ラジオ「スピリチュアルを仕事にする!」

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セッションを受けた直後に仕事が舞い込んだ

東北人のイシュー解消実践会 のデジタルコンテンツをご購入いただき、セッションをお受けいただいた作家の方から感想をいただきましたので本人の許可を得た上で匿名で公開いたします。

usamimiさん、先日は東北人イシューのプチセッションありがとうございました。
東北人イシューとは全く関係のないセッションになり大変恐縮でした……。

「あなたはまだ業界の面構えになってない。
 難しく考えすぎているし、何より作品について、同業者の先輩や同期たちと語り合って揉まれあった総量が足りない」

と当日は、ざっくり上記のようなアドバイスをいただいたと思います。
それから4日経って今日、業界仲間との飲み会に誘われました。
その飲みに、私が人生で一番影響を受けた作家先生がいらっしゃることが判明しました。子どもの頃に好きになり、私の作品作りすべてにおいて影響を受けたぐらい好きな先生だったのですが、会社が違うから会えることはないだろうなぁ…と諦めていたのに、まさかまさかの飲み会で。

セッションを受けてからというもの、まずは自分から、作品について本音で話すということをしなきゃなぁと思って、出会う同業者全員に、自分の考えをしっかり話すという練習をしていました(←愚直…)。
そうしましたら4日後に、尊敬する先生にお会いできることになり、もう、ここ数日で明らかに何かが変わった感がすごいです。

2018年にusamimiさんのセッションを受けた直後に仕事が舞い込んだということがあり、usamimiさんのセッションの後は人生が変わるというのは体感で知っていたのですが、これで人生2度目です。
本当にありがとうございます。

また、もろもろご依頼させていただければ幸いです。

いやぁ、開催したの何年前だよこれ?な実践会の録音教材ですが、いまだに根強く価値を認めてくださる方々がいるようで。

この感想をお寄せくださった方も、知人からすすめられたそうです。

でも知人からのすすめっていったって、そこまで有名でもない教材なのに、この世のどこかで

「あなた、東北人のイシュー解消の録音、聴いた? あなたの役にたつと思うよ」

という会話が交わされていたってことですよね?

んー、やっぱり未熟に思えても録音状態がいわゆる商品クオリティじゃないかもな的な戸惑いがあっても、とにかく出せるものは出しておくに尽きますな。

正直いって、この実践会を開催していた頃の実直な熱意と行動力は、今の自分にはありません。
良い意味で若かった頃ならではの私にしか、できなかったことなのでしょう。
それを、歳を重ねた私の方がまるで立派みたいな勘違いで、過去の私を若造扱いして鼻で笑って黒歴史だと苦笑するのはお門違いなのだと思います。

東北にゆかりがあるあなた、今さらながらだけど、思い切って購入しちゃいますぅ〜?
(と宣伝ふうのことを言っておいて、べつに買ってもらいたいとは少しも思っちゃいない商売っ気のなさ)

人を呪っても穴ひとつ(←もちろん、相手の分)

万有引力の法則は、永遠に不変のようでいて実は違う、みたいに。

この世のいろんな物理法則は、実は永久不変のものではなかったりします(よね?)。

で、物理法則というものも、霊的摂理の現れ方のひとつの形態にすぎません(よね?)。

そして霊的摂理というものも、永久不変の基本原理のような部分と、その都度で変わるものもあります。

あと、「どの範囲に影響が及ぶ」霊的摂理か、にもよります。
たとえば条例というのは国全体に効果が及ぶものではなくてその地方自治体で有効である、みたいな。

そして。

霊的摂理がいま、めまぐるしく変わっています。

どちらかというと、「これまでは規制」的に禁止や抑止されていたことが、解禁される方向性で。

例えばマルチバース。

「一時期の、SF的なネタとしての流行りじゃないのォ〜?」

と言われつつも、いま映画のネタとしてマルチバースは大人気。

もちろん映画は創作の世界なので現実ではないわけですが、それにしても、まったく理解も共感も興味もされない題材だったら、映画の中で採用してもコケますよね?

