同じセミナーを受けたのに

数年来、ヒーリングをお伝えさせていただいてるお客様から、今からもう何年も前になるセミナーの同期受講生たちとの話にたまたまですが、なりました。

単純にいうと、セミナーの受講態度や習得度などがアレな人、習った内容をその後の生活というか人生の一部に取り入れていかないでいる(←意味がない、必要がないと判断してきっぱり捨てるならいいのですが、いいと思いつつ面倒だから、といってやらない)。
そういう人は、どんどん残念なほうになっていったね、という。

残念な人あるあるなのは、今さら列挙するまでもないですが、

・そのヒーリング手法や理論、実技について、そもそも嘘だインチキだと、できてる人がいるのに言う。
 (目の前で超能力の実演をしてみせてもなお、『どうせ手品だ、まやかしだ』と豪語する人がいて驚きます)

・興味本位で聞きかじって批評家気取り、ミシュラン審査員気取りでモダリティやヒーラーのことを採点して批評するだけ。

・ごっこ遊びみたいに「現実と違う、スピという設定のイメプレ」として、本気じゃなく架空のおままごととして捉えている。
 (セミナー中に浮上してきたイシューなども、現実と関係ない、イメプレの中の架空の話として処理してごまかしてスルー)
 (できてないのに、幼稚園児の魔法少女ごっこみたいに、魔法を使った気になって、『はい、このおままごとでは今わたしがヒーリングをかけたってことにしたから、効いたってことにして?』とふざけて処理している。実はできていない自分のリアルな不甲斐なさを絶対に認めない)

・傷ついた、失礼だと感じたという点を唯一のクレーム根拠として、自分を不快にしたセミナー講師や同期生など発言者を責めたてる
 (図星のことを言われているかどうか、それが図星だとしてそこを治したらどう変わるかなどを一切考えず怒りと被害者意識)

とかとか。

それに加えて、これもうほんと、スピリチュアルかどうかに関係ないと思うんですが、セミナー中に

・(前の日に徹夜だったとかなんとかいって理由はどうあれ)ずっと熟睡している

・教科書を読んでこない、読む気がない、忘れて来る、持ってきても英語版で「英語できないんです」と開き直る

・へべれけに飲酒しており、真っ赤な顔と酒臭い息で意味不明で支離滅裂な有様

・他のヒーリングモダリティの方がすごいよ、この健康食品でガンが治るよ、と、他の何かの布教活動や宣伝勧誘を始める

・「みなさん聞いてください」とセミナーのために集まった人に向かって、セミナー講師が予約してお金を払った会場で、事前の承諾なども得ずその場でいきなり、延々と個人的な意見の演説をする、楽器演奏を始める
 (セミナー講師が止めると不服そうにする)

など、常識では考えられないようなことを平気で始める人がいます。

(特に、ネットワークビジネス商品の勧誘を始める人すごい多い。自分で宣伝する人をゼロから見つけるのが大変なものだから、あらかじめ人が集まる場に出て、そこで自分の宣伝したいものを宣伝してしまうんですね)

で、その後、スピリチュアルな教えやポジティブな人生訓の類いを否定するような情報、雰囲気の方が圧倒的優勢な俗世間での暮らしの中で、そっちに染まっていき、

「あんなセミナーに出たのは間違っていた、どうかしていた」
「セミナーを修了したのは、自分がその認定された資格を使って客から金をとる商売のための方便。もはや資格認定された以上、クソ真面目にワーク何ぞやってられるか。さっさと客をとって儲けないと」
「自分はもうできてるから、いちいち基本にかえってしっかりエネルギーを読みつつ自分の意思を確認してどう生きるかを決めるなんて面倒なことはせず、これだと思うとおりにすれば間違いない」

などなど、いろいろな点で躓き、残念な誤謬、できているという傲慢や勘違い、手抜きを始めます。

そうなると、ちゃんとスピリチュアルなヒーリングやリーディングの技法を活用しつつ自分の意思でどう生きるかを決めて行動するという基本にして究極な、健全な、スピリチュアルの人生への取り入れ方ができなくなっていき、当然のごとく、もろもろガタついていきます。

そうなると余計に、「あんなヒーリングどうでもいいや」となってしまい、やめる。

これがまだ、いちおうは会社勤めは継続していたとか、主婦なのでべつに旦那が養ってくれる金があるから大丈夫という人ならいいんです。

でも、ヒーラーとして独立したのにそうなっちゃう人がいるからすごい。

当然のごとく、客が来なくなり、商売あがったりになります。

そこで、ちゃんと願望実現のメソッドや、自分の頭で考える意図と本当の第一希望のすりあわせができているかをチェックしてズレがあればワークしてクリアにするなど、もう一回、面倒でもなんでも、基本をみっちりしっかり立て直せばマシなんでしょうけどね。

