見極めようと切実だったりします(←もちろん本人も、自分がまさかそんな動機でいるとは気づいていないことが多いですが)。 (宇宙人の血を濃く残す人は、いわゆるフツーの人類と比べて、外見にも違いがあります。エジプトの古代の指導者が後頭部がデカかったのをご存知でしょうか?アメンホテプ4世なんか顕著ですよね。そうして、見た目から宇宙人の名残の度合いを見極めることもできたので、『外見で人を判断する』のも、それはそれで根拠のあることだったりもするのです) ヒーラーとしてクライアントに接する場合は、 「この差別主義者!」 と偏狭な思い込みで嫌悪感を持つことなく接したいものです。 このへん、心当たりがある人は、ワークしてみると面白いんじゃないかな。 続いて、そもそも宇宙人たちがなんのためにそれをしたかというと、自分たち(宇宙人たち)のために奴隷として働く生き物が欲しかったからという理由です。 なので 人間は、奴隷として機能するよう造られた、ドM なんです、基本的に全員。 これは言うまでもないでしょう。精神論や根性論など、苦労を良しとする思想は、世界中にごまんとあります。 休んだりラクをしたりすることを罪悪と捉える風潮も。 宇宙人という「上司」の言うことに、なんだかんだいいつつ従うように設計されているのです。 (これが、人間が『リーダーシップを持ち発揮する』ことが難しいとされる所以です。とりあえずどこかに就職して働くのと、自分で独立開業/起業して人を従えていくという2つの選択肢、どっちが難しいと感じますか?ほとんどの人は、『(どんなに不満があっても給料が安くて苦しくても)どっかに就職して、誰かの下で働いていたほうが安心安全』と感じるのが本音ではないでしょうか。これがまさに、人類が奴隷たる遺伝子由来の所以です。 就職の話までいかなくとも、『誰かにすがって、誰かの言われるとおりにして、何か不都合があったときには自分で責任をとらずに誰かのせいにする』ほうがラクだというのは、わりと人間みんなに共通してあるのではないでしょうか。上に立つよりも、下っ端でいたほうが、人間本来の在り方として自然だししっくりくるのも道理なんです。 人間のなかでリーダーシップをとって活躍している人というのは、もともと『上司側として存在した宇宙人』の生まれ変わりで、過去生レベルで培ったリーダーシップを持ち越しているケースが多いです) なので、奴隷として造られた人間にとって、自立・自律・自活するというのは、とても難しいチャレンジングな課題でもあるのです。 自分の種族のもともとの仕様を乗り越えるということなわけですから。 この経緯が、冒頭に挙げたような「人間は穢らわしい/下等だ/野蛮だ/差別されるべき存在だ」という思考の由来となっている人もいるというわけです。 ただ、 人類はもともと奴隷として造られたからといって、必ずしも今後も奴隷であり続けるわけではない という点がポイントです。 DNA活性化という概念はスピリチュアルをやってるとよくでてきますが、今後は自力なり高次元の存在たちのサポートなりを受けるなどして、どうとでも変わっていけます。 それどころか、段階に応じて制限されたDNAが活性化されて『かつての、ただの奴隷としての生き物』以上の存在に人間という種族自体が進化していくのは可能で、望ましく、地球を訪れる大勢の魂たちが意図していることでもあり、地球外の存在たちからも切望されていることでもあるようですよ。 (で、これまた宇宙人たちの間でも『人類は奴隷のままにしておくべきだ』VS 『準備が整って時期が来たら人類が進化して独立するのを支援すべきだ』という対立があったりして) ある意味、いまの時代に人間として生まれた私たちにとっては、 人間がこれまでのように単なる奴隷用人造生物として存在している状態から脱却して、人類ならではが持ちうる唯一無二の素晴らしさを体現している存在にまで進化 する一翼を担っているといえそうです。 (それはつまり、人類の進化に貢献するような生き方をしたほうが、そうでないよりも、宇宙全体の流れに乗って人生がうまくいきやすいということでもあります) たとえば、ここまで記事を読んでみて、あなたは他の人間を「自分よりも劣る、自分の手下」として抱えるような在り方をしたいと思いますか? 