それ1つでご飯が食べれる位のクオリティで1つ1つの内容を作って居られるとお聞きしたのですが、 本当にその通りだな…と思います。

マルチプルアバンダンス特級「幸せ釣り」を受講された方からの感想いただきました。

幸せ釣りを受講させて頂きました。

受講内容自体も大変奥が深く、色々な可能性がある内容で
これから活用していきたいとワクワクした思いがありますが、
何よりも、受講中に頂いたusamimi様の言葉が一番有難かったです。

「今叶ってない希望」や「好まない事を引き寄せてしまう」要因が
すべて自分の根底にあると「知って」は居てもある一定の所から先に
中々たどりつけないで悩んでいました。

逆に、自分のイシューが思いっきり吹き出していた状態の時に
受講させて頂き、大事な大事な根本的な問題点を教えて頂き、
本当に感謝しております。


返事の声1つで、本人も気がついて居ない心の壁に気がついて
的確で且つ、多分、他の方の普通のセッションでは言って頂けない
言葉はまさに私の問題を解く大きな鍵で私が一番望んでいたものでした。


お陰様で肝を据えて昨日夜から、もう一度今まで受けさせて頂いていた
別のヒーラーさんからのセッションを振り返り、掘り下げていましたが、
お陰様で壁を1つ乗り越える事が出来ました。
本当に得難いご指導をありがとうございました。


また、usamimi様のツイートも、自分にガツンと来るものは
反省共々自分を変える糧にさせて頂こうと思っております。


幸せ釣りの感想と言いつつ、
受講時は、usamimi様に頂いた言葉が有り難く、
気持ちがそっちの方に行っておりまして申し訳ございませんでした。


今日、改めてその汎用性の広さに驚く事がありました。
受講中に、MAでも特級でもそれ1つでご飯が食べれる位の
クオリティで1つ1つの内容を作って居られるとお聞きしたのですが、
本当にその通りだな…と思います。


受講させて頂き、本当に有り難うございました。


感想の中にもあり記事タイトルにもさせていただきましたが、マルチプルアバンダンスは、初級からすべての特級に至るまで、1つのエネルギープログラムだけで、やりようによっては生業にして一生、食っていける、なんなら家族も食わせていけるようにデザインしています。

たくさんのクラスを整備している創始者がこう言うのもなんですが、むやみやたらにたくさん受けるのもいいかもしれませんが、1つの講座の中のさらにたった1つのエネルギープログラムの使い方を誰にも負けないほど習熟すれば、もうそれで一生安泰かと。(無責任)

また、感想の中にもありますが、セミナー中は、返事の仕方ひとつでその人の本音や、なぜそういう相槌や返事の仕方になったのかの思考パターンの土台まで、(べつに、やろうと意識してるわけでもないですが)瞬時になにもかもお見通しで観えてしまうもの。
観えてるのに言わないのも、ということで、その人が解消を望んでいて、その助けになり、かつ、過剰な心理的負担やトラウマ、精神的虐待にならないのであれば、といういくつもの「審査」を自分なりに0.1秒くらいかけて行い、OKであれば言ってお伝えするようにしています。
(それもあるのか、講座の内容そのものより、自分自身のイシューについて役に立つと感じるアドバイスを得られたほうに意識が向いていたということのようですね、この方の場合←でもみんなそうだと思うよー。結局、自分の目先なり長年なりの問題に解決へのヒントが得られた、という方が、お仕着せの講座内容をおとなしく勉強するより、嬉しいよねぇ)



「幸せ釣り」は、マルチプルアバンダンスの中でも、ヒーリングというよりは、マニフェステーション(願望実現、現実への具現化)の要素が非常に大きい講座です。

なんとなく悪いものがとれて「癒されたー」と気分だけで納得しやすいヒーリングの講座とは違って、現実に、物理的に、願いが叶うところまで現状から変えていくよ!という力強さ。

えてして、「人生、つらいことばっかりで恵まれず報われず苦しい思いに耐えるしかない」という路線でヒーリングやスピリチュアルの世界に入ってきた人というのは、要するに、そうなってしまうくらい、現実でガシガシとゴリ押しでもワガママでも他人を蹴落としてでもなんでもいいから欲しいものを手にする、というマインドがないんです。
中途半端にお人好しで真面目で、いわゆる正論とされるような道徳的な考えを生真面目に守り、他の人を傷つけちゃいけないとか、迷惑をかけちゃいけないとか、完璧でなければいけない(だから失敗したくない)、真面目に努力していればいつか報われる、といった、ちょっと大人にしては現実の汚い部分を否定しすぎなんじゃないの?と言いたくなるような、「悪気なく無能な真面目系クズ」率が高いんですよね。これは言葉はひどいですがべつに特定の個人をdisるのではなく、あくまで傾向として。