それが面倒というか、
「もうあんなうざいこと、やりたくないよ」
という、怠惰な動機で、適当なことを始めてしまう。

むやみにチラシを配ったり、リスティング広告をバカスカ打ったり、なんとかフェアに出展するだけしてみたり。
(べつに悪いことではないんでしょうけどね。それだったらただの弱小個人事業者とかジリ貧の零細企業経営者あるあるすぎでしょう。スピリチュアルで真実を見て願いを自由自在に叶える能力を手に入れた人間のすることでしょうか)

そこからはもう、人生うまくいかない人あるある劇場。とても陳腐で手垢にまみれた、しょーもない悲劇。今さらワイドショーのネタにもならない、使い古された、誰の同情もひけないチンケなネガティブ三昧。くだらねーんだよ。そんな非スピの一般人みたいな坂道の転がり落ち方しやがって。
(奥様は魔女のエンドラじゃないですが、こういうとき、スピリチュアルな技を使えない一般人のことは、言葉は悪いですが『下等動物』と見えてしまいます。し、一度はスピリチュアルな技をそこそこ以上に習得して使いこなせていた”魔法使い”が、愚にもつかないダッサいあるあるで下等動物みたいな地べたの這いずり方を見ると、しらけることこの上ない)


一方で。


「まだこんなブロックあんの?もううんざり!」

と思いながらも、そこから目を背けて逃げ回ったところで本当に逃げ切ることなんてできないわけだし、と腹を括り、無様でもみっともなくても、目の前に訪れた課題と七転八倒で取っ組み合いつつ、それでも地道に少しでも着実に力をつけていき、以前は解けなかったパズルを解けるようになるみたいにワークを進めていく、という生き方を数年でも続ければ。

たとえば今日、お話を伺った方は、数年前の自分からは信じられないほど、物理的に現実が変わったと喜んでおられました。

まず、腰掛けOL的な、仕事なんてラクして責任はとらず給料だけもらえればいいというスランスから、自分の大切なキャリアとして仕事にいい意味でプライドと責任をとるぞという気概、とれたときの達成と喜びと物理的報酬(ボーナスやベース給アップなど)のために挑戦的に立ち向かえる強さと楽しみを知った。

勤務先が、自分の意向を尊重してくれて、オフィスも綺麗で、同僚や上司が尊敬できる人格者ばかりのホワイト企業に。

おまけに自分自身の給料が、前職の部長など管理職よりも多いのではないかという額にまでなり。

仕事一筋ではなく趣味も充実して、なによりヒーリングのほうでも尊敬され、教えを請われるところにまで評判になり、自尊心や人付き合いのスタイル(以前はペコペコしてハブられないようビクビクしてたのが、どこへ行っても『あの凄腕でブログやツイッターでも素晴らしい文章を発信している○○さん?』と尊敬と感謝と憧れの目で見られるようになり友好的に接してもらえるようになる)も変わった。

プライベートでも、一時期は廃人のようになっていたパートナーが高給取りの職に返り咲いて体を鍛えて健康と美貌もアップ、などなど。
(世帯年収でいえば東京都民の中でもかなり上のほうになるレベル)


どちらのケース(に出てきた複数のモデルケースとなる人々)も、数年前に同じ、あるセミナーを同期生として受けた人たちです。

同じセミナーを受けたのに。

そして、残念な方に転んだ側の人は、常に常に、こう言います。

「あのヒーリング、効かない。インチキだよ。あのヒーラーもたいしたことないっていうか酷い人。こんな欠点だらけ。同期生もショボい人ばっかりで、ほんと悪徳な詐欺商法」

そう言っていれば

「すべて自分のせい。なにもかも自業自得」

という唯一の真実を否定できた気になれるからです。

自分のずるさを護るために、他人を悪者に仕立て上げる。まさにゴミカス。(←でも世の中の大多数はこっちかも!?)