だいたい、宇宙はいくつもあるなんて奇想天外な発想。
これまでみんながあらかじめ(創作上のネタとしてであっても)知っていて人気だったわけでもなく、人によってはまだ知らない概念ですらあるのに。
どうしてこの時期に立て続けに複数の映画作品でこぞってマルチバースのことが取り沙汰され、しかも興行的にヒットしているんでしょうか?
(べつに映画の観客みんながみんな、学術的にマルチバースについて興味をもって研究している学者ではないはずなのに)

それは本当にマルチバースにまつわる、これまでされていた規制のいくつかが霊的摂理として解禁されたから、が発端だとは考えませんか?
(それを大資本家は宇宙人など霊的摂理とされる、ようするに『すごく発展した物理学などの科学』についても知っている支配者・管理者とつながっているから、指令どおりプロパガンダとしてそういう発想を庶民にも映画という創作作品を通して知らしめているのだ、、、みたいな陰謀論も語れますよね。それが本当かどうかは別として)

で。

マルチバースだけでなく、他にも実はいろいろ、知名度としてはマイナーだけど実はされている霊的摂理上の制限の解禁、みたいなものが続々と起きてきてると言われたらどう感じますか。

それこそ、この記事のタイトルにあるように。

それまでは「人を呪わば穴二つ」だったのが、解禁された霊的摂理を上手に利用すると、そうはならない……。
都合のいい絵空事に聞こえますか?

うまくやると、できちゃうんです。
(やりたいかどうか、やるかどうかはまた別の話として)

こういう最新情報は、出版されている本や、大々的に広まっているヒーリング技法などでも即座にはキャッチアップしきれないもの。

まぁ、そこまで最先端の霊的摂理情報に耳ダンボ的に興味津々で「知ってるだけ」なら、ほぼ何の意味もないとは思いますけれど。

情報をどのルートから得るか。
そもそも情報の得方(えかた)として、文字や話し言葉など、どこぞの信頼ある権威的存在だか個人的に推しだかの人、崇高な霊だかとチャネリングしたという人の預言を鵜呑みにする方法でいいのか。

と、タイトル記事の内容(やり方)については言及せずにこの記事は終わるのです。

人を呪うなんて、やめときなよ(めちゃくちゃ社交辞令の営業スマイル、建前100%)。

ほら、体裁って大事でしょ?(狡猾笑み)

初見殺しを避ける“恩恵”としての「前に進めない」心理ブロックがある

ビデオゲームなどで、「初見殺し」と呼ばれる敵キャラたちがいます。
たとえば、この魔法や武器で攻撃してしまうと倒せなくなるとか、強制的に自分側がやられてゲームオーバーになるといった意地悪な設定があらかじめゲーム制作者たちによって設定されたキャラクター。
いわゆる「攻略本(今どきは攻略サイトですかね)」で事前に、正しい戦い方と、やってはいけない行動パターンについて学習しておかないと倒せないわけです。

それか、自分で初回プレイしてみて負けてしまい、それでも何度かやりなおすうちに自分で攻略方法を見出していくか。
これ、現実にもあると聞いたらどう思いますか?

誰かがわざわざ意地悪な「初見殺し設定」を仕込んだわけではなくとも、良かれと思ってシンプルに正攻法で行ったらとんでもない目に遭った、ということは現世では起きがちです。

(例:社長が『会社の悪いところがあったらなんでも言ってくれ』と言ったのでズバズバ指摘したら自分が左遷された)
そしてDo Overの実在。

人々が集合的に(←ここがポイント)、この時間軸を何度もループして人生をやりなおしているとしたら。

実際、前回(以前)に無知なまま何かに挑み、本当に初見殺しに遭ってしまったことがあるとしたら。

そのことを人は、はっきりとではなくても深いところでは感覚的に覚えているとしたら。
今また同じ時間を、あたかもビデオゲームを繰り返しプレイするかのように生まれなおして、かつて初見殺しに遭った出来事が視野に入ってきたら。
「どうしてもやる気が起きない」

となっても不思議ではありませんよね?