で、べつに犯罪とされるような悪いことをしろって意味じゃないし、できれば誰も傷つけないで物事を成し遂げるのが理想なのはそのままでいいから。

とにかく、その想い、成就させなよ。

とは思うんですよ。

「その想い」というのはもうなんでもよく、こんな苦しい生活はもう嫌だでもいいし、せめてヒヤヒヤして胃が痛くなったりしない程度にお金に不自由しないようになりたい、でもなんでも。

よほどでなければ、(世界征服とか人類滅亡とかでなく)そこまで真面目で善良な人が抱く願いなわけだし、叶えたって誰も不幸にならねえよ的な。

ほんとに誰かの財産を盗んだりするといった加害行為・犯罪行為をするのは(一般的にいえば)問題なのかもだけど(でもそれさえも、結局は、うまくやったもん勝ちで世間は回るって事実もあるけどね)、正当・正統・妥当なやり方で自分の希望(仕事にせよ家庭や私生活にせよ)を関係者に伝えて呑んでもらうとか自力で成し遂げるとかは、緊張するし、言うからにはやらなきゃというプレッシャーもあるにせよ、おかしなやり方ではないはずです。

(精神的)ストレスを感じて苦しいということは、
「今の状態があなたにとって問題があるよ」
というサインでもあります。
怪我や病気のとき患部が痛むのと同様。
それは耐えるべきものじゃなくて、解消するためにあるんです。
でも、解消のために現実を、しかも他人が絡むことを動かすのを過剰に怖れたり、それは悪いことと捉えてしまうから、すべて我慢してしまう。
我慢してしまうから、他の人は
「何も言ってこないし、ちゃんとやってくれてるみたいだし。あの人、これで文句ないわけでしょ?」
と、恐ろしく無関心な他人事感覚で、何もしてくれません。
「すいません、これ嫌です。もっとこうしたいです」
それが言えない。
そこで神様に祈ってしまったり助けを乞う。
いや、人に乞えよ的な。

難しく考えず、動物みたいに、「とりあえず問題ないっす」という感じでいるのがデフォルト。
苦しみに耐えてるのは、れっきとした緊急異常状態です。

もちろん、そこから抜け出すには、それなりの力や知恵が要ります。その力や知恵を発揮した一定の行動量も。
そこのどれかが欠けてるから現実の有様はそのままで変わらず、苦しいまんま。

だから癒しを神に、スピリチュアルに、ヒーリングに求めるのは、壮大なお門違いなわけです。

いや、向き合えよ、と。

「でもォ!無理なんだよぅ!怖いもん!やってみたけど、できないんだよォ!!」

というのが現状では事実だとしても。

だからこそ、

・無理じゃなくなる
・怖くなくなる
・やったら成功してできる

ところまで、自分を変えて、挑んでいけばいいじゃない。

ドラクエとかで中ボスやラスボスに戦いを挑むみたいに。
低いレベルで装備品もなく何回も挑んで全然勝てないとしても。
だったらレベル上げて金稼ぐなりダンジョン攻略なりして装備品揃えて。
それから挑めば倒せるよね?という。

ごく単純な理屈。

なのに、この路線は、スピリチュアルやヒーリング業界では歓迎されない。
ささやかに遠巻きに、引かれる。
まぁ、そう感じてそうしたい人はどうぞどうぞだと思う。ほんとに。べつに悪くないよね。

でもさ。

自分はこうなの。
これをよしとしてる。
こういう方向で、現状の苦しさの元凶を現実と向き合って取っ組み合って、力と知恵を発揮して解決してしまうほうが、根本療法になるわけでしょ。

ただ神に祈って、自然と現状が変わる奇跡を願ったり、苦しみが消えるのを期待するのも結構。それで効くならね。効かなくても本人がそれでいいと思えるならね。どうぞどうぞ。
(『私はその方法で効きますよ?他の一般人と違ってw』みたいなドヤ顔も、わざわざ俺に見せてくれなくていいのでどっかよそで好きなだけやってください)

……という想いで、マルチプルアバンダンスは整備しています。

お役に立てたならなによりですわ。スワン。🕊

パーマン1号は諏訪(すわ)みつお。
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体を持って生きていることへの喜びと感謝がわきあがり、笑顔で叫んで走り回りたくなるようなレベルのテンションの高さ

セラフィムブループリント レベル1「セラフィムヒーリング」のエネルギー伝授ワークショップを受講された方から感想をいただきました。

受講前は緊張と興奮で落ち着かず、また開始時間にSkypeが繋がらなかった事もあり、何か手落ちがあったのかと動揺していましたが、いざ始まってからは、それぞれのエネルギーを、今の自分に感じられる事を精一杯受け取ろうと、落ち着いて集中できていたと思います。
レベル1-2のメンタル・イニシエーションまでは体感がメインになっていて、特に感情は動いていませんでした。

