人生いつでも「ドタバタ、バタバタ」がデフォルト(=基本設定)

いま、アストラルリーディングのインストラクターたちで、主にチャットワーク上で、モニターセッションイベントなどの企画を実行に移しています。

アストラルリーディング公式サイト「お知らせ一覧」

みなさん本業などがあるなかで精力的に取り組んでおられて頭が下がります。
(私が命令してやらせているということではなく、インストラクターたちが自発的に企画立案して活動をしてくれています)

ただ、主婦経験などが長くてビジネスの経験があまりない方や、逆に経営経験しかないためにこまかい実務面について疎い方などいわばビジネス面では素人的な方々が烏合の衆的に集まって試行錯誤をしていることもあり、いろいろな試行錯誤的ポカミスが出たり。
(それもちゃんとお客様を迎える本番までには解消して、イベント自体はつつがなく運営できているようですが)

たとえば、お金はいくらと設定しておいて振り込み口座について考えていないとか、画用紙などを経費で買いましょうということだけが決まっていて「経費って誰負担?(←会社など団体として成立しているわけではなく、参加者がお金を出し合って資金をつくっているわけでもないので、どこにもない財布からいつのまにか経費という概念だけが一人歩きするw)」という点を決めていないとか、申し訳ないけどギャグかよと思う点も多々。

でも責めているというよりは、ビジネス的な素人って最初はそうなんですよね、誰でも。
実際にやってみないと、頭の中で(しかも実務経験0の人間の頭の中で!)考えていることだと、どうしても抜けや漏れが生じます。

だから、ヒーラーをプロとしてやっていきたいという人も含め、アマチュアとしてお金は介さず交換セッションだけという人でもいいから、

とにかく、実務経験を積む

ことを私は個人的に推奨します。

ヒーラーでも、その他の仕事でも、実際にやってみると、本来の業務以外の周辺としての、連絡やお金のやりとり、場所の確保、そういった付随的な業務がわんさか生じます。

それをいかに処理するか(すべてを一人でやる必要はなく、外注したり他人にボランティア的に協力してもらうのもアリでしょう。ただその場合も、人に協力を申し出て説得して承諾してもらうとか、なにかしらの作業・手間は生じるものです)。

あるいは、そういう手間の一切を省きたいならば、「これこれこういう条件をすべてお客様のほうで負担していただける場合にのみ、対応します」といった条件を提示して、お客様となる他人に承諾してもらう必要があります。
条件が厳しければ厳しいほど、承諾してもらえるだけの信用なり尊敬なり付加価値なりを、他人に知らしめるだけの実績やその実績アピールが事前に必要となります(それなしで厳しい条件を呑んでくれるお客様がいるとしたら、そういう人との縁をたくさんつくっておく仕込みがいずれにせよ必要です)。

それを、家のことや現時点での本業としての会社の業務、学生であれば勉強や試験。そういった諸々と並行してやっていくことになります。

それ1本で食えるようになる、それだけしかしないで日々を生きる(生きていけるだけの境遇を具現化できている)わけではないなら、とにかく、何かしらとの両立は避けられません。

頭がパニックになるでしょうし、時間に追われてあれもこれもどれも中途半端で嫌気がさすということもあるでしょう。
(キャパシティが少なくてすぐテンパって、もうどうでもいいやとすべてを投げ打つというのも、実務経験のない初心者にありがち。死にものぐるいでこなしていくと、だんだん慣れていくものです。これはどんなアルバイトとかでも同じですよね)

以下に、アストラルリーディングのインストラクターたちが打ち合わせで使っているチャットワーク上に、私が思いっきり上から目線で独りよがりにアドバイスぶっていい気になってるだけの投稿を転載してみますね(笑)。

実際に他人を相手にイベントなどを進めていくと、抜け・漏れがわかりますよね。

頭でだけ考えてたり、いざとなったら動き出そう、まずは実力を、とだけ思って他人相手の実務を何もしないと、実務面での勘所や気を配るところなどの経験則が育ちません。

特に初心者?は、どの分野でもそうですが、崇高な理念ややる気のほうに気がいってしまい、肝心のお金や場所、時間の確保、連絡のタイミングや手段といった現実的な面で至らない点が多いです。