他の誰かよりも優れた私、という優越感を基点にして自信を持ち、他の人たちを差別したり隷属させたりしたいと思いますか? (これはつまり、『これまでの仕組みで動くカイシャのような組織を起こして従業員に働かせるという“他の人間の幸せと豊かさの犠牲”の対価として自分が成功と豊かさを手にする』タイプの方法で成功したい・していきたいと感じますかという問いでもあります) 「人間は奴隷だから優れた指導者の下で動かされているほうが幸せなのだ」という、現段階で世界を支配している「闇の政府」と言われるような人々の考えに、賛同しますか?あるいは、単純に反駁して糾弾しますか? こういった宇宙人ネタと人類の起源、そして現在の世界が一部の(宇宙人の一部と内通して指令を受けあいかわらず彼らの奴隷として動いている)エリート層たちの話題になると、とかく 「人類を勝手に酷使した宇宙人が憎い!奴らをやっつけろ!!」 「いまの世界を支配している『闇の政府』の連中は酷い!奴らをやっつけろ!!」 と、 自分に都合が悪い連中を殺して滅亡させて排除 (=自分の鬱憤を晴らすために八つ当たりをするのに都合がいい連中を自己正当化しつつ虐待して上機嫌) する方向に走りがちな気がするんですよね。 でもさ、それって視野が狭くない?とも思います。 宇宙人だって地球をいま支配してるエリート層だって、 根本的には、自分と対等な魂。 その魂が、この世界で神の真実を部分的に忘れてしまったために、迷走してるだけ なわけじゃないですか。 迷走しているが故にへんてこりんなことを彼らがしたからといって、自分が被害を被ったと感じたからといって、 やられたからやりかえす、でいいんですか? ガキの喧嘩じゃんかよ。 それとも、 自分にとって気に食わない、自分と違う思想・考えの持ち主だから、排除して殺してしまってもかまわない? (これからの時代にそぐわない生き方の存在は粛正され淘汰される、なんて綺麗事で殺戮を正当化する?) ……ナチスですか? 戦争支持者ですか? それも場合によってはやむをえないって? ここから先のスピリチュアルや真理を探求して人類全体の進化に貢献し、それがひいては宇宙全体をさらに素晴らしくすることに少しでも役に立っていきたいと感じる人がすべきことだとは、私にはどうしても思えません。 うわ、肉体嫌悪の記事から後半、かなり論旨が広がってまとまりがなくなってしまったような。。。 まぁ、そんな感じでーす。 P.S 個人的には、「同性愛は宇宙人の遺伝子操作のミス(想定外の、とりきれなかったバグ)に起因する」ということ、ここ2年くらいずっと書きたかったんです。 でも、まだ書く時期じゃない&自分がちゃんと書けるほど客観的な視野に立てていない、ということで、先送りにしてきました。 でもようやく、書けました。。。 そのうえで、同性愛や異常性愛者と看做される人にどういう立場でいるかというと、 「それらは遺伝子操作のミスによって起きた間違いだから、根絶すべき」 とは思いません。 そもそも宇宙人たちが想定外にせよ意図的にせよいまの人類が通常でないとされる性的嗜好を持つよう設計し、実際にそれらを人間たちが具現化しているのも、それはそれでこの世の豊かさであり、そういう経緯を辿るのが最高最善だからこそ、起きたことなわけです。 異常性愛者がこの世にいるのが厭だと感じる人は、心のいちばん底の部分では結局、 「自分が異常性愛者だと感じる人間がいる世界に生きて、そういう連中が視野に入るという体験をする」 ことを第一希望に望んだからそれが実現しているのです。 あるいは逆に、自分自身が異常性愛者だと感じている人は、 「自分がこの社会で、異常性愛者と分類される要素を持った遺伝子配列で生まれる」 ことを第一希望に望んだからそれが実現しているのです。 そこには善悪でいう良いも悪いもなくて、ただそうあるだけなんです。 で、お互いの第一希望がせっかく叶っていまこうして生きてるんだから、その境遇・シチュエーションだからこそ体験できることをたくさんしようよ!という路線でいます。 (対立して争うのもいいさ、当人たちがやりたければ。和解して理解しあってお互いの懐を広くして愛情深い人間になっていくのもいいさ、当人たちがやりたければ) |