そして、メンタルイニシエーションの時に、突如沸き上がってきたのが、溢れるような感謝の気持ちでした。
「ありがとう、そうなりたい、そうしたい、ほんとに頑張るね!」という気持ちがひたすらに沸き上がってきて、それは、誰に対する感謝であるとか、何にたいして「そうなりたい、そうしたい」なのかを理解(というか、はっきり具体的に思考化)する余裕すらないほど強い思いでした。涙があふれてとまりませんでした。この時点では、このエネルギーシステムをここに届けてくれた、セラフやルース、usamimiさんへの思いなのかな、と。

しばらく時間をおいて、次のイニシエーションまで他の方のシェアをお伺いしていましたが、その間にもどんどん色々な思いが沸き上がっていました。
感謝の次にきたのは、「許された」という思いでした。誰から、何を、はわからないままでしたが、これも強い安堵の思いで、また泣けて。

それから、体を持って生きていることへの喜びと感謝がわきあがり、笑顔で叫んで走り回りたくなるようなレベルのテンションの高さでした。
同時に、ものすごく多くの存在からサポートされているからこそ、今ここに肉体をもって存在していられるのだという事がはっきりわかり、また感謝メーターが振り切り。
サポートしてくれている皆に、自分が幸せになるところをみせて応えたい、自分のためだけではなく、皆のためにも、という思いが強く生まれました。
(今これを書いていて、以前にも似たような気持ちになった事があったと思い出しています。何故忘れてしまっていたのか。
2011年3月11日、大地が揺れる15分ほど前に、電車の中で突如として、沢山の存在が自分を見守ってくれているのを感じて、その思いにひとり涙ぐんでいた事を。)

話が逸れました。
続いてブディック・イニシエーションが始まると、目や頭、副鼻腔への痛みのような体感とともに、一気にそれまでの感情や高揚が薄まりました。
その後は恙無く進行し、無事に講座終了となりました。案の定というか、フラフラになっていましたが、心地よい疲れといった感じでした。
(一夜明けた今日もまだフラフラしており、レベル1-2のエネルギーを一つ流すたびに寝落ちしてしまい、全て流し終えるのに2時間もかかってしまいました!)

合間合間にお話いただけた事も、とても嬉しいものでした。

本当に自分をどうにかしていきたくて、人並みの事すら出来ず、ままならないことが不甲斐なく、セッションを申し込むのすら、甘えや逃げとしか思えず。
それでもなんとか自分の体力を身体的にもエネルギー的にも底上げしたいと、他の方と比べれば亀の歩みだったとしても、日々成長してきたと思える自分となれるよう、逃げ出さず自分と向き合って生きていくために、との思いから申し込んだセラフィムブループリント。
他の方の、何かしら覚悟のある方が申し込まれてる、というお話だけでも、自分は凄く励まされました。

usamimiさんから受講できて、本当に良かったです。ありがとうございました。


あまり大々的に書かないほうがいいのかもしれませんが、エネルギーワークはどれもそうですが、潜在意識的にでも受講者に心理的抵抗(ブロック)があると、その意図が現実化して影響を与え、ネットや電話の通信環境や機材トラブル、電車の遅延など、

「え、べつにこれ、私が引き起こしたわけじゃないんですけど」

と言いたくなるようなことがいろいろ起きます。

この回も、人によってはいろんな事情で1時間も遅れたり、当日参加できなくなったりする人が出ました。
(ある意味、レベル1の最初はそういうふうにして、わちゃわちゃするのが恒例、くらいに思っています。私もティーチャーになりたての頃は、毎度毎度、レベル1を開催するときは特に、ありとあらゆるトラブルが起きるので頭を抱えていちいち動揺していましたが、足掛け10年近くもティーチャー業をやっていると根性も図太くなるのか、『あぁ、いつものやつね』と淡々と処理できます。し、実際できちゃうもんなんですよね)

セラフィムという天使の性質上なのかそうでもないのか、天使的なエネルギー属性との相性のようなものもあり、磁石のように極性が合わないと反発する作用が起きてしまうのでしょうかね。

ワークショップ受講中にその人の中で不満や不快感が募っていったのか、「もう我慢できない!」とばかりに取り乱して

「もうやだ!なにこの天使的な雰囲気!気持ち悪い!自分が汚い存在みたいに思える!もっと悪魔的なずるいえげつない人たちと一緒にいる方がいい!この場の空気が清浄すぎて神聖で、体が火傷するみたいに痛い!」

といって、会場を飛び出して帰ってしまう人もいました。

相性自体は合っていて天使的なエネルギーそのものは好き、という人でも

「波動が高すぎて……。めまいがします。ジェットコースターで乗り物酔いしたみたいに体が揺れる感じで落ち着かない」

と、グロッキーになってしまうのは、よくあること。

まぁね、それくらい強烈な体験ってことなんでしょう。

かくいう私自身、2008年の春におっかなびっくりで、とある高次元エネルギーアチューンメントを受けて
「自分なんかにヒーリングなんかできるのかな」
と思っていたのに、それが勘違いの域を超えて効くことに驚き、ヒーラーとしてプロレベルで活動する方へ無謀にも野心的になって夏を経て秋に出会ったのがセラフィムブループリントでした。