対・他人となった場合は、理念やセッションスキルといった中身を評価してもらえるのは、お金や時間、場所、連絡など物理的かつ基本的な面をきちんと問題なくクリアしてはじめて成立します。

せっかくのヒーラーとしての実力を、そうした基本的な面でのポカミスで信用をなくすというのが一番もったいないし残念なので、こういう場を通じてみなさんにスキルというか勘というかを培っていただけたらと思います。

上からぽくてすいませんが、実務で食ってる側から言わせてもらうと、
「いつか腹が据わったら動き出そう」
といって何ヶ月も何年も動いてないままでいつまでも
「まだ未熟、もっと実力を。いろいろ環境が落ち着いたら、やろう」
といってるうちに老けてきちゃう&もしそれまでの年月に活動していたら
得られたであろう利益や実績の確立、出会えたかもしれないお客様、
実務をしてこそ伸びる自分の能力などをすべてフイにすることになります。


なにもかも落ち着いて、さぁ今が動き出すベストタイミングだ!という瞬間は、
おそらくですが、誰にも一生、訪れません。常になにかしらドタバタです。

そのなかで動き出せない人は、一生なにもできずに終わるでしょう。

しっかり準備したいのに、あれもこれも同時並行でバタバタで。
実はそれは、どんな人も同じです。大成功できているかに見える大物各種のみなさんも誰でもそう。

(経験値のないショボい人ほど、『全身全霊で落ち着いて集中し続けられる環境がいつか整ったらできるんだろうな。成功できてる人はそれができているんだろうな』と勝手に想像している傾向があるようです)

いろいろあるけど、動きながら処理する。
ベストでなくても、実際にちょいポカミスがおきても、大惨事になる前に謝ったり改善策を実行したり、取り繕いながら、動き続ける。

こうしたイベントを通じて、参加する方それぞれがそういう、デキてる人あるあるを体得していかれたら嬉しいなと勝手に上から思ってますw

うっわぁ、何を偉そうに。
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マイティピュリフィア使い方Tips 41「高度ふうなエネルギーワークをするときの補助ツールにする」

感想いただきました。

以前、usamimiさんのブログで紹介されていた、思考のシンボリックリンク時空間カスタマイズ

につきまして、不要なものをマイティで見ていって解除していく、また新たに・一時的に必要なものがあれば、マイティを通して帯びてみる、獲得してみるというのを試しています。

まだ試しはじめたところですが、盲点になっているところにアプローチしてくれる感じもあり、チャクラからガガガ〜っと不要な紐みたいなものが抜けていったり、なんかすごいです。

あざっす。

便利になんでも使ってみてくださいな。

お腹いっぱい食べて、1週間に20分運動するだけ

原題は「THE CALORIE MYTH(カロリー神話)」という本。



すごく雑に要約すると、食事と運動によるカロリーの足し引きは体格の太る痩せるとは関係なく、脳が定義している

セットポイント体重次第

だという内容です。

つまり、自分の体重は「○kgと設定」している値がある、と。

そのセットポイントこそが人の体重を決める要因で、食事も運動も、すべてはセットポイントの値を変動させる要素にすぎないといったもの。
よくない食事と運動がホルモン詰まりを生み、それがセットポイント体重をあげてしまうという理論です。

だからセットポイント体重が低い人は一時的にドカ食いを続けて何十kgと太ったところで、そのドカ食いをやめればやがて元の体重に戻っていく。逆もしかり。
(一時期の20〜30kgの減量なんて、まるで嘘のように半年もしないうちに元どおりになるのがデブあるあるです)

で、食事や運動は、脳がセットポイント値を変えさせるためにあるという理論から、SANE食と著者が名付けた食材をメインに

大量に食べ、余計な運動をしないのがダイエットの肝

という、まさにカロリー神話に喧嘩を売るような内容。

だれか実践してみて報告ください。(←投げやり)

人間が普通に持ってる力の偉大さ

自画他賛なだけの自慢ぽい感じで若干照れますが、あえて載せてみます。

もともと、ヒーリングのレッスンとセッションをご所望の方でしたが、話をさせていただくなかでスピリチュアル談義みたくなり、3時間以上も話し込んでしまい、レッスンもセッションも今からってどうよ的になったので、お客様にもご納得いただいたうえで、お金はいただかず、(ご所望のメニューはこなさなかったけれど話の内容などに満足された様子で)お帰りになった方からの感想です。