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2012.05.15 *Tue*
性(自認/セクシャリティ)の肯定と豊かさの密接な関係
そんなの知ってるよ、という人からしたら常識なんでしょうけど、個人的には最近ようやく実感が湧いてきたことです。
豊かさのエネルギーは第一、第二チャクラらへんと密接に関連していて、それらのチャクラが良い感じに活性化して動いてると、磁石のように豊かさを引き寄せ続けます。 で、それらのチャクラを不活性化するネガティブなエネルギーというのは、性的虐待や自分という人間の性の否定といったテーマです。 性的虐待というと、それこそ幼児レイプみたいなハードなものを想像する人がいるかもしれませんが、英語でいうsexual abuseという単語は、もっと些細な(繊細な?)ものも含みます。 たとえば 「ほんと、あなたって男(or女)らしくないんだから。駄目ねぇ」 というような言葉を親や周囲の人間が発して、本人が気にした場合。 ほんのちょっと「シュン」とした程度でも、言葉を発した本人が他愛のない冗談だと思って言ったとしても、「本人が(ネガティブな)影響を受けた」という時点で、それは立派な性的虐待なんです。 「ええっ?そんな大袈裟な」 と思いますか? でも超感覚的にチャクラのエネルギー状態を霊視できるようになって、しかもそこにネガティブな想念エネルギーが溜まっているのが観えたとして、それが「どんな体験をしたときに何を感じて生じ、溜まった想念エネルギーか」まで観えるようになると、けっして大袈裟でもなんでもないことが、わかるのではないでしょうかね。 性については、「下品」「卑猥」といった偏見的イメージが「常識」とばかりに世間では成立しているきらいもあるし、おおっぴらに悩みを気軽に家族や友達に打ち明けるという感じではないのも確か。 だからこそ、自分の性(自認)やセクシャリティ、性欲(フェティッシュな嗜好も含む)、肉体(とりわけ性器や女性の胸など、性を象徴する部位)など自分のありのままの姿・欲望に自信を持ち肯定するというのは、かなりチャレンジングなことでもあると感じます。 個人的な意見ですが、物心がついた幼稚園〜小学生の頃には、親や教育者などの保護者は子供に対して、その性別を否定/愚弄/侮辱/嘲笑するような言葉は極力、慎む(というか、まったく言わない)のがよいと考えます。 特に大事なのが第二次性徴期。大人に変わっていく自分の肉体や芽生えた性の意識をどう受け止めて肯定できるか否定して思い悩んでしまうかが、その後のその人の豊かさの在り方に、限りなく大きな影響を与えてしまうと感じます。 それこそ、胸が大きくなったとか性器や腋の下に発毛したとか、男性器の包皮が剥けたとか、初潮を迎えたとか精通したとか、本来は自然で当たり前で素晴らしいことなのに時期と場合によってはクラスメイトからからかわれたり馬鹿にされたり、他人と比べて劣等感を感じてしまったり、性欲を抱くことを「いけないことなのではないか」と思い悩んでしまったり。 こういうエネルギーが全部、ネガティブなものとして、その本人の豊かさを阻むエネルギーとして、第1、第2チャクラに溜まってそれらのチャクラを不活性化していってしまうんです。 また、大人になってから自分が思うように異性からモテなかったりヤりたいのにヤれなかったりして 「俺(orあたし)って、モテないんだ。魅力ないんだ」 と凹んだりすると、それもまた着実に、塵も積もれば的にチャクラを不活性化して豊かさの引き寄せ能力を蝕みます。 男がいいトシして童貞なのはことさらに男の間では馬鹿にされますが、個人的にはどうしてそこまで童貞が蔑まれるのかわかっていませんでした。 (あんまり早くに童貞を捨ててしまった男の子なんかはかえって、『これって犯罪じゃないの?見つかったら警察につかまる?相手が親に言ってバレたら大問題になっちゃう?責任とって結婚させられる?』とヒヤヒヤドキドキしちゃう、、、じゃなかった、“するらしい”ですよ?) でもみんな昔から(超感覚的な自覚はないにせよ)、「男として女をモノにできる→一人前の男だという自負と自信を持てている」ことが、豊かさの実現と関連していて、それがひいてはカミさんと子供を養うだけの力を身につけて発揮するということと繋がっていることが、直観的にわかっていたんだと思うんですよ。 