レベル1を受けたとき、
「これでいける!」
と確信して、ほんとにその年の12月にはセラフィムブループリントのティーチャーになり、翌年2009年の夏には会社を辞めてヒーラーとして独立してしまうわけです。
それくらい、個人的にもインパクトのあるエネルギーワーク、ヒーリングモダリティなんです。セラフィムブループリントって。
(ただ、フタを開けてみると、恒常的に収入に繋がったのは独立当初はOle Gabrielsenさん創始の高次元エネルギーアチューンメント各種だったり、シータヒーリングのセッションやセミナーだったりして、メインの収入源として常にセラフィムブループリントでの儲けがあったわけではないのですが。ただ、金になるかならないかというのとも全く別の、『ヒーラーとしてそもそもこの世に何をもたらしたくてやってるの?』という点では、常に自分の中で、最重要クラスで大切な営みでした。セラフィムブループリントの教授業というのは)

いま、創始者ルース・レンドリーも70代に突入し、正規クラス(レベル1~6)の他に派生的・発展的なクラスも増え。
セラフィムブループリントの運営自体もNPO団体?として正式に発足させ、経営陣(=ボードメンバー)に名だたるスピリチュアリストを迎え、大変な発展を遂げつつあります。

営利的に上手に広告宣伝を打ちまくりで流行らせるという手法を採用していないこともあり、スピリチュアル業界の中でもそれほど有名ではないかもしれず、むしろ無名・マイナーと捉える人も少なくないと思います。し、その判断は実質的な市場規模からいえば妥当でしょう。
ただ、流行ればいい、売れてればすごいというものではないはずです、スピリチュアルなエネルギーワークというのは。

私はティーチャーをやっていますが、べつに宗教の宣教師でもなんでもありません。
もっと多くの人に是非ともセラフィムブループリントの受講を!なんて特に思っていないし、また別のヒーリングモダリティと競ったり、対立したりなんてナンセンスすぎて全然。
実際、私自身もセラフィムブループリントとは別に、総括的というか、個人的な選り好みなだけかもしれませんが、興味関心に沿って、霊的なものとの邂逅を楽しむ方向性で生きていますし。

確実に言えるのは、自分自身の人生においては、セラフィムブループリントとの出会いは、他では代用のきかない、まさに人生の転換期ともいえるものでした。これに出会わなかった人生を考えることなどできません。
世間で流行ってようが評判が良かろうが悪かろうが関係ない。
個人として、大切に思えるものが人生にあるのとないのとでは、少なくとも一個人としての生き甲斐は大きく変わってくるのではないでしょうか。

今後も私はセラフィムブループリントをお伝えし続けることでしょう。

創始者ルース含め、私自身もですが、運営や教授に携わる関係者が年々、当たり前ですが高齢化してきており、そこまで若いヒーラーがティーチャーなどにどんどんなってきてくれているわけでもないのは長期的に見れば気がかりですが、それで絶えたら絶えたで別にいいとも思います。
(実際、セラフィムブループリントは、古代アトランティス時代から、何度も何度も、天使によって人間にもたらされては廃れて失われて、を繰り返しており、結局、根本的には無くなっていないのです)

営利目的で誰でも彼でもとにかく稼ぐために、といったよこしまな思いでセラフィムブループリントを伝えることのないよう、自分が生活費などを別の何かしらの方法でしっかり確保するというのも大事だよな、と個人的には思っています。

短期的な流行り廃りに影響されたり、いまが苦しいから藁をも掴む想いでなんでもいいからという動機の人が「踏み台として利用」するみたいなことのないよう、マイペースで、納得するときに、納得できる人にだけ、大切にお伝えしていきます。

エネルギー伝授ワークショップの開催はいつでもお待ちしております。
なんなら受講者1人のマンツーマン開催でも都合と体調と気分が許せばいつでも。

ってなわけで久々のブログで長くなりましたがバイビー。
感想くださった方、ありがとうございました。

どうしてスピリチュアルを商売として金を介してやるのが大事か。

ツイッターに書いたことを転載します。

本日実施した、マルチプルアバンダンスの「愛のこじらせ見抜きセッション」イベントを企画&開催してみて振り返った感想。
信じられないくらい連投に次ぐ連投で自分でもびっくり。
どうせなら、とここにまとめて転載します。

すっっっごい内輪ふうの話をあえてすると、アストラルリーディングについてはイベントにノータッチで認定ティーチャーたちに一任しているというか、認定ティーチャーさんたちの自発的な企画ということになっています。
なのでべつにいいっちゃいいんですが、収益性が乏しすぎる!全然儲かってない!