超斬新で奇跡的な“セッション”、期待も予想も遥かに上回って、さすがusamimiさん神がかってるなあと、感心しています。
感動と興奮がまだ冷めやらず、喜びでいっぱいです。
感動を色々とお伝えしたいのですが、おもしろびっくり、でも真剣に話をしていく中で、得るものが多かったです。
とても書きつくせないし、顕在意識に上げきれないほどです。

起こった変化としては、その後、
・声が響くようになった。(人生でずっと、声が前に出なかった)
・人と接する時、力が抜けて自分らしくいられるようになった。
・私は私でいい、私がいい、自信を持って進めばいいと思えるようになった。
・あまり心配したり恐れたりしなくなり、何もかもうまくいってるんだと思えるようになった。自分自身と裏方さん(天使や神様など)を信頼できるようになった。
・日々が、楽しくて幸せで面白く、素晴らしさや美しさにもより気づくようになった。自分が与えられてる色々な恩恵に、より気づけるようになった。
・夫と娘もごきげん。
・くじ運が超悪かったのに、くじが当たったり、他にも運がよくなった。
などがあります♪

色々なことを落とし込めたり、気づくことができました。
サイキックな力を持って生きると言う感覚や、サイキックな力なんてなくても人の力は十分にすごいこと。(十分にサイキックだということ)
サイキックな力を求めることで逆に自分の力を失うという罠からも、出られた気がしています。
自分を取り戻せた感が、すごいです。
usamimiさんから、“上から目線”を全く感じなかったことや、usamimiさんの教育への態度にも、共感と好感を持ちました。
癒すー癒される 教えるー教えられる の構図が無い方がよっぽど学べるし癒されると、改めて思いました。日本ではね、なかなか、ハードル高いですよね。
お金に関しても、お金とどう付き合ったらいいか悩んでいましたが解決できて、スッキリしました!
期待していたセッションとレッスン内容も期待以上に満たされました!
どんなヒーリング、エネルギーワークよりも一発で本当、人間が普通に持ってる力の偉大さと、枠にとらわれずに創造的に仕事をするすごさを体感しました。
どうもありがとうございました!!

セッションを""で囲っているのは、メニューとしてのセッションじゃないからこそ、「あの話がいわばセッション」という意味合いなのでしょうかね。

これといってなにかヒーリングの技法を使ったわけではないのですが、この世を1人の人間として生きるうえで、どういうものを大切にしているか、超能力ともいえるスピリチュアルな能力、ヒーリング技法をどう位置付けているかといった個人的な感慨をだらだらと喋る形になりました。

初対面の方だったこともあり、
「usamimiさんはなんでもお見通しでなんでもできるから、全部を超能力でチャチャっと叶えてハッピーで何もかも願望実現!っていうふうには生きないんですか?」
と(ワクワクした様子で)聞かれました。
ご本人もどこか、超感覚を拓いていくということはそういう(特権的な)ことができるようになっていけるということなんでしょう?と期待して取り組んでいる?ようなところがあったような。

そこで、そうじゃないですという方向性のことをお話しました。

たとえばですけど、過去生で何かしらの縁あった人と今回の人生で会った時、あるいはこれから出会いたいと思ったとき、超感覚を使って見つけ出して会い、すぐ意気投合して強力な味方として過去生のときと同じように仲良くするか、という場合。

相手は今回の人生で超感覚を拓いていないかもしれず、こちらだけが超感覚を使って「あぁ、この人とは過去生でも仲良かった」とわかったうえで、うまく関係を築けるから&どうすればそれができるかお見通しだから、相手が気にいるような態度などでうまくやる、というのは、しません。

なんか、せっかく転生までしてるのに、フレッシュさが薄れると思うんですわ。

あとね、過去生でどんだけ仲よくても夫婦とかでも、あるいは敵対して殺す殺されるの関係性だったことがあったとしても、そういうことがあってもある意味ではリセットかけて、別の関係性を築ける可能性が用意されるというのが、輪廻転生の1つの醍醐味だとも思うわけですよ。
それを、何もかもお見通しだとして、過去生でどうだったから今回もこうしようと「間違いのない戦略、作戦」みたいなものを立てて動くというのは、単純に興ざめなんじゃないの、と。