それを、良かれと思ってのポジティブ思考や自己啓発的な考え方で

「それは心理ブロックだ!自分の可能性を制限する悪いクセ!ブロックを打ち破って、正々堂々と何事にもチャレンジできる自分になろう!」

でコーチングだかセラピーだかヒーリングだかド根性スパルタだか、方法はなんでもいいけどできたとしたら。

初見殺し、再び。

あーあ、と思いませんか?
仮の話ばかりしててもアレなんで、もっと仮の話をしましょう(笑)。
そしてDo Overだとわからない、という人のために、単純にこの時間軸での過去と現在の話題をば。
今回の人類は何回目かだという説があります。

しかも自然発生的に誕生したものではなく、高度な文明をすでに築いた地球外生命体たち(いわゆる宇宙人)がバイオ技術で人工的に誕生させたという説も。
そして地球は実験場で、いわば地球で誕生させられた人類というのは実験用のマウスやモルモット同然、だとして。
実験である以上は、何か証明したいことがあらかじめ存在し、実際そうなるかどうかを観察する存在がいるということ。
実験がうまくいったにせよ失敗したにせよ、用が済んだら……。


そして前回。
“いわば失敗”に終わる形として、人類が実験観察者の想定以上に賢く、高い能力を持ってしまったとしたらどうでしょう?
実験用のマウスやモルモットが高度な知能を持ち、なんなら敵対する脅威に感じられるようなふるまいをしたら。
あなたが実験観察者だとしたら、こういうときどうしますか?


そう考えてみると、今回の人類が「おバカ」というか、悪ふざけがすぎるくらいに
「わかっちゃいるけどやめられない」
「なんでこう~なるの!」
で、わかりやすく上を目指して全力でガツガツ……と生きない、行こうとしない理由も透けてきませんか?


自分は立派なつもりで、人々を啓蒙・啓発するのだという自己啓発家がいます。

「どうしてみんな、もっと全力で上を目指して頑張らないんだ!」
と怒りを感じたり、ため息をついたり。
残念なことに、ヒーラーにもいますね。

ほか、世間一般のもろもろの立場の人たちにも。

会社の管理職や経営者、学校の教師(部活などスポーツ指導も含む)、いちいち挙げたらきりがないほどいろんな立場の人たちが。
自分は正しいという前提を疑いもせずに、前に進み上を目指すことをためらう人を否定する。改善すべき“問題”だと決めつける。

悩ましいもんですな。
あ、だからって

「ですよね?何かをしようと思っても、なぜか勇気が出なくて行動を起こせないのには、理由があるんですよね?」

を肯定しすぎても、ね。

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「困ったちゃんとして振る舞う」、「周囲に迷惑をかける」という形で神聖な奉仕をする人たちがいる

わざわざ人をつかまえて

「ねぇ、私いまこんなにつらいの」

と愚痴をこぼす人いますよね。

他にも似たようなパターンで、

・みんながうまくいって楽しく過ごしている場に現れて「世の中にはうまくいってない人もいるんだよ?」と言う
 (あるいは、そうした態度を示す。盛り上がっているパーティの場に現れて陰鬱な暗い様子全開でいるなど)

・「こうすればうまくいくよ」という誰かの発言に「あなたの言うとおりにやってみたけどうまくいかなかったよ」とわざわざ告げにくる(その人のアドバイスが万能の完璧でない証拠を示す)

など、その場に水をさす、ブレーキを踏む有様をわざわざ示す人たち。


そうした人がなぜそうなのかは、細かくいえば個々人ごとに違います。

が、1つの傾向としてあるのがタイトルに書いたこと。

自分がうまくいかない、負の有様を示すことで、世の中のみんな(少なくとも周囲の人々)が、ある方向に迷いなく全力で進んでいってしまうというリスクを軽減しようとする

うまくいってしまうことで「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」と悪気なく言ってしまうような人間性の偏りがその人の中に生まれることを阻止し、その人が見えていない物事の側面として、自分が「うまくいっていない例」として現れ、うまくいかないこと・場合・人もあるのだと(良かれと思って)釘を刺す