ちなみに私は、どっち側に転んだ人を見るのも大好きです。楽しいじゃない?
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30分やって3分休む

自分が高校生のときに買った勉強本に書いてあった勉強のペース配分です。

ストップウォッチで測ります。30分も、3分も。

残り24分、16分、8分、2分……と、勉強しながらストップウォッチを見る癖がつくわけです。
で、あと○分あればこれができる、というのがわかってきます。
あと○分しかないとなっても焦らず冷静になって問題を解き終える、みたいなメンタルと能率も。

30分終わったら3分の休み。
これもストップウォッチで測ります。

飲み物を飲みたければ、その3分の間に用意して、飲む。飲みきれなかったらわきへ置く。
(勉強中には飲まない)

それができるように物の配置も考えることになります。

これを1日の勉強時間15時間超などできるところまで、体力と精神力をつけたりしていくわけです。
(私は志望校に受かるところまで学力を上げる2ヶ月間、2日に1度は1日3時間勉強するところまでしかできませんでしたが東大京大を目指す場合はそういう勉強を高校生活後半の1年半くらいはしないといけないんでしょうかね)

(それで思うんですけど、学力がどうとか関係なく、それだけの作業量をタフに長期間こなす訓練を乗り越えた、身につけたという時点で、それなりにパワフルな人材ってことなんでしょう。ひと昔前に学歴で人を採用しているのにも一理あったのかもしれません。ネットもITデバイスもない時代、はっきりいって生産性みたいなものを工夫で大幅に上げるのは現実的ではなかったので、問答無用に長時間、たくさんの作業をこなし続けて潰れない人が重宝されたのもわからなくはありません)



これ、大学入学以降は、単純に作業などを続ければ近づく夢がなかったというか、本気でそんな目指すものがあったわけでもないため、特にやってませんでした。

が、40歳を迎えた今、にわかに筋トレを本格的に再開し、パーソナルコーチがこの方式を採用する人だったこともあり、自分の中に培ったこのペースが蘇りました。

30分の勉強と、3分の休みにそこまでベストと断言できる科学的根拠があるのかどうかはわかりません。

ただ、子供向けのアニメって30分が1話なんですよね。CMとか入ると20分ちょいですが。
なので、勉強を頑張る子でなくても、30分、テレビを見ることに集中するというのはできるんです。

その集中力を勉強のほうに向けるにはもちろん、心理的抵抗などあるし、勉強という「運動」に体が慣れないということもあって慣れは必要ではありますが、そこまで無理なことではありませんでした、私の場合。

休みが3分しかないというのはそれはそれで最初キツかったですが、そのうち、3分で疲れを回復して下がりかかった集中力をMAXまで戻して、という精神的な作業?がだんだんできるようになります。慣れってすごいです。

この方式で培われるのは、1分とか、なんなら30秒、もっといえば数秒という時間でできることが増えること。
サッ!とできるようになるんです。
また、ちょっとした作業に何分かかっているのかを意識することになり、なんとなくダラダラやって時間が経ってた、みたいな日常のことで時間を浪費することがなくなりました。
そして、義務感ではなく積極的なワクワク感で、もっと早くこの作業(お茶を淹れて飲む、など)をできるようになろう、と思って自由にやってみて、タイムが縮まったらよっしゃあ!みたいな感慨もありました。
(脳内忍者プレイというか、中二病全開で『ふっ、また記録更新か。どこまでスピードが伸びるんだ、この体は』と悦にいることもできます)

この感覚のほうに慣れると、たとえばゴミ出しなど、明日の朝までにすればいいけどめんどくせーな、と思ったことなどについて、頭で「めんどくせー」と考えながら実はもうゴミ袋を持って玄関を出て集積所に捨て終わって
「もう、終わった……だと……?」
とベジータプレイできたり。

そうすると、想定してた予定よりも早くいろんな用事が済み、空いた時間でまた別のことができます。

これを、やらされ感とか「なんでこんな忙しくしなきゃいけないの!」と感じてしまうとつらいのですが、中二病的な快感
のほうが優先する思考パターンを持っていると、

「すげー!めっちゃ得してる!有能って素晴らしい!ほらほら全部予定が終わったからこぉ〜んなに時間が余ってますよぉ〜ん」

と、いい意味でつけあがることができて、さらに効率を上げようと前向きになります。

簿記検定合格やTOEIC点数アップなど大人なりに何か勉強の目標を立てた場合、何分やって何分休むかは個々人で好きに決めてもいいと思いますが、とくにこだわりがなければ30分やって3分休む、というのを1回2〜3セット、できれば毎日、そうでなくとも2〜3日に一度やっていくといいと思います。
(そうすると、30分で自分はどのくらい勉強できるのか理解できたか作業を処理できるかがわかります。教科書全体を終わらせるのに30分が何セット必要なのかも目安がわかるので、計画の精度も高まります)