それから、自由意思の法則があるので、たとえば国民的大スター芸能人として超人気者になる、というのは、どれだけ超感覚を拓いたとしても、それだけでは具現化は難しいです。
というのも、他人を操って洗脳して、それこそ魔法をかけて自分を持ち上げてスター扱いするように仕立て上げるようなことは、できないんです。
芸能事務所のマネージャーや社長といった人、ドラマのキャスティングをする人などは、その人の自由意思で、誰を起用したいかを選びます。
「働きかける」ことはできても、最終的な決定権までを奪って自分の好き勝手にすることはできません。
そしてその働きかけ方にせよ、霊視で相手の弱みを見つけてそこにつけこむとか、超感覚をあまりにも俗物的でエゴイスティックな欲望実現のために使うというのは、個人的にはしらけます。許されないなどと倫理で意識高くいうわけじゃなく、単純に、げんなりする。おもんくない。

せっかくの、何が起きるかわからない不安でもありワクワクでもある要素、はじめから決まっているのではなくて個々人の動き方次第でどうとでも未来が変わっていくこの世の霊的な摂理、そういったものを、失敗したりびっくりしたり怪我をしたり精神的に参ってしまう危険もありつつ、だからこそさぁどうしようかという冒険心を持つことができる余地を存分に生かして、無謀すぎず打算的すぎず、かといって無難すぎることもなく、規則的でもこれといって不規則だと断じ切ることもできないペースやリズムで、生きる。

その、実はものすごくプレシャスな恩恵としてのこの時空間に存在できていることを、「失敗したくない、確実に成功できる保証がほしい」といったどこか制限ある思考ゆえに超感覚で何もかも事前に正確に把握して、ただ単にパーフェクト(完璧)だと感じるような実績で生きていけたらそれで満足なのかよ、という。

アリっちゃアリですけどね。最初から完全攻略本を手元において、そのとおりにゲームを進めて、あらゆるイベントを完璧にこなしてコンプリートしたうえでクリアするというのも。それをする楽しみもあるっちゃあるでしょう。否定はしません。
でも自分からすると、「攻略本どおりに何もかもを完璧とされるありかたでクリアしていく人生」という在り方が、そもそも完璧なのかどうかとなると、疑問だったりもして。
何を完璧と思うかという時点でまず、価値観が無限にバリエーションあるじゃないですか。
あらゆる分野で世界一になればそれでいいのか、という。
世界一ったって、たとえば世界一、背が高いのと低いのは両立できない。金持ち度合いでも頭の良さなどでも同じ。
見方をほんの少し変えただけで、何かの基準では完璧だったものが、全然そうじゃなくなってしまう。
攻略本を見てクリアしていけるのは、そもそもそのゲームが、人間の手によって完璧なクリア法はこうですよと定義されていればこそ。実際のこの世は、ゲーム的な要素ではありますが、現時点の人間がつくるビデオゲームみたいなチャチい、制限かかりまくりのものではありません。

そういうようなことを、つらつらと話していくと、(最初、この方はうんざりして、超感覚を学ぶことに後ろ向きになるのかなと思ったりもしたのですが)その人自身が根本的に抱いていたことのほうを応援するというか後押しするかの効果があったようで、

「ですよね!はじめから正解がわかっていることをただ辿るだけじゃ面白くないですよね!」

と目を輝かせておっしゃるように変化。

あぁ、そうか。自分はなんで、いろいろある自分の考えのなかでも、この内容をよりによってたまたま自分でもわからないままに思いついて話したのかといえば、この方自身が根本的なところでは未知への冒険に向かっていく心を持ちつつ、不安などあれこれ考える顕在意識が「超感覚でなんでもお見通しにして間違いのない人生を生きたほうが素敵!?」という思考も構築し、それらが綱引きのように突っ張りあって、そのモゴモゴを抱えていたからなのだなと。
ほかならぬ私がお会いしてお話しすることでこの方をもっともユニークに有益?に刺激するとしたら、こういう話をすることだったのかもなぁ、と思ったりして。



これは自画自賛というわけではないのですが、自分が、自分の頭でも把握できていないような何かしらの凄み、神がかった能力?というかを発揮することが往々にしてあるのをみて、たとえ自分自身といえども、自分はしょせんこの程度の人間だというような制限を定義する資格はないんだなと思います。
いや、偉そうにふんぞりかえるわけじゃなく。