のです。

もちろん?、困ったちゃん的に振る舞っている人の顕在意識としては自覚がありません。
(ただ、こういう記事を読んだり、口頭で伝えたりすると、人によっては深いところでドキッとしたり妙に納得したりするようです、ドンピシャだと)

「なるほど、困ったちゃんがずっと困ったちゃんでいつづけるのにも理由があるということか」

という大人としての納得?はできるものの、それでも釈然とはしないですよね。

現に、そういう困ったちゃんの、わかりづらい伝え方は伝わらないことがほぼ100%ですし、仮に伝えたいことを汲み取れたとしても「余計なお世話だよ」が関の山。

やはり問題は、そういう困ったちゃんとしての動きをなぜかしてしまう本人にあります。

そういう人は、言葉で「もっと伝え方を工夫して」とか「あなたが伝えたいことを聞きたい人、必要としている人たちばかりではないんだよ」と言っても、曖昧な返事をしたりうつむいてやりすごしたりして変わらない。
明確に「私、そんなつもりでこういうことをしてしまうんじゃありません!勝手に決めつけないで!ほんとにできなくて困ってるんだから!!」と否定してくる場合も往々にしてあります。

対処法として、「困ったちゃん本人側」と、「困ったちゃんに困ったことをされがちな人側」に分けてみましょう。

[困ったちゃん本人側]
まず、自分がなぜ、困ったちゃんと認識されるような、他人からすると迷惑な行動をとってしまうのかを見つめて、あわよくばその思考の土台を見つけます。

その土台は、ここに挙げたような、隠れた啓蒙啓発の意図があることのほか、単純に社会性のなさ、自分本位な幼稚性を払拭できていないなどスピリチュアルな深みとは関係ない至らなさにあることもあります。
(スピリチュアル大好きな人ほど、妄想的に霊的な方へ想像を広げてしまい、『これが私の天からの使命』など、本当でない空想としてのお話をでっち上げていきがちでもあるので要注意)

そして土台の解消。一般的かつ王道っちゃ王道ですね。

ここに挙げたような、実はスピリチュアルな神聖な奉仕として、良かれとおもって人類を導こうとして自分が困ったちゃんを演じている場合、なぜ自分はそういう使命感のようなメッセージ発信をそんなに強く抱いているのかということを明らかにするのが望ましいです。

その上で、今の伝え方だとまずもって伝わらないことを認め、要するに何が言いたいのかを自分側でシンプルにしていきます。

そして、できれば他人から迷惑と思われないような形で自分の本当に言いたいこと・伝えたいことが相手に伝わるように行動を修正していけるといいですね。

単純に仕事ができなくて周囲に迷惑をかけてしまうといった能力が劣ることで困ったちゃん扱いされている場合は、能力の研鑽で実際に向上させるのも欠かせないでしょう。
(『それができないから困ってるのよぉ〜。私だって周囲に迷惑をかけたいわけじゃないんだからぁ〜』という反論があるとは思いますが、そこをどうにかするのが脱・困ったちゃんの鍵。できなきゃ一生そのままです。えぇ、あなたの言い分は正しいですねさようなら、で終わりですよ他人からすれば)

[困ったちゃんに困ったことをされがちな人側]
実は、困ったちゃんから困ったことをされる現実が起こるということは、そういう現実を迎え入れることを第一希望で望んでいます。
もう少し妥当な言い方をすると「許容している」のです。

ある人から依存され迷惑な思いをした、誰かの仕事のミスを尻拭いする羽目になったなど、個別具体的ないちいちを第一希望で願っているわけではないのです。
「そんなようなことがあれば、まぁ、しゃあないっすわ」
程度のユルさで、だいたいそんな感じの事象、と認識する在り方に該当すると発生してしまうのです。