もちろん、現行のティーチャー主導のイベントは、金儲けというよりはアストラルリーディングの広報宣伝・普及活動的な意味合いの方が強いので儲けが出なくてもいいんですけど、じゃあ広報宣伝効果としては秀でているのかよというと1日のイベントで参加者2~3人などで、これもちょっと……。

で、ある程度の数の方に知ってもらわないと、効率の悪いジリ貧じゃんということで。
また、たとえば参加料を無料にすれば、物見遊山はもとより、おそらくはからかいとかひやかし、見下し、茶化す目的で参加する人の爆発的増加は経験則上、見えていたので有料に。しかも、恥ずかしくない金額の収益で。

今回、お一人あたり20分で2000円と、いわゆる「10分で千円(100円/分)がセラピスト系のプロの最低限?登竜門?的な単位時間給」の設定にしましたが、私も含めると4名のスタッフで約半日で、数万円の収益となりました。

これは「ぼちぼちでんな」の居酒屋や床屋などサロン系店舗としてはやや上々。

金の亡者だからスピリチュアルという神聖なものを商材にしてガッポガッポで儲かったら贅沢三昧で欲深く堕落!……ではなくて。

ビジネスという形式・分野で、自分の整備したものが、なんならそれで食っていけるような可能性というかを持っているのかなというのを、挑戦していかないと。ということで。

今回、急遽思い立った的にイベント開催2~3日前にいきなりやったわけですが、ほんとに片手間で、なんの苦もなく、短時間で、ストレスも何もなく企画&準備しました。
当日も含めトラブルなく開催でき、現時点で把握してる限りではお客様の満足度も低くはないようです。

自分の手腕の確認になったw

これは「どうだ、俺様は仕事ができるだろう」ということを他人にドヤ顔したり、ラクして儲かったぜざまあみろとかではなく。

「そりゃ、40歳こえた男が他の仕事での経験やキャリアでは同世代の他人に太刀打ちできないリスクを背負ってひたすらこれだけやってきたなら、このくらいはできて当然だよね」

同時に、必要最低限かつ最短・最簡単なやり方で、ビジネススキルがそこまで高くない(どころか絶望的に低い)いわゆるヒーラーさんあるあるな能力値の人でも、なんなら形式的にこういうセッションなどのイベントというか日々の営業の運営を企画したり実施したりは不可能じゃないとマニュアル化できた。

世間のヌキありマッサージ風俗店や占いの館(←並列した2つの例がすごいが驚くほど違和感ないw)みたく、毎日店を開けて予約飛び込み電話連絡なんでもござれで受付とスタッフの出勤シフトさえつくれば、普通~に、それ1本でそれなりに割よく食っていける収益の恒常的獲得は全然不可能じゃないなと。

1点だけ、ある意味では反省が。

実は……。

ワタクシ、今回のイベントでは、他の参加プラクティショナーさんに依頼が来た際に……

手数料を1円たりとも受け取りませんでした。

偉いから、欲がないから、善人だからというより、ケチだから。
イベント開催してみて流れと手順を追う経験が目的で。

ぶっちゃけ、お客様から貰う1セッション料金が2000円で、数百円とかの手数料をわざわざ中抜きするのが、バカバカしくなってしまったんですよ。
そんな小銭なくても困らんわ、という余裕もアリアリで。

ただ、金額を得たかどうかの収支より、手数料がなかったことでの懸念点は別にあるのです。

懸念点とは
「参加プラクティショナーは、(今回はたまたま俺ですが、それがもし他の誰かであってとしても)企画して、経験を積めて金まで儲かる場を整備してくれた企画者・発案者に対して『こんないい思いをさせてもらえたのはこの人のおかげ』と思うことができる仕掛け」
としての手数料が抜けた事。

ビジネスモデル……というほど立派なものじゃなくても、ビジネスの作業の流れや制度には必要不可欠だったり効果的だったりする役目がある方が望ましいと考えています。もしくは、プラスの効果がなくても、マイナスの事態になるのを防いだり、あるいはわざと「しかるべきマイナスを生じさせる」役目も。

手数料というのは、経営者(企画者)とスタッフ(メンバー)にあえて分けた場合、スタッフが自分の手柄だけでこの実績が築けたと勘違いしない効果があります。
手数料をとられるのは嬉しいことではありません。でも、手数料をとられるのが嫌ならその企画に乗らなきゃいい。所属や登録しなきゃいい。

でもそこで、完全なフリーランスで一人で客とれんのかよ、となったとき、スタッフは「できない、できるとしても自分が集客しなきゃいけなくて手間がかかる」と思うわけです。
だから、手数料を「払わせていただく」のは、企画者なり運営マネージャーなりがいてこそという認識に繋がる。繋げる。

同時に手数料をとる側は、しかるべく集客や宣伝(の場を用意する)などの責任が生じます。手数料をもらうからにはちゃんとやらな、という、手抜き防止効果があると言えるでしょう(その経営者・企画者が完全なサイコパスでなければですが)。

そしてスタッフ側は、手数料を払ってやっているのだという点をあえて逆手にとって、運営側に対して「もうちょっとちゃんと集客しなさいよ」といったプレッシャーをかけたり主張することができます。
「しかるべきマイナスを生じさせる」
というのはこういう緊張関係で、それはストレスですが有効です。

……と、こんなことは、このテの業態の仕事をしている人からすれば「あまりにも当然すぎて何いってんだ今更」だと思います。

と・こ・ろ・が・!