なにも、絶対に30分やって3分休むことを遵守しなきゃいけないわけではありません。

たとえば、電車で移動中のスキマ時間を活用という人の場合、なんとなく「この本を電車で読もう」とか言ってるとたいてい読まずに終わるか、本を広げたけど中身が頭に入ってこないなど残念な感じになるので、どこ駅からどこ駅までの間は集中!と決めて、その時間で自分がどのくらいできるものなのかを考えるとよいと思います。

大事なのは、同じ時間の長さを集中して取り組むことを繰り返して慣れて習慣化すること。

ボクサーは1ラウンド3分で休憩も決められた時間ですよね。
それを体感でとにかく慣らしていくことで、戦略的に戦えるようになったりするらしいじゃないですか。
それの勉強版、仕事版です。

ご参考までに……なるんかいな!?

少年期の指導霊クエスト

子供の頃から指導霊とチャネリングして色々教わっていたというのは折に触れてちょこっと書いてきてますが、それをまとめてみよう。

物心つく前後から、見えない霊が語りかけてくるのを感じました。
物理的な音というよりは気配、意味のある気配というのが的確な感じです。

最初は意味不明だったけれど、早くもテレビなどで幽霊という概念などについて知ったこともあり、生きて目に見える生き物とは別の何かがあるのかもなということを知識でも分かったらへんから、理解が深まりました。

生きた人間が死んだ霊とは違い、自分を教育するために想念で語りかけている霊だということが、対話を通じてわかりました。
(ある意味、想念の波動を意味のある言葉に翻訳するということはこの時点、2~3歳児のころにできていることもあり、自分は大人になってからチャネリングを学ぶ人が想念を言葉に翻訳することの難しさをあまりわかってないようなところもあるのかもしれません)

この霊は抽象的なスピリチュアルについて教えるというよりは、かなり具体的に実際に人間の学校で教わるような、科学で証明され常識とされる類いの知識をまず授けてくれました。

霊に聞いたこと(この地球上にある大陸の成り立ちなど)は、地図を見てもそのとおりなわけです。

誤解を恐れずにいえば指導霊の教えてくれる知識は100%正しく、6歳くらいのときにインダス文字の読み方まで教わり、「これ発表すれば世界的にすげえってことじゃん!」とか思ったのですがそんな機会もなくアクションも起こさなかったので嗚呼、的な。

そんなこんなで中学生になる頃には、世間でいう大学を卒業するかしないか程度の知識をひととおり学び終えることができていました。
(自分が学校の勉強で好成績を目指すことにまったく興味が湧かなかった理由もこのへんにあります。ものすごく勉強ができるのに本気を出さない高畑くん(fromエスパー魔美)や、月野うさぎと同じ学校に通いたいからといって全国1位の成績を蹴って量産型低偏差値高校に進学してしまう水野亜美みたいなキャラクターをアニメで見て知っていたこともあり、その路線って面白そう、と思って実際そうしたようなところもあり)

いわゆるスピリチュアルな教えのほうにシフトしていったのもそのあたりで、俗世間にいくらでもある名言・格言の類いを、実例をヴィジョンで観せながら教えてくれたりして、かなり哲学的というかまさに精神世界どっぷり的な中学生時代を過ごしていました。

その中で、一方的に教えるのではなく、禅問答のように課題が出るんですね。それをRPGになぞらえて、クエストと呼ぶことにしましょう。

代表的なのは、3つの概念(美徳)について理解するクエスト。

・真実
・知識(を学ぶということ)
・勇気

についてマスターできるかな?というクエストが出されました。

このクエスト自体は小3~4くらいの時点で出されてはいて、指導霊が真実を伝えてくれることもあり、「真実とは何かを知る」というクエストは小学生のうちにクリアできました。
(真実を知る、教わることと、『真実とは何かを知る』のは違うところが面白くもあり、ひっかけポイント的な難しさがあったように記憶しています)

続いて知識について。
大雑把にいえば、「学習する、とは何か」をマスターする課題で、わかりやすい事例でいえば「客観的事実を学ぶ際に主観を入れない」など、ちゃんと学習するうえでこれをしないと、これをするとまずい、ということをせっせと体得していきました。
また、知識に溺れないこと、知識を得た自分に浮かれたり狂わないこと、知識に圧倒されたり束縛されたりしないこと、などもこの課題の内容に含まれていました。
そしてこれも中学生のある時期に、指導霊からマスターしたと告げてもらえました。