だから男にはすみやかに童貞を卒業させて、所帯をもってからも性風俗や妾・愛人づくりなどを通しての女遊びはしっかりやるのが望ましい……みたいな暗黙の了解が成立しているんだとも思います。 (女性は気を悪くするのかもしれませんが、男が抱いた女の人数を自慢したり、年頃の息子に『とにかくたくさん女を抱け』というアドバイスをする父親が多いのも、こういった事情を漠然とでも感覚的に理解している故だと感じます) 英雄色を好む、なんてことわざも、このへんに由来するのではないでしょうかね。 (英雄とまでいくかどうかはわかりませんが、社会人としての成功の度合いと性生活の充実ぶり(派手さ?)は、少なからず比例しているなぁ、、、という印象。みんなちゃっかり、やることやってんのね。つか、成功の度合いが高い連中の性生活は、凄すぎてついていけないほど←みんな家庭を持って子供もいるのになw) 一般的とされる性の在り方をしている人でも自分(の属性としての性にまつわるものすべて)を認めて受け入れて肯定して自信を持つのは大変だったりするのに、これが異常性愛者と言われるような、変わった性についての趣味嗜好、同性愛など一般的ではないとされがちなセクシャリティを持っている人だと、これはさらにハードルが上がるのかも。 個人的にもしアドバイスをするとすれば(←できる立場には到底ないとも自認してはいますが)、世間でどれだけ認められ得ないようなものであっても、自分のありのままの姿がそれを望んで欲しているなら、少なくとも世界で自分1人だけでもいいから、自分を認めて肯定する(方向を目指す。完璧にすぐできなくても)のがいいんじゃないかな……。 たとえば幼児レイプ願望があるからといって、実際に実行に移してしまうのはさすがにお奨めできませんが、自分がそういう願望を持っていることに罪悪感を感じたり、「あるまじき存在、生きている資格がないダメ人間」というような卑下をしてしまうのは、百害あって一利なしでしょう。 ある程度誰でも、異常とされるような趣味は性について持っているものです。 私の知人で人生がある程度以上うまく言っている連中に聞くと、 「ぶっちゃけ、〜〜を〜〜して〜〜してみたい、って欲望は、あるなぁ。ま、実際にはやらないけどね」 という感じで、「そういう願望/欲望を持っている、ということは認めて受け入れて肯定しつつも、実行にはうつさない」という人がほとんどです。 まず、自分で自分を否定しないことだと思います。 ここではとりわけ、性と豊かさの関係についてフォーカスしてきましたが、もっと大きな視点でいえば、 自分のありのままの姿を360°あらゆる角度から見て、それを100%受け入れて肯定して自信を持つ のは、 人間が自分の最高の可能性を実現するうえでの大前提条件。必要不可欠。そこまでいってはじめてスタート地点 というのは真実のようです。 自分のありのままの姿がそもそもよくわかっていない、あるいは、わかったけれどそれを認められない(否定/批判/抑圧/罪悪感を抱く/etcをしてしまう)うちは、まだ「自分の人生の最高の可能性の実現」という旅路においては、スタート地点にすら立てていないのだということですね。 でもそのスタート地点に立つのってめっちゃ大変、、、というか、 スタート地点に立ててる人なんかいるのか って感じかもしれませんがw P.S よく女性で、夫や息子を 「ほんっとにうちの亭主(or息子)はだらしなくって頼りがいがなくって」 とこきおろす人いますが、女性としての私の視点から言わせれば、 「わかってないなぁー」 という感じです。 現実に他の誰かより何かの面で自分の夫・息子が劣っていようがなんだろうが、男はとにかく、「俺が世界で一番!」という(根拠がなくてもいいから)自信を持ってこそ、本来の豊かさ引き寄せ能力が働きはじめます。 そして男のそれは、ほんの些細なことですぐ挫けてしまいます。 (決して猥談のつもりでいうのではありませんが、男の自信やプライドは、それこそ男根の勃起と同じ動きをします。ほんの少し戸惑ったり自信をなくしただけで萎えちゃって、再び元気になるにはよほど自信を持てる何かを経験しないとダメ、という) 逆に男は、ブタもおだてりゃ木に登る的に、持ち上げればどんなことでもしてくれます。 