それも、「へぇ~、そうなんですか」と感じる(=それまでそのことを知らなかった)人もいるんです!!

意地汚いから人から金を奪う、しか考えない。

お金はまさに道具で、豊かさの本質そのものではないことはさすがにこのご時世、みんな気づいてきてますよね。
ただ、いまだに、金さえ払えばある程度いろいろ(本来はふさわしくなくても)買えてしまい、買えたことで何か自分がそれを手に入れるのにふさわしい条件はクリアできたんだと思う風潮も。

だからこそ、お金をやりとりさせるときにビジネスプランナーというかの方で
「このお金はなんのために、どんな意義でこう動く・流れるのか」
を、意味付けするんです。
ただの事務的なお金のやりとりではなくて。
そうやって、ビジネスを通じて人が成長する図を構築し、商売を人間の成長の機会にする。

それは近現代にビジネスという商取引がメジャーになり、また業態も多種多様で複雑化していく流れ(そうなることが人類全体の総意として第一希望でOKを出しているということ)を見ればわかると思います。
人類全体の霊的成長段階からしても、現代人は商業を通じて人間の霊性と魂に磨きをかけるのが相応。

仕事について「やりがい」が話題になりますが、たとえばそれは、あらかじめ無機質に思えるお金の流れがビジネスモデルの図としてある際に、「ちなみにこうして働きに応じて賃金を得ることは、従業員にとってはやりがいにつながる」というふうにデザインするものだと思っています。

今は、金を払わない代わりに「やりがいが得られるならいいだろう?」とチョロまかすブラック経営者がいるようです。それってつまり、人間がこの時代に商業に携わることで成長していくのにふさわしいからこそ、それを実現する商業の場を築く使命があることを忘れてるか知らないか、できる能力がない証。

ワタクシがあえて、スピリチュアルヒーリングというサービス業を、お金を媒介する商売、ビジネスという形態に落とし込むのを絶対の第一条件として、なんとしても譲るわけにはいかない要件としているのは、こうした事情からです。

いろんな複雑さや責任、心理的なプレッシャーを背負わずに済むという意味合いで「いいよいいよ、タダで」は、逃げでしかありません。
(とか言っといてワタクシ、今回のイベントでいろいろめんどくせえから手数料タダにしてるんですがw←ダメじゃん←だから反省点として述べただろうが!)

なので、すんげえ偉そうなことを言わせてもらうと、

ビジネスという形態でスピリチュアルな営みを仕事として取り組んでいる

という図式そのものがメッセージでもあり、また自分の主張でもあるんですね。

そして、そうできているということが、主張が間違っていないことの間接的な裏付けになればと。

なっげ!!

ツイッターからの転載の後半部分に出て来ますが、今の人類は「商業」というスタイルで人と人の間で交流することで、あるいは材料の調達や土地の利用など自然全般との関わり方の中で得られる学びが大きい時代とタイミングに相当します。

よく、
「現代は複雑化しすぎて、お金なんてものも生まれて、人が醜い心になった。もう一度、縄文時代みたいに物々交換でみんなが生きるようになれば、悪いことは起きないのに」
といった、甘っちょろいことほざいてんじゃねえよ的なことを言う人などがいます。
(現実の煩わしさから単に逃げ出してラクになりたいだけの根性なしであることがほとんどですが)

でもそのシンプルなやりとりに満足できる状態じゃないんです。今の人類は。
この不満足というのもエゴということではなくて、新たな成長や学びが得られるわけじゃないという内なる神の部分が悶々とすることによるもの。

いま、20世紀型の、経営者が主人で従業員を奴隷のようにこき使うことで主人(側)だけが儲かり奴隷としての平社員や非正規雇用者は使い捨てられるという会社的ビジネスの在り方が進展してきています。

たしかにかつての、ショムニがドラマ化された第1期で描かれた20世紀ふうの会社というのは、歪みまくっています。
それら企業がいまだにその歪みから(機動力の乏しい、向きを変えるのに『よっこらしょ』と大きな労力を伴う大企業ほど)抜け出し切れていません。
いい方に抜け出すどころかこないだのディセンション以降、ブラック企業がデフォルトみたいになってる文字通り堕落して現実の次元が何段階も下がってしまったようなところがあります。

それでも。

これまでの歪みある企業経営の在り方から学び、反省し、じゃあどうすればいいのかを実現していこうとする起業者や、そうした人の提唱する新しい会社員としての働き方、人生の満喫の仕方を模索し、実現し、さらに進展させていこうとする人たちは、います。

私個人の意見としてあえて言いますが、人類はこれから、これまでに培って来た社会構造や蓄積されたノウハウ、どんだけ歪みがあろうと辿って来た歴史や伝統を「リセット」してはいけないと思います。