最後の勇気だけはどうにもこうにも難しく。
親からいいように虐待されまくりという環境は、勇気を学んだり発揮するチャンスにふんだんに恵まれているともいえるわけですが、情けないことに、当時の私は暴力やその後の家庭での居場所などのことを考えると怖くて勇気をふるうようなことはできず。
学校でも進路選択でも、何かこう、ほんとに突き抜けた努力を惜しまずガシガシ行動すればまぁ、と思えるようなことのいちいちがやはり億劫だったり不安だったりで。

高校に入る頃、反抗期も手伝って、「もう指導霊の教えなんざ要らんわ」となり、直接絶交宣言。

それから自分なりに、しかもいったん指導霊から教わった真実的正解みたいなものをなぞるのが癪に障ることもあって、わざーと、うまくいかないような、愚かしいような選択をしてみたりを満喫して、悪ふざけ的にゲラゲラ笑うような生活に。

それからありとあらゆることがうまくいかなくなり、人生どんだけ詰めば気がすむの的なハズレくじひきまくり人生。

30歳前後でヒーラーになり、さらに数年を経て、依頼された案件を寝ずにこなすブラック企業的な働き方からようやく脱したらへんで、個人的な人生でうまくいかなかったことに再挑戦していこう、という取り組みをいろいろ再開して。
逃げ出したくなるような、なんならもう無理、と限界ギリギリの精神的肉体的苦痛をガンガン味わって、人間関係の理不尽さにも耐えて、みたいなことをし始めました。
ここで逃げたから20歳前後のいわゆるキャリアスタートの時期になんにもならなかったんじゃないか!と必死で戦い続けました。この人生では初だったレベルで。

そういえば勇気のクエストだけクリアできなかったなぁ、でも今ならどうだろう、と思い。
チャネリング能力も自覚的に伸ばしたこともあり、久々に指導霊と話してみました。
いろいろなヒントをもらい、絶対無理と感じた試練の日々をウルトラCでクリアし、ができて。
あらためて、この指導霊がありがたい存在なんだなということで、いい感じにまた教師と生徒という関係性を復活できた気がしました。
また、教わる一方だった子供としての生徒ではなく、大人同士の尊敬に基づく師弟関係的に、メンターのようにアドバイスをもらうスタンスに自然とシフトできた気がします。

そしてある時。
勇気のクエストのクリアを告げられました。

偉そうに、という感じではなく、「まぁ、今さらべつにこんなのどうでもいいだろうけどさ、」という感じで。

そしてその指導霊が、もはやあらゆる存在やエネルギーとチャネリングできるようになった私にとってはお役目終了ということで、今度は絶交ではなく満了という形で去っていき。
(チャネリングでいつでも会えるんですが)

そういうことがあったこともあり、自分は、人生がその時期ごとにぶつ切りになるものではなく、一貫したテーマ性をもって進行していったなぁという印象を持っています。すべての人にとってそうかどうかはわかりませんが。

そして指導霊が提示したクエストのお題となる美徳や能力はどれも、私の人生で必要な道具トップ3ともいえるものだなぁと感じています。

子供の頃からは想像もつかないような、もう全然そんなの無理だろうと思えるようなところまで来ることができました。
物理的にいえばいいトシしてたいしたことないレベルかもしれませんが、そういうことより自分が懸念していた、精神性というか心の広がりというか。
大人になったら夢のない人間になって常識にがんじがらめになって子供の気持ちも忘れてギスギスしたゾンビみたくなってしまうのかという恐れがとにかく自分の子供の頃はすごかったので。
そうはならずに済んだ。どころか、まさかこんなに無限にふんだんに豊かにいろいろわかったり見えたり感じとれたりできるようになるなんてとても信じられなかったところに今はいて。

私ももう40歳。
まだ還暦まで20年あり、たとえば還暦を運気の一周という節目と捉えるならその間に何ができるだろうかと考えつつ、後進の育成といったらおこがましいけれど、次の世代に何を遺せるかを考える年代ではないかと生意気にも思い始めています。

自分はこういう経緯でここまでこられたこともあり、かつて指導霊から与えてもらえたこと、そういうものを与えてもらうことができたことがどれだけ嬉しいことだったかという自分の気持ちを、今度は自分が指導霊側の立ち位置で、誰にどう、押し付けがましくなく望ましいように提供できるだろうかと考えています。