自分の劣等感や鬱憤を晴らすために夫や息子をこきおろしたくなる気持ちもわかりますが、そうやって男たちを貶すメリットは皆無です。 ましてや自分が主婦などで夫や息子の稼ぎに生活を依存しているのなら尚更。 自分で自分の懐に入ってくるカネを目減りさせているようなものです。 男が持つ豊かさ引き寄せ能力をうまく引き出して伸ばす「あげまん」でありたいなぁと個人的には思います。 あ、もし女だったらですけどね?今回は私、男ですがw (まぁでも男でも、ビジネスパートナーや自分が将来持つかもしれない息子など、そいつらが輝くことで自分もメリットを享受できる男たちが本来持っている豊かさ実現の力を引き出して伸ばすにこしたことはありませんが←でもね、男って『自分以外の男はすべて敵』だと根本的に思ってるから、自分以外の男が輝くのを動物的本能に近いところで、どうしたって喜べないという性質も持ってるんですけどねw) |
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2012.05.14 *Mon*
慣性の法則はメンタル面でも有効
慣性の法則ってあるじゃないですか。
止まっているものは止まり続けようとして、動いているものは動き続けようとするアレ。 ようするに、「今の状態」をキープしようとする働きですわ。 電車でもクルマでも自転車でも、止まっている状態から動き始めるときは、抵抗がありますよね。 で、抵抗値がマックス(最大)になったところを越えると、急にラクになる。 自転車だといちばん、それを感じやすいかもしれません。 また逆に、動き続けている最中にブレーキをかけて止まろうとすると、動き続けようとする力が働いて、抵抗を感じる。 で、また抵抗値マックスを越えると、止まる。 これって、精神面でもそうなんですよね。 何かをやっていなかった状態の人が、何かを始めようと思うと、抵抗を感じてつらいんです。 まさに自転車のペダルをこぎだすときの、一番重いあの瞬間。 でもそこでやめたら、止まったまんま。 一番ペダルが重いあの瞬間で、騙されたと思って(?)あと2〜3秒、こぎ続ける。力をかけ続ける。 と、嘘のようにラクに車輪が回り出す。 よく「変わりたい」って言う人、いますけど、変わるってことは、どんなに「ラクに変化する」系のおまじないをかけたって、この「メンタルな慣性の法則」の「いちばんつらい瞬間」を避けては通れないんじゃないかなぁと感じます。 (というのはなぜかというと、ここで感じる抵抗というのは脳という肉体の機能に起因するからで、肉体の機能のいくつかは、たとえばシータヒーリングのコマンドなども及ばないからです) もしあなたが住宅なり道なりで、自転車をこぎ始めようとしてはその重さに負けてやめて、をずっとその場で立ち尽くして続けている人を見かけたらどう思いますか? 「え、なんでそこで負けてやめちゃうの?べつに普通にそこで力をかけ続ければ数秒の後にはちゃんと自転車は走り出すじゃん。何やってんの」 と思わないですかね。 もし、変わろうとして「まさに変わり始めた瞬間の、抵抗」に負けて変わる努力をやめてそのまんま、を繰り返す人というのは、まさにこの「路上で自転車をこぎ始めようとしては挫けてその場に立ち尽くし続ける人」と同じようなものなんですよね。 もちろん、永遠に路上で自転車をこぎ始めようとして挫けて、を繰り返し続ける自由もあるし、それがいけないことというわけでもないので、ずっとそうしていたければし続ける権利はその人にあるわけですが。 |
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2012.05.12 *Sat*
書籍「応用シータヒーリング」速習勉強会2days in 長岡の感想
いただきました。
※この勉強会は2012/3/17,18に実施されました。