どんなに大変でも、途方もなくても、これまでから目をそむけないこと。現状の歪みを、悲惨な現状を、否定しないこと。

そのうえで、改善なり、別途新しいものをゼロから生み出したり、していくことで、結果として過去からの学び・ネガティブなことを免疫化して得た強みというものを、人類全体で培っていく方が大きな成長になることでしょう。

私はビジネスの分野では(自分の自慢や能力の確認などではなく、できるならば精一杯のことはやろうと全力を尽くしたものの、もとから持っているものが拙いのかなんなのか)ぜんぜんたいした実績をあげることができずに40歳をすぎてしまった、量産型低能中高年という括りで世間から見られる人間で終わってしまっている現状があります。

ただ、それでも、規模は小さくても、「人を健全に霊的にも一般社会人としても成長させるビジネスモデルの設計とはこうだ。そしてそれを夢物語で終わらせるのではなく、実際にやってみせてできた実績もあるぞ!」というのを、(どこかの誰かよりどんだけショボいとしても全力でそれなら仕方ないし)やっていきます。

ヒーリングサロンの運営、ヒーラーという職業で生きるその生き様自体も含めて、(どれだけ私程度の人間がたいして誰に注目されるわけではなくても)私がこの世に来て、発信したいこと、伝えたいことの体現なんです。

世界を変えるのは超能力ではなく人の想い&行動

なんじゃいきなりデカく出て?ですが。

タイトルのとおりです。

家を建てることを想像してみてください。

人間が何かを思い、それをどうすれば現実に反映できるかを試行錯誤し、実際に行動する。
行動の内容や思惑がこの世の物理法則に照らして無理がなければ、家は建つ。
でも強度や重心など建築的に、引力の法則など物理的な要因各種のどこかに対応できなければ倒れる。

これ、国とか社会全体とか、人類が形成するものはすべて同じ図式です。

家族にはじまり、会社組織、ひいては国ひとつなど、人が複数集まって形成する集団や団体といったものも、根本は同じ。
(家など物理的な建築物というわけではなく、人の精神的な忍耐や満足の要因が絡む点が異なるだけ。精神的・形而上的な意味でその団体を構成する人間の輪が、一定の妥当性を満たさないと崩壊する)

なので。

教育などの根本すぎて今さらここで私ごときがいうのもなんですが、

人が大事

なわけです。

で。

超感覚ヒーラーとしての自分は、近年整備しているマルチプルアバンダンス特級などで顕著ですが、

「超感覚で、世界のいろんな霊的な部分を見聞き体験する(≒現時点で社会が科学的に妥当でおかしくない『常識』と認めるもの以外の領域に触れる)」

という、小うるさくいうなら「それ、ヒーリングじゃないじゃんw」と言われる類いのことに注力しています。

頭のいい人はこの時点で「あぁ!」と、少なくとも私みたいな稚拙な人間の書く文章で何が言いたいのかはピンとくるのだと思いますのでここで終わりますが、

超感覚を、人間の情操教育や、凝り固まった固定観念をほぐしたり新しい視点に気づくツールとして利用する

というわけです。

というのも、神の力で超能力者や霊能力者が瞬時に末期ガンでもなんでも治せますよというのは、理論上おかしいことでもなんでもなく普通にできちゃうしやれてる人もいるし自分でもやれることはわかりしたが、

条件が厳しい

んですよ。そういう奇跡っぽい変化を起こすには。

というのも、病気や災害などもひっくるめて、ネガティブとか嫌なこととされることには役割があり、現実はすべて(信じられないかもしれませんが)そこで生きてる人の第一希望が叶う仕組みです。

ある何かを変えるときは、現実社会の法律などもそうですが、

それを変えることによる、他の部分への悪影響が出ないかどうか

を精査しますよね。それはスピリチュアルな能力やアプローチのルートを選んで何かをする場合も同じです。

ある人が末期ガンだとして、それは霊的な意味合いをいうなら、

「その時点では末期ガンを患い、経験する中で何かを思ったりすることが、その人によって最高最善だから」

となります。屁理屈にしか聞こえないけど、そうなんです。

それを治しちゃうとなれば、末期ガンがなくなっても、その人が経験による同等の学びを得られるならば、となります。

それがない、視野にない、見当もついてない、頭で考える都合のいい代替案が霊的な摂理などにも照らして末期ガンを癒してもOKというほどちゃんとしたものではないetcだと、どんだけ超人的にサイキックに目覚めたヒーラーが何をしようが末期ガンは癒えません。

そんなこんなで、ヒーラーとされるような、一部のある専門的能力を持った人が、残りのみんなの不幸や病気をガンガン治す役割を引き受ける(というより、肩代わりする)のは、無理があるんです。たいていの場合。

なので。

超感覚に触れて、その人本人の自発的な興味や気づき、学びの深まり方の度合いに応じて、それまでより人間として大きくなるというほうが、長い目でみたら有益なんじゃないの、的な。