まぁ、私ごとき低スペック人材が何を考えたところで取り組んだところで、たいしたことはできないのかもしれませんが。

さんざんスピリチュアル全開な活動やら発言やらをしてきましたが、この話は初めて公開しました。

(よく、ヒーリングやスピリチュアルの世界にきた理由を『つらい思いをして鬱になってヒーリングで救われたから?』など、すごく刹那的に見える感じで軽く聞かれることがあります。聞いてくるその本人自体が、そういう経緯で入ってきたみたいで、『どうせあんたもそのクチでしょ?あるあるだよね』と同胞意識みたいなもので言ってるみたいなんですね。それか、金儲け狙い。自分の場合、この記事に書いた指導霊の話をはじめ、もう生まれたときというか生まれる前からガンガンにスピリチュアル全開な体験というか境遇というかで来ているので、そんな大人になったあとのたまたまの偶然の気まぐれみたいなきっかけじゃないんですよね……。べつに大人になったあとの何かの出来事でスピに入って来るのが悪いわけじゃないんですけど。たまに『まだスピやってんの?スピの中でも○○ヒーリングやってんの?あれもう流行ってないでしょう?今は□□ヒーリングのほうが流行っててセミナーに人くるよ?儲かるよ?』などと、目先の金目当てにスタンスを次々にヒョイヒョイ変えていくのがイケてる前提で話しかけてくる同業者、いるんですよ。そういう金儲けで生き様をサクサク変えられるほど器用じゃないんですよ私。こういう、スピリチュアルなものとの繋がりというかを子供の頃からずっと感じてこの人生を歩んできてるので、そんなチャラく捨てたり変えたりするわけないじゃないですか、というのをなんとなく、誰あてにでもないけど書いてみる意味もあったのかなぁ、なんて←なので、こういう体験や感慨があるわけじゃない人が、一時期のマイブームでスピリチュアルなんて学んだところで、ブームが去るとか思ったよりめんどくせえとか感じたらすぐ去るというのは、それはそれでわかる心地もします)

ヒーラーはスリーピー・ホロウ or トゥルー・コーリング

海外ドラマで「スリーピー・ホロウ(シーズン1)」というのがあります。

雑〜にいえば、現代でひそかに存在する悪魔や魔術、魔女、呪いといったものと主人公が闘う内容。

怪奇現象が起きて、その謎を主人公たちが追っていき、原因が魔術や魔物によるものだとわかったら今度は古文書などから対処法を探して敵を倒すという、ちょっと子供向け冒険活劇のようなところもあります。

当然、街の人々は魔法や悪魔なんてものが実在するとは思っていないため、主人公たちを変人扱いします。
主人公たちも、あらかさまに変人扱いされることで社会的居場所をなくさないよう、周囲にはうまく嘘をついたりしてごまかします。

正当なことをしているのに、表立って自分たちが何をしているか言えない。
自分たちの信じる道に一心に進む一方で、そのことを世間に知られると変人扱いや場合によっては異常者・犯罪者とされ娑婆での自由を失うことになるからうまくごまかすカモフラージュにも手を抜けない。

誰よりも人々や社会、世界のことを考えて自分を犠牲にしてまで尽くしているのに、そのことを世間は知らないどころか嘲笑して頭がおかしい人扱いする。

超感覚ヒーラーをやってる人はグサグサくる内容です(笑)。

私自身、ヒーラーとして活動するようになり、人の過去生やかかっている呪い・魔術といったものを観て、
「知らねー!!」
という理不尽との戦いだらけでした。

もちろん知識がなくても、チャネリングで精確に情報を読み解けばわかります。
でもその、ヒントも何もない連想ゲームで制限時間(お客様のセッション時間)内に正解に辿り着かなきゃいけない、辿り着けて当然だろという無茶振りルール。

ヒーリングなどのエネルギーワークがちゃんと作用するのを観て
「あ、これで合ってたってこと?」
と思い、後で余裕のあるときに(といってるとないので死にものぐるいで余裕を見出して)文献などを調べ、自分が他人の過去生として見た歴史的事実がどうやら本当にあったらしいことがわかったり、自分がチャネリングで謎解きをしたとおりの魔術が古代に存在していることが判明したり。

その、テストが終わった後で出た問題の答えを調べ上げるような、今さら遅いような次に役立つ確証もないことを、延々と。
まったくの徒労ならわざわざそんなことしなくなると思うんですが、調べて知識で補強しておくと、どういう引き寄せなのか、同じ図式で呪われているお客様が新たに舞い込んできて今度は自信をもってサクッと依頼に対処できたりするので手も気も抜けない。
「あ、このパターン知ってる!」
となったときの喜びも大きくて。