まず、そのことを認めること。
(『いいや!私はそんなことを望んでなんかいない!何が第一希望だ、そんなことを願う人間がどこにいる!』と勇ましく否定しても何も変わりません)

そして次に、なぜ自分はそういうアプローチを受け入れているのか、そこから何を得たいという「メリット享受志願」があるのかを見つめます。
このメリットは人それぞれバリエーションがありますが、たとえば
・できない人の尻ぬぐいをすることで、自分ができる人間だと自覚する&周囲からプラス評価される(されたい)
・できない人が起こす困った事象を逐一、対処して面倒を見て問題解決するのが自分の天からの使命だ
など、ようするに「自分が得する、良い思いをする」内容が必ず含まれているものなんです。
これも、見つけたところで「いいやまさか自分がそんなはずはない」とプライドやら見栄やらが邪魔するのでうまく乗り越えて。

仕上げに、「困ったちゃんから困ったことをされなくても、他にこれこれこういうことをすればメリットは得られるのでそうする」とか、そもそも困ったちゃんから何かちょっかいを出されることで満たされる自分の思考そのものを手放すなどなど、カウンセリングやヒーリングあるあるのチェックメイト的な局面をしっかりワーク。

ワークが効いていれば、自然と、嘘のように、困ったちゃんに困ったことをされなくなります。

(困ったちゃん側が『さぁ、いつものようにアプローチを仕掛けるぞ!』と近寄ってきたとき、まるで虫除け成分が充満した部屋に入らず引き返す蚊のようにピューと引き返すのを察するかもしれません。『あ、とりつく島がない』的な、がっかりしたような、ぽかんとしたような、興醒めしたような呆けた表情をするのを見るかもしれません。そして他のカモを物色して、隙がありそうな人に困ったちゃんがターゲットを変えたら、しめたもの)

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ブログの文章なのでどうしても総論的で、ざっくりしたことしか書けませんので、個別具体的な問題をどうするかについてはヒーラーに依頼するのがよいでしょう。
(ご依頼、お待ちしております♪)

ただ、今これからの時代って、誰が悪いわけでもないけど
「このくらい、できて当たり前」
という基準が上がっていくと思うんですよ。

たとえば国民的アニメとされるサザエさんだって、初期の頃はこんなシーンが普通に放送されていました。



こまかい解説は野暮かもしれませんが、これ、今の世の中だと(厳密には個々の家庭では、シレッと起きてるっちゃ起きてるんでしょうが)一般的には、表向きはNGですよね。。。
(どこがNGなんだ、何がおかしい、普通じゃないかと感じる方はここではお話の対象外とさせていただきます)

このたった数十年で、いろんな価値観がアップデートされています。

スマートフォンにしたって、あまりにもモタモタと
「使い方がわからないの」
と他人に聞いたところで、よほど聞かれた側に余裕があったり、有料だからサービスとしてやる気を出すなり、聞く側がよほど愛されているなどしない限り、「知るかよ」で相手してらんないわけです。
スマートフォンが出たての頃は老若男女「これ、どうやるの?」と四苦八苦したのがほんの10年前なのに。

悪気はないけど誰もが無限に余裕あるわけじゃないんです。
自分のことで基本、精一杯。
お金も払わず、相手との信頼関係の構築に時間と労力を費やしてきたわけでもないのに、なんとなくの知り合いという赤の他人におんぶにだっこ、はこれまで以上に通用しない世の中になっていくでしょう。

伝わりにくいメッセージを、嫌われ者を買って出てまで生き様を通して、害悪を振りまく形であくまでも伝えようとし続ける姿勢(というか思考)でいつまでもいるのが賢明なことかどうか。
賢明でないと判断したら、じゃあどう変わるか、変われるか。
賢明でなかろうと知ったことか、これが私の生き様だと言い張って今のザマを貫き通すか。
こういったことは、その人がスピリチュアルに興味があるかないか問わず世間全般でみんなが考えていかざるを得ない課題となっていきそうですね。