この勉強会、ヴァイアナによる基礎&応用シータヒーリングインストラクター養成セミナーの直前にやったので、受講生のなかでそのセミナーを受ける予定だった他の人からも後日、 「あのとき勉強会に出ていたおかげで、インストラクター養成セミナーについていけました」 というコメントをいただいていました。 こちらとしても、それを見越しての開催だったので(&5月には日本語版の応用書籍が出ると創造主から聞いていたのでやるなら今だと思っていたのでw)、役に立てたならよかったなー、と。 ただ、それにしてもこの勉強会は、濃かった。 よほど基礎&応用DNAセミナーを理解しきっているか、自分のブロックに果敢に立ち向かう勇気がある人でないと、受けられなかっただろうなと感じました。 私がこれまで行ったセミナーのなかでも、1、2を争うほどのスパルタ度だったと思います。 同時に、私としても 「これだけ真剣で内容にもついてきてくださる方々に出てもらえたなら本望だ」 と感じられるものでした。 (ディナーみんなで食べてディープに語り合ったのも楽しかったね♪) いざ日本語版の書籍「応用シータヒーリング」が出てみて思うのですが、日本語に翻訳されたところでもともとのヴァイアナの文体が、最後の 「だから何が言いたいの?」 という部分を、書かない傾向にあるんですよね。 また、段落と段落があまりに飛躍していて、 「どうしてこの段落の次にこの話が急に展開されるの?」 という点が見えず、結果として書籍の内容が理解しにくいということがあるなと感じました。 なので、日本語だから読めるでしょうわかるでしょうではなくて、 「この話が先に出てきているのはおそらくこういう意味だと捉えると、次にこの話が出てくるのもつじつまがあいますね」 と、適切に解釈を加えてガイドする人がいると、わかりやすいのは英語版と変わらないなと感じました。 (この『解釈』が著者の意図とズレてないかという点が、解釈を担当する人間にとって最大の関門ですが) だからこうした書籍の勉強会は、日本語版が出ている本かどうかに関係なく、やる意義はあるし、英語本の翻訳をメインとして実施した私の勉強会も、日本語版が出た後で視聴していただく価値もありそうだな、という実感です。 誰かが教えるという体裁をとらなくとも、何人かで集まって 「ここの内容、頭に入った?」 「あなたはどう捉えた?私はこう解釈したけど?」 「ここ読んだとき、私、こう感じたのよ。以前、こんなことがあってね……」 というふうに、内容について話し合うだけでも、(メンツと会話の内容、その場に集う姿勢次第では)とても有用なものになり得るだろうなぁと感じました。 |
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2012.05.08 *Tue*
セミナーの受講料値下げは、いいこと?
先に結論を言うと、良いも悪いもないっちゃないんでしょうけどね。
たとえばの話をしますよ? とあるヒーリングモダリティで、セミナーの料金が決まっていたとします。 開催人数に応じて料金が変動する制度だったとしましょう。 多い人数が集まれば料金が下がるシステムだったとして。 つまり認定ティーチャーによっては、 「いま、1人〜2人しか人数が集まらないから、1人あたりの受講料金が割高にならざるを得ない。そうなると、他の認定ティーチャーで人数が集まっているところに、『割安料金』を目的に受講生が流れてしまうだろうから自分のところへ集まってきてくれない」 というジレンマも抱えているかもしれないということです。 (その認定ティーチャーが豊かさに関するイシューを解消しきっていれば、こんなことそもそも感じないはずなのですが) そこへさらに、 「ヒーリングを受けたい人たちは、貧しい。だから、セミナー料金を支払えない。どうか、値下げしてくれないか」 という要望が募ったとします。 (その要望を出すこと自体が、そしてましてや叶ってしまったら、『私は貧しいからこのくらいの金額しか払えない。そのくらいの金額しか捻出できないという現実を創造してそこに生き続ける(≒これ以上、豊かになることを諦めて、今後もずっと一生、貧しいままでいる)』という宇宙への意図の宣言になると気づいたうえで言ってるんでしょうかね?) そのヒーリングモダリティの認定ティーチャーたちもそう思っていて、創始者に直訴したとします。 (これはつまり、『私というティーチャーのもとへ来る受講生は貧しくてセミナー料金が払えない』という意図を宇宙に対して宣言することになります) そして創始者が根負け(?)して、値下げを了承したとします。 (これはつまり、『このヒーリングモダリティに集う人は貧乏なので高い料金が払えない』と宇宙に宣言していることになります) 要望が叶ったティーチャーたちが歓声を上げてガッツポーズをしたりハイタッチしたりして喜んだとします。 (これはつまり、『私たちは永遠に貧乏で、貧乏であることが大好きです!貧乏な自分たちを認めてもらえて嬉しい!We are 貧乏 forever!!』という宇宙への宣言になります) さて、それってどうなんでしょうね。 値下げの金額の振れ幅にもよるんでしょうけど、たとえば数千円〜数万円といった、いわゆる一般庶民でも本気になればどうにかなる範囲内の金額での値下げだったとして。 手放しで喜んでいいのかなぁ、と思います。 なにもこれは「ティーチャーとして稼げる金が減ったからって、ブーブー不満をこぼしている」わけじゃないんですよ。 列挙するなら、 ・「人数が少ないと割高な受講料金になる制度だと、自分のところには受講生が集まらない」という、豊かさについての制限ある思考をティーチャーたちが抱えたままになってしまう(ブロックのほうを肯定する形になる) ・本気になれば必要な金額を創り出せるはずの、受講したい人の願望実現能力を発揮する機会が失われてしまう (安いなら出せる、という、既存の願望実現能力(の低さ)のまま留まってしまう) ・マンツーマン開催でも最低料金でいいや、という受講生と認定ティーチャー双方が、自分の受講(or開催)するセミナーの価値&そのセミナーに参加する時間の価値を軽く低く見積もってしまう可能性がある 点が、個人的には残念だと思っています。 これがもし数億円というような、世間の物価の相場からいって確かに並外れた金額ともなれば、また話は別なのかもしれませんが、数千〜数万円という範囲で 「なんとなく、値引きしてくれるならラッキー」 という理由で値引きしてしまうのは、かえって「そこから受け取れる恩恵」を減らしてしまいかねないと思っています。 ある程度、チャレンジングな料金だからこそ、本気度が試される。 それだけのカネをどうにかしてやりくりすることが、願望実現能力を鍛える格好の練習材料にもなる。 それだけのカネを払うだけの感謝の念を、ティーチャーやセミナーの内容に対して表すことにもなる。 ある程度の金額を払うという決意をして体験したことだからこそ、大切にできる。印象にも強く残る。 そういう側面って、あると思います。 なんでも安くすれば、ほんとにそれって「良心的」なんでしょうかね? 実際、いわゆる日用品などでも100円ショップが台頭していますが、それ以前にある程度の金額を払って物を買っていた頃と比べて、 「壊れてもいいや、なんかあれば捨てちゃえばいいや。だって100円でまた新しいのを買えるんだから」 という気持ちがまったく増大していない、と断言できる人、どれだけいるんでしょう。 お金について「悪いものだ」「汚いものだ」「多い額の金は人を堕落させる」というような思い込みを抱えていると、とかく「無料」や「安い値段」は、素晴らしいともてはやされます。 でも、それってほんとにそうなんでしょうか。 私個人の主観を述べるならば、 「無料や『非常に安いと感じる料金』であっても、高い料金のときとまったく同じ尊さをその商品やサービスに見出せる人。つまり、値段の高い安いにまったく影響を受けることなく、物事の価値を感じ取り、表現でき、感謝できる人」 にならば、有用だと思っています。 そして、これもまた私の独りよがりな思い込みかもしれませんが、それができている人というのは、そこまで多くはない印象です。 (というか、完璧にそれができている人が、この世界に生まれてくるでしょうかね?くらいのことは、思っています) それともみんな、貧乏が大好きなの?貧しいままでいたいの?もっともっと貧しくなっていきたいの?自分には(お金をじゅうぶんに払ってなお余裕があって幸せでいられるという)可能性があるということを否定したくて仕方ないの?神の一部として人間が持っている無限の可能性を否定することで、神の素晴らしさと偉大さを貶めたくて仕方がないのかなぁ? あ、たとえばの話ですからね?あくまでも。 |
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