ヒーラーとして独立した当初、実年齢がガチでアラサー(ちょうど30歳)だったこともあり、会社の看板などに依存せず自力で稼げているという誇りと、世界でほとんどこの領域でこういうふうに仕事ができる人がいない(と思っていた)&できた際の社会などへの影響がハンパなく大きいことの重大さで、夢中でした。
この人生を生きてきて、いちばん、生きている価値があると思える時期でした。
孤軍奮闘ふうだったけれど、

トゥルー・コーリング


みたいでいいじゃない、と陽気でもあり、また孤高の使命を遂行するような厨二病的な快感もあって。
(その意味では、今ではマルチプルアバンダンス受講修了者の方々など、誰にも言えないと思っていたネタを隠さずシェアできる人がいる、増えたというのは、もう損得勘定ぬきに人間としてホッとする部分が相当、大きいです)

当時が馬鹿げた黒歴史だとは思っていません。
むしろ、その後のマルチプルアバンダンスをはじめ、自分でいうとアレですが先進的かつ包括的(←抽象的すぎw)なスピリチュアルエネルギーワークを整備するうえでは欠かせないプロセスだったと思います。
また、(もともとやさぐれた生い立ちなどでこじらせていた私にとって)一般的な意味でいっても、人の気持ちを汲むとか汲もうとするとか、そういういわゆる「人間力」みたいなものをこの上ない体験の日々で得られて貴重でした。
(たぶん自分の場合は、良い会社に勤めて研修でヒューマンスキルもたまに学習とか、部下を持ってマネジメントとかだけやってたら、今ほどの人間的な深みというか(←あくまで当社比w 他人と比べたら全然かもだけど)は得られなかった気がします←認知的不協和の解消でしょうか)

何より自分自身、子供の頃から、魔法のような力っておとぎ話だけで現実には無いということになってるし、幽霊など生きてる人間以外の存在も何もかも嘘というけどそれにしちゃあいくらなんでも、と思っていて

「結局のところ、どうなの?」

という疑問はあったので、実際どうなのかをここまでクリアにはっきり把握できる日が来るなんてまったく予想できてない恩恵でした。

現実で、SFみたいな日常を送れるんだもの。
資料などであまり表に出てこない歴史の真実などにも触れることができて。

げに、ヒーラーはお得な商売でんなぁ!!

ごっこ遊びとしての掘り下げがお好き?

シータヒーリングを始め、カウンセリング型というか対話型のヒーリングセッション手法を取り入れたモダリティってありますよね。

そこでは、あくまでガイドラインとして参考くらいの位置づけで創始者が作った掘り下げの仕方が、あたかも厳格な規則と捉えられるような歪みが起きがち。

まるでアドリブが許されない舞台俳優のように、お決まりの文言を一言一句間違えずに暗記できているかどうかができているかどうかの目安とされたり、一般的なやり方以外の質問の仕方などをすると「できていない」とされたり。

形式面からしてそんなふうになりがちなのは、そして実際そうなっている人というのは、本当の意味で掘り下げをしたくない気持ちの現れであることがほとんど。

中身という点でいえば、本心を自分から打ち明けたり指摘されたりは痛すぎて耐えられないから、ほんとじゃない部分で辻褄だけ架空でもいいから合ってる、聞こえのいい話を展開しがち。

以前、「シータヒーリングを学んでいるが掘り下げが苦手」という方がレッスンを受けに来て、実際に私の掘り下げセッションを受けていただく中で解説を適宜はさむという形式で対応させていただきました。
その方は自分の信念や感情について無機質にドライにペラペラ語っていました。そこがもう、架空の「掘り下げごっこ」感すごくて。

「あ、もしかしたら私の中には、これこれこういう信念があるってことでしょうか?それならこういう問題が起きている、ということの辻褄が合いますよね?」

と、へっぽこ経営コンサルタントがでっちあげの理論武装をするみたいに。
そこには全然、本心などなくて。
それどころか、そうやって自分にとってむしろ本心を隠せて都合がいい嘘の話を論理的に作り上げてそれを解消するなんて茶番で、気分だけはクリアリングが進んだなんて言っている。

掘り下げて問題を解消するって、そういうことなんでしょうか。
そんなんで進むクリアリングってそもそも何w

そこで、本当のその方の信念や感情的な本音をあぶり出すような質問をしました。
すると(ちゃんとした掘り下げができている場合は常にそういうものですが)痛いところを突かれたように怯み、不快感を覚え、身を守るように姿勢が前かがみになり、呼吸が詰まる反応。
「違う、」と反論しようとするときに怒りのニュアンスが入り、拳や胸に力が入る。