しかもこれは私に限ったことではなく、すべての人間がおそらく、その人自身で把握できていることよりもたぶんすごいものを持っていて、それが発揮する気もない時に実は発揮する形になっていたんだよ、みたくなることって、普通にあるんだろうなぁ、と。

そしてそれはこれまた、顕在意識のバカな頭で考えてもわからないような、不思議さというか神聖さというか、個々人それぞれが神の化身として生きているなかで時折?本人も無自覚なままにスイッチが入って、しかるべくその人が世界にとって、宇宙にとってするのが望ましいことをしれっとできてしまうというのはあるよなぁ、という感慨を新たにすることにもつながりました。

これは赤ん坊もそう。
赤ちゃんや乳児、幼児、子供といった存在は、大人より劣った、愚かな存在ではないし、大人より弱いわけでも、ましてや霊的な意味で本質的に魂として価値が低いわけではありません。

こういうとたいていの人は「知ってるよ」と言うんでしょうが、知ってはいるのかもしれないけど、わかってないことも多そう。それはもちろん私自身も含めてですが。

だから、他人であっても自分自身であっても、あんまり、人間のことを「しょせんこの程度」と見くびるような、何もかもを知り尽くしたつもりでわかった気になるのは、かえって愚かしいことだったりするのかなぁ、なんて思ったりして。

……ここらへんの考え方というかが、たとえばこの感想をくださったお客様からすると、「みんな!この方向に進めばそれはすなわち霊的成長!私がお手本!私の言う通りにやってみて!私みたいになれるようになるといいわね!」的に、ある方向を唯一無二?の「正しい目標」として提示し、そこに到達できてない人間を「未熟」と断じ、「今のダメな状態から良い方へ引き上げる(ことをリードする)」タイプのヒーラーやスピリチュアリストと違うところに映ったりしたのかなぁ、なんて。

わがんね。

わがんせ。

できることをしたいようにしたいだけするのみっスね。

アナスタシア (響きわたるシベリア杉 シリーズ)

ロシアのヒーラーが束になってもアナスタシアの足元にも及ばないとされる、伝説的な実在の人物(との対話)を描いた本。現在アナスタシアは40代半ばということになりますね。

ジャンルとしては間違いなくスピ本だと思いますが、小説の体裁をとっています。


著者であるウラジーミルがひょんなことから歩きで旅をすることになり、そのガイドというかで現れたのがアナスタシア。

彼女は旅すがら、自然の神秘や人間の本質、宇宙の成り立ちや仕組みなど、常識的にいえばおかしいとされるような奇想天外なことを話します。

アナスタシアを疑ったり、(霊的な真実を突きつけられたときの俗っぽい人間がみんなそうであるように)怒りを覚えたり、圧倒されたり感動したりする著者の反応がいわば「常識という名の、霊的真実から逸れた悪魔的幻想や制限ある思考という鎖に縛られた一般的人間」を代表する聞き手として機能します。

まぁ体裁としてはよくありますよね。
本の中で著者は、作家としての才能はないがアナスタシアと出会ったことでこの本を書き、その本が多くの人に届き、闇の勢力とされるものを打ち破り光の世界を推進することになる運命を実現した旨を綴っていますが、たしかに小説という意味では稚拙です。
そういう物語としての構図はある意味どうでもよく、
「アナスタシアがこんなことを言ってたよ」記録集と割り切ったほうがいいかも。
(実際、後半になるにつれ、物語的な部分はどんどんなくなり、ただひたすらアナスタシアが言ったことを書き留める体裁になっていきます)

2017年3月時点で、日本語訳は5巻までですが、ロシアでは10巻まで出ているそうです。このあとも続くのかな。

1巻の内容で、(小説家としての才能や実績があるわけでもない)著者が、アナスタシアの願望実現コマンドのおかげで、銀行や出版業界、その他もろもろの善き人々からのサポートを受けたおかげでトントン拍子に話が進んだことが書かれますが、アナスタシアの出版実現コマンドは今もなお続いているんでしょうか。

著者ウラジーミルを通じて、アナスタシアの教え(というか、この世界の普遍的な霊的真理をアナスタシアがたまたま伝えているというだけという体裁。アナスタシアの主観ではない感じ)が、世界中に今まさに届けられている真っ最中ということなんでしょうかね。