そんなこんなでマルチプルアバンダンス特級をはじめ、「だから何」ともとれる、体験型というか、

超感覚テーマパーク

みたいな講座に力を入れている次第です。

だから何?な記事ですいまそん。

慣性の法則からのガッタン

オリジナルヒーリングセッションを受けてくださった方からの感想いただきました。

超感覚ヒーリングを習ったけれどあまり観えないと自負しているがもっとできるようになりたいという依頼でした。

昨日のセッションにて観ていただいたことや聴いたことを反芻しながら過ごしております。
帰りの電車にて乗り換え駅と終点が同じでしたので、早速隣の人の降りる駅を観てみたところ当たりました!
確信を得ようとする自分をうまくコントロールしながら霊視の辞書を増やしていきたいです。座禅と、素振りというイメージになりました。

また、本「西の魔女が死んだ」のおばあさんが目指す姿に近い気がするとふと思ったので再読してみます。目指してなれるものという感じではないですが、参考にと思いまして。

セッション中、質問に答えるばかりで、あまり私から発言することは無かったのですが、振り返ってみると私にとってはとても楽な、やりやすいセッションだったように思います。

また自分のブロックについてもとても納得いく流れで説明いただけて安心感がありました。
わー!プロー!って感じでした。
家で壊れた水道管を修理してもらうときに、熟練技術者に原因を説明してもらっている感じでした。
(なぜか羊飼いのイメージもあったりします。ブロック囲い込み??)

慣性の法則からのガッタンがどんな風にくるだろうかと思いつつ、しっかり受けて立とう、と思います。

素敵なセッションを
ありがとうございました。

内容としては、

・人の思考パターンの霊視など、目に見えないもので練習しないこと。
 スーパーの食材の消費期限や、電車で隣の人がどの駅で降りるかなど、
 数字や物理的行動・現象でわかるもので。

・超感覚的にチャネリングや霊視で「観える」というのは方便で、実際は電磁気的な波形のエネルギー。
 だから、「この波動の感じは、こんな意味」という辞書を自分なりに整備していく。
 それがないと、実は霊的エネルギーを感じているのに、「観えない」と認識してしまう。

・対話型のセッションでは、霊視力が高いと相手の問題の土台が一瞬で観えるが、それを
 いきなり指摘しても相手は「?」になる。
 まだるっこしくても、あたかも「家の中の水道管どこかが漏れているので修理に来た配管工」
 のように、家の住人(依頼主)を連れて、「ここではないですね」と、水道管をチェックして
 いく様子を見せる。
 会話で、ここが問題ではない、となると残るはこれということになる……などと、消去法など
 論理的な思考(=霊能力がない人でも理解できる概念や論理の流れだけでの考え方)で確認を
 とっていくと、クライアントの納得度が上がる。

など一般的なアドバイスを中心に。

それに加え、この方はご自身では(いわゆるみなさんあるあるのように)無自覚でしたが、

「(頭で考える『霊視ができたら便利だし楽しいだろうな』という気持ちとは裏腹に、
 内なる神としてすべてを知っているその人の本質的な部分は霊視ができるとはどういう
 ことかをわかっており、実際そうなると怖いと思っているので)霊視できるようになりたくない」


というのが問題の土台らへんのコアでした。

そこでお伝えしたのが、この記事のタイトルです。

電車などで、停まっているときは、動き出すとガッタンとなる。
それは避けきれない、と。
同時に、起きたところで慣れてしまえばどうということはない、と。

この方が今後、霊視ができるようになることを選択すれば、観えるようになるにしたがって、当初想像していたのとは異なる感慨を抱くことがあるでしょう。

えてして、いいことばっかりなんだろうなという夢を見て霊能力を開花させた人は、
あまりに予想と現実が違うことに愕然とし、また観えたことで都合のいい希望が消え、
ある種の絶望を味わうことになります。


こんなに苦しい世界の真実を観て知ってしまうくらいなら、
霊能力なんか訓練して開花させなければよかった


という後悔を抱くのは、万人にあるあるです。
(それがなくニコニコ笑って、実力も大したことないのがお花畑系ヒーラー)

その「ガッタン」が怖くて、みんな、霊能力開発セミナーなどに出て正当な理論と訓練法を知り実践しても、なかなか観えるようにならないという人が多いんですね。
(本人はあくまで『そんなことないですー』と言いますが。そして、ならばといってその人が霊視できるようにスパルタ式にしごくなどしてしまうと、(しごかれたのにできないままだからではなく、霊視ができるようになって生きるこの世界に耐えられなくて)精神を病んでヒーラー引退がデフォルト)

感想をくださった方のセッションでは、そのことをお伝えしたうえで、できるようになる上での心得と、(創造主に尋ねたうえでは)そのサポートになるらしい感覚感情の呼び覚ましなどを行いました。

お役にたてるといいかもなぁ。(←もはやそこもわりとどうでもよくなってきてる)


ガッタン。
あなたは覚悟できてますか?
そのガッタンで傷ついたりパニクったり精神を病んだり死んだりしないでね?(←他人事)