「それです」

と指摘。

「自分の信念体系の土台に向かって進むなかで自分の思考を主張したり、自分の信念を否定されるようなことを言われたときに反発したくなったり、喜怒哀楽といった感情が伴う。

それがなにより、あなたがそういう信念を持っており、その考え方にそぐわない現実などと遭遇したときに怒りなど感情が動く、発生するということです」

と。

その方はそのときは、

「あぁ!掘り下げって、そういうことなんですか?ほんとのことを話すんですか!?てっきり、創造主がそう言ってるよということになっている、客観的ふうで論理的なことを、いかにも頭で考えたんじゃなくてチャネリングで得ましたという霊能者ふうの演技をした口調で言って相手やインストラクターにできてると信じさせて褒められればいいってもんじゃないんですね?ほんとなんだ……」

と、ずっと気づいていなかったことにようやく気づけた、というリアクションをしました。

そのあと数秒、葛藤している様子も見えて。

何に葛藤しているかというと、ほんとと嘘のどっちを採るかの葛藤。
ほんとの掘り下げが、ごっこ遊びではないと気づいてしまったことが、その人の、「ヒーリングごっこ(であわよくばそれを良しとする客や受講生から金をとってプロということで活動していきたい)」をユルく楽しむスタンスを捨てるか?と圧迫的に決断を迫る形になってるんです。
もし本当に掘り下げていく手法に切り替えたら、自分はこれまでのように、ヒーリングで掘り下げて信念の土台を入れ替えてクリアリングが進んだという「脳内妄想プレイ」を楽しめなくなってしまうわけです。
かといって本当の掘り下げをして本当にクリアリングを進めていけるほどの強さもない。

それからは上の空。

掘り下げの実例はもう結構ですとばかりに話を逸らしたり、なんとしてもそれ以上の掘り下げをこちらにさせまいとあの手この手を使って(申し訳ないけれどとても無様でした)。

レッスンでもあったので「まぁこんな感じで、実のある掘り下げをしないと、ただのヒーリングセッションしたつもりの、掘り下げごっこで終わってしまいますよ、ということです」と締めくくりました。

そしたらその方は、虚勢を張った奥様連中がみんなやる、心の壁バリアをATフィールドばりに展開し、毅然とした様子で、あえて事務的にやや冷淡にすました様子で、

「まぁ、それはusamimiさんなりのひとつの解釈として興味深くお聞きしました。本当に、ヒーリングのやり方は人それぞれでどれも間違いではありませんね」

と笑顔。

そう、つまり、ほんとの掘り下げとはこういうことかと学んで反省して今後はちゃんとしようと決意したのではなく、(そうできるだけの強さも気概もないので)あくまでもいま聞いた話は話し手の勝手な意見に過ぎず真実や正解ではない、自分がこれまでやってきたやり方が間違いというわけでもない、という落とし所に持っていったわけです。

「創造主が示したやり方なら、どれも間違いじゃありませんものね」
という、これまたトリッキーなつけたしまで。
そこで私が「はい」と肯定すると、その人は勝手に拡大解釈して、
「ですよね?これまで私が習ってきて実践してきた掘り下げの仕方も、べつに間違いじゃないし、今後もそういうやり方で掘り下げをしていってもいいってことですよね?」
と受け止めるわけです。

私の方も、カネもらったからレッスンに応じただけ、とあえてドライに線引きすることで、自分が傷つかないように笑顔。
べつに勘違いしたままでいたけりゃ好きにすればいいんじゃないの、と。
本人が納得しない限り、仮に他人が一時、力まかせに押し付けたところでどうせいつかは反発して言いなりになるのはやめてしまうわけだから強制しても意味ない。そんな優しいことしてあげる必要もない。カネもらった分、できる限りの力を尽くしてレッスンしたらあとはどうでも。

その方はシータヒーリングのインストラクターを取得して、より経済的な豊かさを得るために、もっとセミナー開催して生徒に来てほしいと思っていると今後の抱負を語っておられました。

シータヒーリングを習おうとしている方は是非、そういったインストラクターが経済的な豊かさを得て幸せになるためにお金を払ってセミナーに出てあげてはいかがでしょうか。

ってやだー。論旨がズレまくりぃー?
ほんと、無名のシータヒーリングインストラクターが言うことなんてただの意見に過ぎなくて信用できませんわねぇ。最高最善。え、何が?