個人的感想をいえば、基本的にアナスタシアの発言として述べられていることで何か霊的におかしい、ズレてると思う点があるかというとなく、まぁそうだよね的です(←そっけない)。

でも1巻の出来事(著者とアナスタシアの出会い)が1996年、今から20年以上前ということを考えると、たしかに驚異的かもしれない。
当時、今とは比べものにならないほど、悪魔的な力が世界を牛耳ってるようなところがありましたもんね。
インターネットが全然まだ普及してなくて、今ほど一般的にみんながスピ的な良質な情報、真実とされる概念に触れることも容易ではなかった印象があります。
その時点で、これだけの内容(20年経った今読んでも何一つおかしくないです、おそらく1万年経ってから読んでも、1万年前に読んでも、どこもおかしくもなく、全然古くも新しすぎることもなく、全世界的に、民族や文化を超えて、人が本来もっている神性というかを刺激して、『!』という反応を得るでしょう)を、闇の勢力に邪魔されず出版に踏み切るというのは、たしかに偉業だったといえそう。。。



ただ1つだけ、この本シリーズを読む人に「こうなってほしくないなぁ〜」という個人的な勝手な想いを述べていいなら、

「何かをdisりたくて誹謗中傷して攻撃したくて、反発したくて、この本の内容・アナスタシアの発言を水戸黄門の印籠みたいに使う」

読み方。

自然と調和して逆らわないといって家もなく野宿(ほんとに草原や洞穴で寝泊まりして水道電気ガスや工具、機械、コンピュータの類を一切使わない)で生活をしているとか、起業家は世界で最も可哀想で不幸な人々だと断じるとか、ある意味では非現実的だったり、人の反感や顰蹙を買うような内容が入ってるんですよ。

で、過激な思想という感じで無農薬栽培にこだわる人とか、機械文明に反発する人が、「我が意を得たり!」みたいにこの本を経典みたいに祭り上げて、誰かを攻撃する大義名分に仕立て上げるみたいな読み方だったら残念すぎだな、と。

まぁ、そういう人が出たとしてもどうしようもないし、好きにすればいいし、出たところでべつに世界がすぐ滅びるわけでもないんだろうし、滅びたとしてだから何だ、でもあるし、ぶっちゃけ、そこまで本気で懸念してるほどでもないんですけどね(笑)。



それに加えていまの時代にこの本を読む人にとって重要なのは、この本に述べられているようなことを踏まえて、ブレず、逸脱もせず、かといって現代社会と相容れない社会不適応に陥ることもなく、どうバランスをとるかという点だと思います。

この本シリーズのファンになって、「アナスタシアはすごい!みんなアナスタシアの言うとおりにすべき!この本で私は救われたからみんなも読んで!」というだけだと、熱心な信者ではあるのかもしれないけど、受け身なんですよね。

アナスタシアがこうして著者を通じて述べてくれたことを受け止め、かつ、それを、どうすればこれからの社会で、人間の本来の本質、常識という名の誤謬で穢され否定され隠蔽された世界や宇宙についての真実を知りながら、いきなり現代社会をまるごと破壊・解体して作り直すとかではなく徐々に変えていくか。

それは、この本を読んだ人々、偉そうに言っていいなら「私たち」それぞれが、主体的に考えて、なにかしらの形で、試行錯誤ででも、実践していってこそだと思っています。

ただ、アナスタシアを偶像として教祖として崇めるだけに終始してはいけないと思っています。(まぁ、どうしてもそうしたい人はそうしてればって感じだけど個人的にはそこまで尊敬はできません)

「じゃあ、どうするか。どうしよう。私はこうしてみたけど」

ということを1人1人がしていかないと、本当の意味で、アナスタシアが本を通じて多くの人にこの内容を伝えた意義は、果たされないのでは、と。

もちろん、べつにアナスタシアの言うことはそれはそれとして、だから何だ、と冷ややかに突き放して捉えるというのも、自由だし、ある意味では大事な視点だと思います。

これまた個人的な勝手な意見ですが、一番ショボくてダサくてあんまりなのは
「アナスタシアに会いたい!そうすれば何かご利益があるかも!」
という、痛々しい依存気質と寄生虫願望のファン心理100%な読み方w